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6.勇者が知る真実は、ほろ苦いこともあれば甘すぎることもある。
「イルス! どこへ行く?」
ずっとうしろで呼ぶ声が聞こえるが、俺は全速力で走っている。村人に取り囲まれて説得(?)されたアレフが俺のことを「愛する人」といったとたん、なぜか居ても立っても居られない衝動にかられてしまったのだ。自分でも理由がわからないままアレフの手をふりはらい、村人をかき分けて、気がつくと教会の外へ出ていた。
あれほどくたびれていたのに、どこにこんな力が残っていたのだろう。
前方に広がる農地のさらに向こうは暗い森だ。星は降るように輝いているし、魔王は封じられたといっても、丸腰で夜を過ごすには向いていない。全力疾走でわき腹が痛いし、俺の足はとっくにもつれそうになっている。ふいに頭上を大きな影が跳び超える。
「イルス!」
アレフが俺の前に降り立った。俺は立ち止まることも方向を変えることもできないまま前方につんのめり、転びかけた。次の瞬間俺の顔は温かい胸にうずまっている。アレフは俺よりひとまわり大きいのだ。胸板にひたいをおしつけた姿勢でまた背中を抱かれている。俺はまだ肩で息をしていて、自分の心臓の音がうるさかった。
「イルス、どうして逃げるんだ」
「逃げるっていうんじゃ……」
俺は顔をあげて説明しようとした。星明りだけではアレフの表情はよくみえなかった。俺はぼそぼそといった。
「アレフ、その……なんていうか……ごめんな。この村の秘密を黙っていて」
「イルス」
アレフの手が俺の背中を撫でた。
「村長は『世界の理』だと教えてくれた」
ささやいた声は穏やかで、力強かった。
「魔王の封印が解けた時代には、別の世界から生まれ変わった人間がこの村で覚醒し、魔王を封じる勇者になるよう、運命づけられている。これが世界の理で、あなたは俺とおなじ運命を通ってきたと」
耳元に響く言葉をきくうちに俺の呼吸はおさまってきた。ところが今度は膝がふるえはじめる。俺の背中を撫でていたアレフの手が支えるように腰に回った。
「たしかにここへ戻ったときは驚いた。でも俺は成し遂げた。魔王封じを」
「ああ。おまえはやり遂げたよ」膝がふるえているせいか、俺の声までふるえていた。
「今はたくさんの場所がおまえにひらかれている。王国貴族に仕えることもできる。育ての親も喜ぶぞ」
「俺はあなたと一緒だったから勇者になれた」アレフは噛んで含めるようにいった。
「あなただって勇者だろう。そしてあなたはこの村に留まった――イルス、どうしたんだ? どうしてそんなに悲しそうな顔をする?」
悲しそうな顔だって? 星明りだけでわかるものか。
「おまえは俺を置いていくからさ」俺は軽い口調でいった。
「俺は齢をとらないんだ、アレフ。魔王を封じたあと、賢者の石が俺の体の中に入って……そのせいで老いない体になってしまった。これがおまえに隠していた俺の秘密なんだ。俺が勇者だったときの仲間はみんな行ってしまったし、おまえも行くだろう」
「どうして?」
アレフの唇は俺の顔のすぐ近くにあった。
「俺があなたを置いてひとりで行くとでも? いっただろう。あなたを愛しているんだ」
俺は首をふろうとしたが、いつのまにかアレフの手のひらに顎をつかまれている。
「アレフ。すべての勇者が魔王を封じられるとはかぎらない。おまえがこの村に来る前にも、勇者になるはずの若者がやってきては失敗した。でもおまえが成功したから、次に魔王の封印が解けるまでこの村はしばらく暇、いや安泰だ。俺ものんびり暮らせるというものさ。これからおまえが騎士に取り立てられたり、どこかの王国を治めるようになったときも」
「ああ、イルス」
アレフの吐息が頬にあたった。ため息のように長い呼吸だった。
「あなたは考えちがいをしている。俺を信じてくれ。あなたが俺の運命なんだ。別の世界の俺はあなたに出会えないまま、十八で死んだ。でもこの世界はちがう。あなたに出会ったから俺は生きのびて、いまここにいるんだ。あなたが齢をとらないなんてそんなことはどうでもいい。俺はずっとあなたといたいんだ」
そのとき俺の頭をよぎったのは、これだから勇者ってのは――という思いだった。ふつうの人間が絶対やらないこと、やれると思わないことをやろうとして、やってのける。それが勇者というものだ。大胆とか無謀とか、そんな言葉じゃ追いつかない、愚かというわけではないにせよ、紙一重……。
