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春に私は恋をした
「私は君の事が大好きだよ」
でも届かない。ほんのすぐそこにあるのに届かない距離。
私達はこの距離で生きていくんだ。
あれは私が病院で迎えた15回目の春。桜の蕾が開き始めた頃、貴方と出会った。
「随分と早い花見だね」
私は、胎児の頃に重度の先天性心疾患を抱えていることが判明した。
お腹の中にいる時点で、余命5年を宣告されたのだ。
生まれてからずっと病院での生活で、幼い頃は体調が優れている時のみ実宅療養も認められたが、すぐ体調が悪化し、病院との往復が多かった。
だけどここ数年は症状も悪化の一途をたどり、外に出ることも難しく残された治療法は移植のみとなった。
ただそれもこの国内では無理な話だろう。
ただでさえ少ないドナーの臓器を、順番待ちの患者が奪い合い、列に新しく並んだ人から優先的に選ばれるからだ。
誰も助けてくれないこの世界に、もう未練はない。
ただ、この桜が見れなくなることだけが心残りだ。
それなのに、この男は―――
「まだ寒いから体に気を付けてくださいね」
なんて澄ました顔で言って去って行った。
―――病院でナンパ?そしてすぐ去ってくってなに考えてんだコイツと思ったけど、シカトすることにした。
これが彼との出会いだった。
「やぁ今日も会ったね」
翌日もまた同じ場所で会った。平日のこの時間に来るということは、彼もこの病院に入院しているのだろうか。
それとも、もしかしたら私のこと待ち構えてたのか、何て思ったりもして警戒したが、まぁそんな訳ないだろう。
「昨日会ったばかりなのに、今日も会えて嬉しいよ」
普段男性と言えば、担当医か父親としか話す機会の無い私にとっては、そんな些細な台詞にも免疫がなかった。
恥ずかしげもなくいう彼に、不覚にも照れてしまったのだ。
照れてるのがバレないように、当たり障りの無い会話をすることにした。
「あなた名前は何て言うの?」
「あ、まだ自己紹介もしていなかったね。僕は斉藤千春。17歳だよ」
「17歳なの?タメくらいかと思った。私は広瀬 凜よ。15歳」
「確かに見た目も細いし、チビだし、声も高いしね。千春って名前もよくからかわれるんだよ。男の癖にオカマみてぇだなって。っていうか君こそ15歳なの?随分大人びて見えたよ」
「一応誉め言葉として受け取っておくわ。斉藤君はこの病院に入院してるの?」
「ううん。ちょっと具合悪くてね。定期的に病院に来てるんだ」
それを聞いた私は、なんだ健康的な人か。とちょっと落胆した。入院してる人なら少しは話がわかるかなと思ったけど、彼はお構い無しに話し続ける。
「僕はねここの桜を観に来たんだ。ついでに桜の木に病気が治ります様にってお願いしてるんだよ」
「桜の木に願ったところで…現実は何も変わらないわよ」
私だって小さい頃に同じような経験がある。
桜の季節しか外に出れない私にとって、神様のような存在だった桜の木に、心臓を取り替えっこしてください。元気にしてくださいって。でももうどうしようもないのだ。
「うん。でも僕は僕以外の人の為に願ってるんだよ。あの子が元気になりますように、笑顔になりますようにって」
彼の屈託のない笑顔から無邪気に発せられたその言葉は、私の心を酷くざわつかせる。
「私はもっと生きたかった…誰よりも生きたかった。なのに…自分の為に祈っちゃいけないわけ?なんで人の為に祈ってるやつがちょっと不健康程度で、必死に自分の為に祈ってた私は救われないの!?」
大声で私は彼に怒鳴った。
別に彼は悪気はないのに、会って二日目の相手にこまで自分をさらけ出す自分の方が、よっぽど痛い。穴があったら入りたい気分だ。
彼は少し悲しそうな表情になり、
「デリカシーがなかったね。ごめん」
そう謝ってその場を去って行ってしまった。
その夜考えた。彼は悪くない。そして、私は気付かされた。私はまだ生きたいんだと。
あれから三日経ったが、斉藤君には会えてない。
出来れば、言い過ぎたことを謝罪したいのだが、病院に来ない彼に勝手に怒っていた。
桜も五分咲きくらいになってきたのに、桜を眺めているだけじゃ物足りない感じがする。(顔くらい見せても良いじゃない!!)
