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さあ今日は金曜日。仕事が終わったら、ずっと飲みたかったお酒を買って帰ろう。
「嬉しそうだな、仕事終わったら何かあるの?」
タクミが鼻歌を歌いながら廊下を歩く私を見つけて、声を掛けてきた。
「ずっと飲みたいなと思ってたお酒買って帰るんだ!」
「一人で?」
「そうだけど?」
「俺もつき合う。俺の部屋から桜が見えるからうちで飲もう」
私はタクミを階段の踊り場に連れて行って、ひそひそ声で訊いた。
「ちょっと、秘書課の美人は⁈」
私の言葉を聞くために身体を屈めたタクミが、ニコっと笑って言った。
「別れた」
「何で!」
「一緒にいたい人がはっきりしたから」
「婚活?」
「そう。その話はまた夜な」
私は仕事が終わって、タクミと久しぶりに一緒に退勤した。彼女が社内にいる時はこれでも遠慮をしてたんだ。
酒屋さんに寄って、お目当てのお酒を買った。
「一人で飲むのにこんなに買うのか?まさかこれ一晩で飲むつもりじゃ……」
タクミが若干引いている気がする。
「持って帰るし、そうだ、タクミの部屋にキープで置いといていい?飲んでもいいよ?」
彼は口をハートの形にして笑いながら、それはいい考えだ、と言った。
かなり久しぶりにタクミの部屋に上がる。一年以上は来てないな。
「おじゃましまーす」
部屋の雰囲気自体が随分変わっていた。前の彼女が好きそうな感じの、モノトーンでお洒落な生活感の無い感じの部屋。
「おっしゃれー!」
「あー、俺の趣味じゃあないんだけど」
「そんな元カノディスるみたいなこと言わないの!……でもタクミはほんとはカラフルなのが好きだもんね」
「そうそう。だからやっと出したんだ、これ」
七色、七つでお揃いのグラスがキッチンのカウンターに虹のように並んでいた。
「あー! あったねこれ! 私今日は何色にしようかな」
「リナはだいたいこの色だろ。ほい」
オレンジ色のグラスを選んで、タクミは私に渡してきた。
「……なんでわかったの?」
「……何年の付き合いだと思ってんの?」
すぐ側まで来て、オレンジのグラスを私の手に包ませると、タクミは私の髪を犬にするみたいにクシャクシャとして笑った。
「俺は何色のグラスかわかる?」
「……赤でしょ」
「……そうだよ」
「俺がおやつに食べたいのは?」
「えびせんと、チョコ掛けの柿の種」
「……リナ、お前だけだよ、一々言わなくても俺が好きなもの知ってるのって」
タクミがオレンジのグラスと一緒に私を抱きしめた。
いつものタクミの匂いがする。安心する匂い。私は彼の腕の中で目を閉じた。
そうだ、男の人は怖いけど、タクミは怖くなかったな……。
いつ連絡が来るかわからない素性を知らないジュンを待つよりも、安心できてずっと側にいてくれるタクミを私は選んだ。
あの雑貨店にも二人で行くようになった。また一人でジュンと出逢ってしまったら、逆らえる気がしなかったから。
私にとってジュンは映画で見るようなどこかの国の王子さまだ。どこからかお忍びで現れて、そして去っていった。だって、あのタトゥーは可愛くて端正な顔にあんまり似合ってなかった。
でも、まだ彼がくれたピアスは外すことが出来ずにいる。
素敵な思い出の象徴だから。
ジュンに雑貨店で会うことも無く、スマホに連絡も無いまま、また冬が来た。
「あれ? リナ、耳腫れてるぞ」
「うん、急にね。自分の誕生日なのについてないなあ」
ジュンからもらったピアスを着けているピアスホールが、雑菌でも入ったのか、急に熱を持って腫れた。
私は冬生まれ。タクミもそうだけど、私が少しだけ早く生まれている。
「寒いから、血行悪いのかもな。病院行って治療しなよ。痛いだろ?」
タクミは優しく私の耳に触れてキスをした。
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