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3.
背伸びをしながらヘルメットを被り、そろそろ行くかとサドルに跨る。すると、俺の方を見ながら村上が聞いてきた。
「そう言えばどこに宿、とったの?」
「えっ」
「……ねえ、まさかと思うけど、幹っち日帰りのつもりだった?」
オレが頷くと、村上はふうとため息をついた。レンタサイクル店の店員と同じように、日帰りはキツイよと諭される。そんなこと言われたって、宿なんて予約してないし、とオレはむすっとした。
「仕方ないなあ。ウチに泊まる?」
「えっ!今日出会ったばかりで、申し訳ない……」
「まあまあ。一人暮らしだし。おいでよ」
村上の家は田舎によくある一軒家だった。
夕飯はコンビニ弁当。村上いわく、島の住人だからって自炊が得意な訳じゃないから!と。確かにコンビニ弁当とこの一軒家が似合わない。俺が笑ってると、ますます頬を膨らませていた。
「俺の方が料理出来るかもしれないな。残業が少ない時は自炊してるから」
弁当を突きながら、俺がそう言うと村上は目を丸くしていた。
「えっ、意外!」
「どういう意味だよ」
夕飯を食べ、風呂に入り寝るまでの間、ビールを飲みながら、お互いの話をした。村上は親の代からレモン農家で二年前から働き出したこと。休みの日には自転車に乗ってあちこちを走り回ってること。俺は営業の仕事をしていて普段は運動してないこと。隣の県に住んでいること。そして、お互いに付き合っている人がいないこと。
どっちが早く恋人ができるか競争しようぜ、など高校生みたいなことを村上が言いながら、お互いの連絡先を交換した。彼女、なら俺はずっと勝てないままだなと思いながら少し笑った。
朝起きて、身体中が筋肉痛。これ、今日また自転車漕げるか?ってレベル。這うようにして布団からでると
「起きてるー!?」
襖の向こうから、村上の元気な声が聞こえた。五歳違うとこんなにも体力に差があるのか……。借りた寝巻きのまま、よろよろと襖を開けようとしたら、向こうからスパーンと勢いよく開けられて、俺の情けない格好を見た村上はプッと笑う。
「……なんだよ」
腰を持ったまま俺は村上を睨む。
「幹っち、レンタサイクル屋さんまで車で帰ろうよ。そんな状態だったら仕事行けなくなっちゃう」
車で帰る、と言われて正直ホッとした。俺は着替えをしながら村上に聞く。
「車……」
「僕が送ってあげるよ。全く世話が焼けるなあ。今度来るときは体力つけて来てよね」
今度、そっか。また来てもいいんだ。
てっきり乗せてくれる車は軽トラか、軽自動車だと思ってたのに。俺の前に来た車はまさかのスポーツカー。しかも真っ赤だ。
「これ、自転車積める?」
「大丈夫、大丈夫」
ツーシーターの車に無理矢理詰め込んで、出発する。昨日あんなに頑張って走った道。あっという間に駆けていく。レモンの木も、キラキラした海も。
「あっという間だなぁ」
窓を少し開けて、外を眺めながら呟くと村上はそうだねと答えた。
「で、人生初の長距離サイクリングはいかがでしたか?」
村上が運転しながら聞いてきた。
きっと昨日、あの道端で、こいつに会わなければあのまま帰っていただろう。それまでみた景色も忘れて、疲れただけだったなと行ったことすら後悔してたかもしれない。
でもあのとき、村上が話しかけてくれたから、たくさん堪能できた。あの坂道の上の景色も、レモンの味も。そして何より、村上の笑顔も。
「村上があちこち連れてってくれたから楽しめたよ。ありがとうな」
それを聞いて、運転している村上の横顔が少し照れていたように見えた。
それにしても、俺のこの惚れっぽい性格を、どうにかせねば!
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