あの笑顔を見れないと、無性に不安な気持ちに襲われる。何だか形容しがたい感情が私の心を苦しめる。
その次の日彼は病院にやって来たが、ちょっと落ち込んでそうだったので私から声をかけてみた。
「斉藤君ずいぶんと顔を見せなかったじゃない。予定でもあったの?」
「うんちょっと用事があってね。どうしても来れなかったんだ」と弁解していたが、なんだかモヤモヤする。
今まで感じたことのないものだ。
「突然聞くけどさ。凜は自分の名前好き?」
その突然の下の名前を呼び捨てにされたことに、再び顔が赤くなる。耳まで赤くなってないだろうかとひどく心配した。
凜なんて、親以外に言われたことなかったから、モヤモヤが吹き飛ぶくらい浮かれてしまった。
「僕はね、前も言ったけど、自分の名前が好きじゃないんだ。同級生からはからかわれるし、バカにされる。もし僕がいなくなったら、こんな名前誰か覚えててくれるのかななんて思ったりするんだ」
「私は好きだけどな千春って」
千の春と書いて千春なんて、まだ15回しか春を経験していない私にとっては、羨ましいと素直に思った。そんなに長く桜を見れたらどんなにいいことかって。
でも彼の白い顔が真っ赤になってるのを見たときに、私は自分が爆弾を投下したと認識してしまった。
これじゃあまるで告白したみたいな流れになってる!!
「ち、違うからねっ!!そ、その、こ、告白とかじゃないんだから!!ただ名前が素敵だと思っただけ!!」と必死に言い訳をする私。
「そ、そうかな?凜がそう言ってくれると、なんだか元気が出るよ」と彼はぎこちなく返事をした。
「千春は学校行ってないの?」
私と彼が仲良くなるのはそう時間はかからなかった。
彼は毎日会いに来てくれるし、彼には自然となんでも話せる雰囲気があったのも打ち解けられた要因だろう。
それに、彼の幼い笑顔は私の心を暖めてくれる。
話を聞いてると、千春は最近高校を退学したようだ。
深くは話してくれないけど、全日制の高校を辞めて今は自宅で療養しているらしい。
思ったより重い病気なのかと、心配になって尋ねてみるけど、その度話をそらされてしまう。
ちなみに彼女はいないみたいだ。少しホッとする自分がいた。
「凜はさ、治ったら何かしたいことある?」
缶コーヒー片手に、中庭のベンチで私に唐突に訪ねてきたことがある。
「治ったら?んーもう考えてもなかったなぁ。あのね、私の胸には人工心臓が埋まってるの」
「人工心臓?」
「そう。もう元の心臓が限界を迎えてね、心臓移植を待つ間の繋ぎみたいなもの。でも繋ぎだからしょせん期限が決まってて、それが二年くらいでもう半分切った。どこか行きたいなんて思えないよ」
「そうなんだ…何も知らないのに変なこと聞いてごめんね」
違う。千春にそんな顔させたかった訳じゃない。
彼の落ち込む顔は、見てると私も悲しくなってくる。でも、もうどうしようもないの。
「僕の心臓をあげられたらな、そしたら一緒に色んな街に行けるのに」
彼は遠くの桜の木を見ながら、ポツリと呟いた。
「心臓あげちゃったら、こうやって一緒にいれないじゃん」
最初は軽い人かと思ったけど、彼は優しい人なんだ。
素直で正面から私を見てくれる。だけど儚くて、何処かに行ってしまいそうな危うさも持っている人なのだ。
桜の花びらのように。
「僕と約束してくれないか。いつか君が救われたとき、僕の事を忘れないでほしい」
彼はそう言って桜の刺繍がされた御守りを私にくれた。
男性からのプレゼントなんて初めてで、とても嬉しかった。
「はいはい。千春を忘れるわけ無いじゃん。ずっと友達だよ」
あれからまた千春が姿を現さなくなった。千春が私の前から姿を消して一週間経つ。
その間に、なんと私に適合するドナーが見つかったらしい。急ピッチで予定が組まれ、2日後には移植手術が決まった。
まさか私にドナーが見つかるとは思ってもいなかったから、気持ちが昂ってしかたがない。
千春に、私助かるかもっしれないって伝えたかった。
テレビの中で、アナウンサーは桜の満開はもうすぐだと笑顔で言っている。
手術日まで外に出ることが出来なくなった。
私の入院部屋からは桜が見えず、眼下には住宅街のみが見える。今まではモノクロにしか見えなかった世界が、私もあの中で普通に暮らせるのかと思うと、自然と涙が出てきた。
今まで生に希望など見いだせなかったのに、世界が180度変わって見える。
この気持ちを千春と共有したかった。
抱き締めて、「私生きられる」と言いたかった。