俺の考えはそこで止まってしまった。アレフが俺から思考能力を奪うようなキスをして、俺を抱きしめたまま、跳んだからだ。
教会へ戻ると村長が妻とならんで待っていた。背中に幼女がしがみついて眠っている。村長は祭壇の裏の階段からアレフと俺を村へ導いた。張りぼてではない、本物の村だ。妻が俺をふりむいていった。
「よく帰ってきましたね。勇者たち」
*
それから、時はあっという間に過ぎて行った。
「イルスさーん!」村人が扉の外で俺を呼ぶ。
「来ましたよ。今度の勇者です。間違いありません。名前も秘伝書の通りです」
俺は扉をあけずに返事をする。
「わかった。手順通りやってくれ」
「見に来ないんですか?」
「すぐいく。今は取り込み中なんだ。ちょっと……」
あわてて答えた俺の首のあたりで、背後から俺の腰をがっつりホールドしている腕の主がいった。
「冒険者役なら俺がやる」
「アレフさんが? わかりました。じゃ、時間になったらよろしく!」
ぱたぱたっと村人がいなくなる。ここは俺とアレフが暮らしている塔だ。
「はじまりの村」の張りぼて群から少し離れた森の中にある。でも地下に広がる村の居住区からはそれほど遠くないし、俺とアレフなら張りぼての村まで一瞬で跳べる。
「魔王の封印が解けてこんなにすぐ出てくるなんて、世界の理も忙しいことだ」
金髪の男は半裸でベッドに腰をおろし、膝に俺を抱えたまま呑気な口調でいった。そしてまた俺の髪をまさぐりはじめたから、俺はとめるために手を伸ばす。
「だからこそ『世界の理』じゃないか。アレフ、早く準備しろよ。来るのは勇者といっても新人冒険者だから、怖がらせずに……」
「わかってる」
アレフの唇が耳たぶをかすった。ああもう! この男は!
「ほら、あとでいいだろうが。服を着ろ服を」
アレフは俺の言葉を無視し、指で俺の胸をはじいた。
「あっ……」
「まだ時間はある」
「時間なんてイベントが終わったあともたっぷりあるだろうが」
「たしかにそうだが……あなたが今度の勇者に目移りしないようにしておくんだ」
「そんなことしないって!」
アレフは聞いちゃいなかった。彼が勇者だった時から長い時が経ったが、俺にのしかかるアレフの外見はほとんど変わらない。どさっとベッドに押し倒され、俺はたちまち残りの服を剥ぎとられてしまう。村人がもう少しあとで来たらまずかった、と俺は思う。
「おまえ、勇者じゃなくても、宿屋に泊まる冒険者とたまにやりあってるだろう。まあ外見がそれだから、ガラの悪いやつがつっかかってくるのがわかるけどな」
「あなたを物欲しげな目でみるからだ」
「そんなこたぁねえだろ」
俺は呆れてそういったが、アレフは急に真顔になって俺をみつめる。
「イルス、ほんとうに俺もあなたのように、このまま齢をとらないのか?」
「たぶんな」
「あなたとこうしているから?」
長い指が俺の中をさぐり、感じやすい場所をえぐった。
「でもあなただって、俺の前には他の男がいて……」
「そんなっあっ、いっただろう……賢者の石に触れて……不老になるのは、魔王を封じた勇者だけだ」
アレフは俺の膝をひらき、中に押し入ってくる。
「だから――ぁああっ! そんなに強――あっうんっあんっあっ……」
「賢者の石が血肉に同化したあなたを抱いたら、俺も賢者の石に触れたことになるなんて……」
俺だってずいぶんご都合主義な話だと思う。これも「世界の理」とやらのひとつなのだろうか。
とにかく、魔王を封じたアレフは俺と一緒に暮らすうち、いつのまにか齢をとらなくなった。俺たちは魔王を封じた時とあまり変わらない姿のまま、この村に住んでいる。
どうも村人は俺たちも「世界の理」のひとつだと理解しているらしい。魔王が封じられているあいだはふたりで旅に出たこともあるが、封印が解けたあとはまた村に戻って、村人を手伝っている。
何しろ魔王の封印と勇者をめぐる「世界の理」はいまだに健在だ。「秘伝書」に名前のある若者――勇者が村の宿屋に泊まると、翌日魔王の眷属があらわれる。そのたびに張りぼての村は焼きつくされ、勇者は旅に出る。
今度の魔王は手ごわいらしい。勇者がつぎつぎに現れるので、最近は村の張りぼてを作りなおす間隔が縮まってしまった。村人は年がら年中トントンと釘を打っている。
俺とアレフが暮らす塔からは張りぼてが燃えるさまがよくみえる。夕暮れ時には巨大な焚火のようにみえるのだ。
(おしまい)
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