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それから三か月。相変わらず残業続きの日。日中もバタバタしているし、帰りの電車では爆睡している。ただ、以前と一つだけ違うことがある。休日には少しジョギングをするようになった。距離はまだまだ少ないけれど、続けているうちに気がついたら以前より疲れにくくなっていた。だんだんと体力ついてきたのかな、と思いながら走る。 村上とはそれ以降、数回メールでやり取りをした。筋肉痛はもう大丈夫かとか、他愛のないやり取り。仕事が忙しくて、返信がどうしても遅れがちになるのと、向こうも忙しいらしく、そのうちメールも途絶えた。元々偶然に出会った二人。趣味が合うわけでもないし、いつまでも連絡は続かないことは何となく予感していた。 それでも俺は村上と過ごしたあの二日間をたまに思い出す。村上の笑顔と一緒に。あの時、ちょっと感じていた恋心はだんだん薄れていき、思い出は膨らんでいった。 その日はやけに冷える日だった。天気予報では雪がちらつくかもしれないと言っている。細身の俺には寒さが堪える。ほんと、もうちょっと筋肉つけないとなあ…… 明日は休日。何を作ろうかなあとスーパーに入り食材を眺めていた。ポケットに入れていたスマホが着信を教える。仕事帰りの電話は上司であることが多い。何だよ、もう仕事は終わったぞとスマホの画面を見ると相手は上司ではなくて…… 『村上?』 『あー!幹っち!元気してた?』 スマホ越しに聞こえる元気な声に、俺は思わず笑ってしまった。 『相変わらずだよ。お前は元気そうだな』 『何だよ、それ!ねぇ、幹っち明日休み?僕さあ、用事でそっちに行くんだけど、終わったら幹っちのところに遊びに行こっかなって。どうせ暇だろ』 俺はスマホを持ったまま立ち止まった。 『お前、俺の部屋をホテル代わりにしようと思ってないか?』 『まあまあそんなこと言わずに。最寄りの駅、教えてよ』 相変わらず強引なやつだ。思い出になっていた村上との時間が巻き戻ったように感じる。俺は少し笑って、村上に最寄り駅を教えた。 *** やっぱりとは思っていたけど、ほんとに俺は惚れやすいと言うか……薄れていた筈の恋心は、三ヶ月ぶりに見た村上の笑顔でまたムクムクと膨らんだ。 「ウチのレモン持ってきたからさ、レモン鍋しようよ!」 手に持っていた紙袋を俺に渡しながら見せた笑顔は、あの日島で見た笑顔と同じだ。紙袋を受け取りながら胸のドキドキが聞こえてないか、不安だった。 「へー、牡蠣も入れるんだ」 鍋の具材を近所のスーパーで買い出しをする。豚バラ肉や野菜、そして牡蠣。なかなかのボリュームだ。普段料理をしないと言っていた村上だが、レモン鍋は作ってくれるという。 「そう。牡蠣なくてもいいんだけど、あったほうが格段に美味いんだ」 購入した食材を袋につめて、二人で部屋まで帰る。その間にも村上はずっとおしゃべりをしていて俺は閉口した。そうだった、めちゃくちゃ喋るんだったな…… 部屋に着いて、辺りを見渡した村上は荷物を置いてこう言った。 「思ったより、綺麗にしてるね。だけど女っ気ないなぁ。まだ一人?」 「ディスってんのかよ……恋人はいないよ」 俺が口を尖らせると村上は笑う。 「じゃ、仲間だ」 狭いキッチンに男二人。包丁とまな板を取り出し、村上がさっそく食材を切っていく。 「中々、島で出会いなんかなくてねー。前付き合ってた人は今日みたいに、県外に行った時に出会えたんだ」 「へぇ。何で別れたの」 「性の不一致」 ストレート過ぎる返事に俺は苦笑いした。何だよ、性の不一致って! 「僕の求めることと、あっちの求めることが違ってたからさ」 村上は作業しながら呟く。俺は横目でそんな村上を見た。何がダメだったんだろう。そして、どんなセックスをするんだろう。キスをすると、どんな感じなんだろうか。俺より背の低い村上。キスをするとき背伸びするのかな。どんな声を聞かせてくれるのかな。 そんなことを考え出して俺は首を振る。妄想が過ぎるだろ! 「美味い!」 完成したレモン鍋を一口食べて俺がそう言うと、村上は嬉しそうに自分も食べ始めた。牡蠣のエキスが出たスープと豚の脂。そして野菜の甘味。上にびっしり置かれたレモンの輪切りの酸味でさっぱりしている。 「うちの自慢のレモンだからね。幹っちに食べてもらえて嬉しい」 ビールを飲みながら、笑う村上。