64人が本棚に入れています
本棚に追加
1.
その番組を見た日は確か、月末業務がひと段落して珍しく早く帰れた日だった。
たまたま流れていたテレビ番組。映し出されていたのは、青い空に青い海。真ん中に、境界線の様な橋。その橋を颯爽と駆けていくのは自転車だ。
(気持ちよさそうだな……)
潮風を受けながら自転車を走らせ、島と島を移動する。のどかな島の道を笑顔で走っていた。
ネクタイを外しながら、その様子を見ているうちに、気持ちよさそうな笑顔が、羨ましくなってきて。
(……行ってみようかな)
なんて思った自分を、呪ってやりたい。ペダルを漕ぎすぎてパンパンになった脚をさすりながら俺は道端でそう思った。
***
あの番組を見て一ヶ月後。ちょうど連休があったので、意を決して俺は島を巡ることのできる街道の出発地点へ向かった。その街に到着すると、すでに自転車に乗った人が結構いる。
ぴっちりとしたサイクリングスーツを身にまとった若者。褐色の肌を露わにした年配の人。本格的な自転車の人もいれば見るからに初心者って感じの人もいる。まあ、自分もレンタサイクルだけど。
「お兄さん、初心者?泊まる所は決まってる?」
レンタサイクル店の店員にそう言われて、俺はふと気が付いた。特に泊まる予定なんて考えてなかったのだ。
「……一日じゃ、行けれない距離ですか?」
「全長八十キロだからねえ、頑張れば日帰りできるけどねぇ。おすすめは泊まりだね。余裕があるから色々楽しめるからね。まあ、あまり無理しないように。気をつけて行ってらっしゃい」
ヘルメットを受け取りながらどうも、と頭を下げた。今日は秋晴れのいい天気だ。これならスイスイ行けるだろう。学生の時は、運動部だったんだしまだまだ行けるはずだ。
海を見ながらサイクリングなんて、何て贅沢な休日何だろう!
なんて思った自分を、呪ってやりたい。だいたい、運動部って何年前の話だよ。
***
初めの一時間くらいは本当に快適だったんだ。
穏やかな瀬戸内海を眼下に見ながら進む景色はたまらなかった。横で車が走っているけれど、ちゃんと自転車用に道があり、道幅が広い。きっと車で走るより何倍も気持ちいい。
キラキラと輝く海面に青い空。あの時あの番組を見ていてよかったと心底、思っていた。
橋を渡りきると今度は島の中の道をいく。専用道とはなっていないが、道にブルーのラインが書いてありそれが道しるべとなってどんどん進んで行ける。田舎道も心を癒してくれた……はずなのだが。
休憩を交えながら進んでいた俺の脚が、だんだんと重くなってきたのは、二時間くらいたったころ。
日頃の運動不足を甘くみすぎた。しかも島の道は意外とアップダウンが激しくて、どんどん体力を奪われていく。ゼエゼエ、と走っている俺の横をサイクリングスーツを着たカップルが楽しそうに走り去っていく。その後ろ姿を見ながら、何となく力が抜けてきた。
ええと俺は何でこんなに頑張ってるんだっけ?本当なら、家でのんびり出来ていた連休だというのに。残業で疲れた体に鞭打って、何でこんな田舎で自転車をひいひい漕いでるんだっけ。
そう思ったが最後、俺は自転車を止めて、道端に止めた。サドルから降りて、地面に座り込み、ミネラルウォーターを飲む。
(こんなに体力なかったんだな、俺……)
ぼーっとしながら過ぎ去っていく自転車たち。中には結構な年配の人もいるというのに、あっちの方が体力がありそうだ。得意げに購入してしまったサングラスを外して俺は空を見上げた。
(あーあ、もうなんだかめんどくさくなってきたな)
俺の悪いとこは『諦めの早いところ』だ。
とにかく困難があると逃げたくなる。流石に勉強や仕事は投げ出さないものの咎められることのないものはさっさと逃げる。
そんな性格だから、恋愛だってうまくいかない。というかそもそも俺はゲイなので相手はオンナではないのだけど、それでもうまくいかないのだ。
「もお、帰ろっかな……」
相変わらずの自分の根性なさに笑えてしまう。
その時、俺の前に一台の自転車が止まって、声をかけてきた。
「ちょっと、お兄さん大丈夫?」
道端でヘタれていた俺を見て、怪我でもしたと思ったのか、ヘルメットをつけたその男は心配そうに聞いてきた。
「ああ、大丈夫ですよ。ちょっと、疲れちゃって」
ヘラっと笑いながら俺は答える。少し人見知りな俺としてはこの初対面の距離感が苦手だ。さっさと行ってくれないかなあ。
「初心者さんですよね、ダメですよ無理しちゃあ。どれくらい走ったの」
初心者、と言われちょっとだけムッとしてしまった。何だよ、小馬鹿にしやがって。
「二時間くらいですかね……ああでも、休憩していただけですから、本当に大丈夫です」
「心配だなあ、一人でしょ?ご一緒しません?」
「は?」
何故そうなる?何故そうなった?
見ず知らずの自転車野郎と一緒に何故、一緒に走るハメになるんだ?
最初のコメントを投稿しよう!