千春に早く会いたかった。
手術当日、千春はまだ姿を見せない。
手術は12時間かかったが何とか成功し、10日で一般病棟に戻ることができた。
体調も落ち着いた頃、病室で一人横になっていると、見知らぬ女性が病室を訪れた。
年はお母さんくらいに見えるが、どこか見覚えのあるような顔立ちをしている。私に深々とお辞儀をし挨拶をする。
「お会いするのは初めてですね。私は斉藤千春の母親です」
まさかの名前に、私は固まってしまった。
「貴女の話は千春から聞いていました。病院に可愛い子がいるんだって嬉しそうに話してたんですよ」
ただでさえ千春のお母さんが目の前にいるのにビックリしているのに、千春が私の事可愛いなんて言ってたという事実に、頭がパニックになっていた。
「え、え、えっと、千春とは仲良くさせて頂いてます。その、最近千春の姿が見えないんですけど、体調が良くなったんですか?」
手術後にも姿を見せない彼に若干怒りを覚えていたので、おばさんに尋ねてみた。
「これを読めば、千春が顔を見せなかった理由がわかるわ。申し訳ないけど、これから忙しくなるから帰らせてもらうわね」
そう言って薄紅色の封筒を私に渡し、千春のお母さんは帰っていった。その顔はとても憔悴しているように見えたのは気のせいだろうか。
手渡された封筒を引いて確認してみる。
広瀬 凜様
これを読んでいるということは、貴女の手術は成功し、僕は貴女の前からいなくなっていることでしょう。
凜には言い出せなかったんだけど、僕の頭の中には誰も治せない動脈瘤(血の塊)があります。
運悪く破裂したら助からない箇所にあり、手紙を書いている今この瞬間にも破裂してもおかしくない状況です。
もしそうなったら、僕の臓器はドナー提供しようかと思っています。
凜には詳しく話せなくてごめんなさい。
君に出会うまでは、実は生きることに絶望していました。
何故自分がこんな目に遭わなくてはいけないのかと、世の中を恨みました。
だけど、僕が精密検査を受けに行った日の帰り道、まだ咲いてもいない桜の蕾を、寂しそうに眺めていた貴女の姿を見かけたとき、とても胸が締め付けられ、涙が溢れてしまいました。
あぁこの人も生きることを諦めた人なのかと、きっと僕より辛い日々を過ごしているんだろうと直感的に思いました。
今思えばあのときに既に心を奪われていたんだと思います。
それから凛と話していくうちに、貴方は生きることに諦めてるわけではなく、誰かに生きる為に手を差し伸べてもらいたいんだという事がわかりました。
だから、僕は貴女の側で自分の命が尽きるまで、手を差し伸べてあげたいと心に決めました。
僕がいなくなっても、凜が希望を持って生きれるようと。
どうか生きることを楽しんでください。
一緒に桜を見ることも、一緒に出掛けることも出来なくなってしまったけど、心はいつもそばにあります。
春が来る度、思い出してくれたら嬉しいです。
ありがとう。大好きでした。
斉藤 千春
読み終えたときは、手紙のインクが涙で滲んでいた。
これほどの痛みは私は知らない。
心臓が苦しい。もう彼に会うことができないという現実が、私の心をめちゃくちゃに掻き乱す。
そこで便箋に何か入っているのに気付いた。
逆さまにすると、桜の花びらが一片落ちる。
―――無事に退院でき、久しぶりに外に出ることができた。
季節は進み、もう桜の木もすっかり葉っぱが生い茂っている。
私と千春が出会った時間を置いていったかのように、周りの時間は流れている。
歩き出す為にも、千春のお母さんに会いに行くことにした。
突然訪れた私を快く受けいてくれ、彼の笑顔が納められた写真の前で線香を上げた。
おばさんの話だと、千春は亡くなる数日前から体調が悪かったらしい。なのに私に会いに行こうとする途中で倒れて救急で運ばれたが、昏睡状態から脳死と判断されたようだ。
その後、臓器の適合者を調べていくうちに、驚く事に千春の心臓が私に適合したのだ。
彼はどこまで私を助けてくれるのだろう。
おばさんにお礼を言って、家を出た。
千春が体を張って私に生きる道を与えてくれたのなら、私は頑張って生きてみるよ。
季節が変わっても、あの笑顔はいつも私の記憶の中にある。
私の中に心臓がいる限り、なんだって出来る気がする。
ポケットの中の花びらを取り出して眺めていると、季節外れの南風が、天高くさらっていった。
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