あまり強くない方なのだろうか、すでに顔が赤い。 鍋を突きながら近況を伝え合う。最近、ジョギングしていることを伝えると村上はニヤニヤしながら、俺の頭にぽんぽんと手を乗せた。 「偉いじゃないか!じゃあ来年は一緒に走ろうね!」 そう笑う村上の口元に、レモンの種がついている。俺はその種を取ってやろうと顔を近づけた。指を伸ばして口元に触れようとしたのだけど……間近に見た村上の瞳に吸い込まれるように、そのまま、キスをしてしまった。柔らかい感触に、身体がジンとする。 「んっ……」 驚いた村上の声で、ハッと我に帰った。顔を離すと村上は真っ赤な顔のまま俺を見ている。やばい、やっちまった…… 「ご、ごめん!」 後退りして体を離す。指で唇を触る村上。きっと気持ち悪いよな。正座をして俺は村上に言う。 「……俺、恋愛対象は男なんだ。だから彼女なんていないし、いたことないし……って、そんなこと言ってる場合じゃないよな、ごめん」  さっきまで楽しく過ごしてた部屋の中が、まるで真冬の夜中のように静かで寒い。寒いのは冷や汗のせいだろうか。無言のまま、村上は下を向く。 そりゃ、嫌だよな。気持ち悪いよな。俺は自分のしたこととはいえ、泣きそうになってきて、自分の膝をぎゅっと掴んだ。下手したら涙が出そうなのを堪えて、項垂れた。 五分くらいそうしてただろうか。ふいに村上が立ち上がる気配がした。俺はもう顔を上げることもできず、身体を動かせない。きっとこのまま帰ってしまうのだろう。 すると、背後からふんわりと村上の腕が俺の体を包んだ。そして村上の声がした。 「僕も彼氏しか、いなかったよ」 ……へ?いま、なんて……? 俺は思わず顔を上げて振り向く。そこには顔を赤くした村上がいる。いや、さっきよりさらに顔が赤い。村上に抱きしめられている、この状況。もしかして、もしかしたら? 「お前、ゲイなのか?」 その言い方に、村上は不満だったのか口を尖らせた。 「幹っちこそ!悩んで損した!」 「はあ?悩むって……」 「へたばって道端に座ってた時から、幹っちに一目惚れしてたんだから!島だからってノンケだばかりと思わないでよね!」 「はあああ?!お前彼女いないって…」 「『恋人』って言いました!」 「なんだよ、ソレ!」 俺は思わず吹き出して、大笑いした。村上もつられて大笑いする。大笑いしすぎて、腹が痛い。何だよ、俺ら。両想いだったなんて。 笑い終えると、視線があって、今度は村上の方からキスをしてきた。軽いキスはいつのまにか濃厚なキスに変わっていく。 「ん……あ……」 村上が手を差し出してきたので、手を合わせ手強く握る。それだけでもう身体が熱くなる。唇を離すと、村上はいたずらっ子のように笑う。 「さっきいってた性の不一致なんだけど。別れた理由、分かる?僕、タチなの」 そう言われてピンときた。どちらになるか、で揉めたのだろう。俺が笑うと、村上は額にキスしてきた。 「幹っちは?」 「少なくとも、そこはクリアできてる」 「よかったああ!」 村上は強く俺の身体を抱くと、心底ホッとしたような顔をした。 *** 「今度、またうちに泊まってよ」 翌朝。朝食のパンをかじりながら村上は言う。あっという間の展開で、俺は若干夢じゃないだろうかなんて思ってたけど、村上はケロっとしていた。 「そうだな、遊びに行くよ」 「うん。まだまだおすすめの景色、たくさんあるからさ。一緒に観に行こうね」 その笑顔がまた可愛くて、俺はついつい顔を赤らめた。こんな可愛いのに、タチなんだよなあ…… 「どうかした?」 「なんでもない……あ、そういえば今更だけどさ、名前教えてよ。せっかく恋人になったんだからさ」 そう言うと、少しだけ村上の顔が曇った。 「何だよ、言いたくないのか?俺は宗隆(むねたか)だよ。村上は?」 「……たろ」 「ん?」 「太郎だよ!」 たろう、と言った時、村上は恥ずかしいそうにソッポをむいた。きっと名前が古めかしくてあまり言いたくないのだろう。確かに太郎という名前と風貌が一致しない。 「可愛いじゃんか、太郎って」 「そっ、そんなことないっっ!」 ポカポカと俺を叩く村上に、俺は笑った。 テーブルの真ん中に置いていた、昨日余った村上のレモン。きっと俺は村上とこのレモンに、恋したんだ。そしてこれからも恋していくんだ。 【了】
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