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壱「ヴァリアントグリーン」
終業のチャイムが校舎内に響き、短いようで長い高校生としての初日が終わっていく。
ただ退屈なだけだった入学式も、どうにかやり過ごしたと思っていると、今度は廊下の方から部活動の勧誘の声がわいわいと聞こえてくる。
正直、俺には普通の部活動の経験が無いものだから、それがどういうものかという感じで、少し興味があった。
机の上から渡された書類やらなんやらを片付けて、何をしようかと考えていると、同じように周囲を見回している同級生と視線がかっちり合ってしまった。
「…………」
困った風に笑っていると、相手も同じようにしていた。大方、似たようなものかも知れないと考えていると、その生徒が話しかけてくる。
「どこに入るか迷ってる感じ?」
「うーん。別に強制はされてないから、入らなくってもいい気はするけどね」
それもそうか、と彼は唸った。
「ていうか、名前なんだっけ」
「ん? 緑だよ。綱取緑(つなどり・りょく)。君は」
「久場垣裕貴(くばかい・ひろたか)。南の方から来たんだぜ」
「雑な出身地の紹介だな。俺は影守町の出身だよ」
「影守? どこだ、それ」
「ここからは北の方に電車で二時間くらい走れば着く場所だ」
裕貴はふうん、と頷いて。まあ、よろしくと右手を出した。
それを同じように右手で取ると、静電気のような刺激と言いようのない不快感が一瞬だけ全身に走った。ほんの一瞬なので、深く考えることもなくその手を離した。
「中学はどういう活動してたんだ?」
「あ、えーと」
言っても解らないだろうなあとは思う。だからといってここで答えないというのもおかしな話だとは思うんだが。
「オカルトの研究してたよ、そういうのが面白くてさ」
半分だけ嘘吐いた。
「オカルト?」
首を傾げられた。変な風に思われるのは慣れっこだけれど、引かれるのは避けたいところだった。それでも言葉が出てこないのが、どうにも閉鎖的な環境に居た人間の弱みだろう。
別に弁解する気もないけれど。
「そんな部活動があるのか。そんなのよほどの好事家でもない限り入らないと思うけど」
意外そうだった。俺としてもその反応は予想外のそれだったけれど。
そんなよほどの物好きだと評価されている俺は何なのだろうか。
「あ、でもここにもオカ研はあったと思うな」
「別に入る気はないよ。活動の内容が中学の時とは違うし」
そうなんだ、と裕貴はさして気にした風でもなかった。その反応自体はわりあいよくあるものだろうし、俺が中学の時何をしていたかなんて話したくもないのだから、そのままでいいやと話を切った。
「己も大して熱心にやってたわけじゃあないからなあ。ま、帰宅部でもありかなとは思うね」
俺の知る限り、この五木原高校は目立った実績はなく。ごく普通の進学校と言った風情だった。少なくとも、毎年少なくない数の難関大学合格者を出している安定性は、そこらの自称進学校とは違うのだろうけれど。
「……ん?」
「どうかした?」
不思議そうに俺を見ている裕貴に対して、視線を向けずに後方を見ている。そこに何かを感じたのだ。
「何だろう、大きな圧力をもった気配が近づいてきてる」
「気配? そんなん判るのか」
「んー。一応そういう訓練はしてたから」
裕貴はその返答を訝ることもなく「そうなのかー」と納得した。確かにこの世界では珍しいことでもないのだから、その反応自体は特段怪しむものでもないのだが。
こつ、こつ。ゆったりとした足取りでこちらに向かってくる。その地点に意識を合わせても、まるで周囲に壁を張っているように気配を探れない。正直そんな相手は初めてだし、向こうもこちらが探っていることに気付いている。
速度を全く変えることなく、足音だけを響かせる。
幽霊に似た不気味さを持つ相手はこれまで幾度もやりあってきたけれど、これほどの不明瞭さは感じたことがなかった。
こつん。教室の前で足音が止まる。
一瞬だけ、右手をポケットに伸ばしかけるが、抑えた。
向こうにいる人物からは全く敵意を感じないので、ギリギリまで様子見をしようと思ったのだ。
教室内にいる生徒は何事かと視線を向けてくる。
「失礼するよ」
引き戸をゆっくりと開き、その生徒は教室を見回す。その顔にはひどく見覚えがあり、その記憶を確定的に引き出したのは、その精悍な顔の右眼の下に施された矢印形のタトゥだ。
背が高い。目測では185くらいか。そいでいて非常にがっしりした体格をしているものだから、相応の圧力はあって当然なようにも思える。
萌崎渦錬(ほうざき・かねり)。
世界にごく稀に現れる「全知能力者」、通称アカシックレコーダーという特殊すぎる異能者だ。
あまりに異端過ぎて、世界最強の異能者の一人として数えられている奇特な人物。こういう存在を目の前にするのは、あまり経験がなかった。
「見通す槍(グングニル)」
裕貴が呻くように漏らした。俺もその異名は知っていたけれど、なぜそんな異名を受けるに至ったかは、聞いたことはなかった。
そんな人が何故ここに居るのかは知らない。というか前情報を仕入れる段階でも、そんな名前はどこにも載ってはいなかったから、知りようもなく。
どんな酔狂でこの学校にいるのかなんて、考える時間などありもしないのだ。
その緩んだ視線が俺を捉えた瞬間。
彼の右手が俺の目の前で『停止』した。
およそ二メーターの間合いを踏み込み、右腕で俺の頭蓋を鷲掴みにしようとしていたのを、反射的に防御していた。
「は、これが『魔眼光盾(アイギス)』か。凄まじいな」
その台詞に、見抜かれていると感じるのは別に不思議じゃない。全てを知り、全てを識ることのできる人間が相手なら、それでも疑問を持つことは有り得ない。
「くそ」
それより、この場で「霊能」を使わされてしまった愚鈍さを嘆くべきだった。わざわざ引っ越してまで普通の人間が集まる学校へ入学したっていうのに、初日で手の内を晒すのは完全な失態だった。
武器の錫杖は鞄の中だし、数枚の霊符で相手取れるとは到底思えない。ここで戦うのは他人を巻き込むことにもなるし―――と、考えたところで眼前で光る盾が消える。
その縛めから放たれた渦錬はしかし、俺を追ってくることはない。
「……?」
珍しそうに右手をぐーぱーしている。
しばらくそうしてから。
「気に入ったよ、流石にイレギュラーな相手には勝てないな」
独り言ちるようなそんな台詞を、確実に俺に向けて放ち。その上で堂々とした歩みで俺の前に立った。
「綱取緑君。君、請負人をやってみないか?」
そう言った瞬間、教室内がにわかに騒がしくなる。どういうことかは判らないけれど、それでも大騒ぎにならないのは周囲の生徒にも詳しいことが解らないからだと思う。
「請負人? それは、どういう」
「名前の通りだよ。幅広く人々の頼み事を聞いて、問題を解決する代行人。僕がそういうことができないからね」
この周辺で適格な人物は君しかいないと践んでいた、と続けるが、それをいきなり信用するような馬鹿はそうそう居るまい。
「意味が解らないんですけど」
「僕の手足になって欲しいと言っているだけだよ。僕はあまりおおっぴらには行動できない立場だからね」
「…………?」
やっぱり解らなかった。言っている意味ではなく、その台詞の裏にある『個人の事情』が全く読み取れないからだ。
「相応の報酬は出すよ?」
「そこまでガメてない」
「ははは」
笑われた。まあ嘘だとは見抜かれて当然だったけれど。
「なに、構えることないよ。部活動と銘打ってアルバイトするだけだから」
「そんなん許されるんですか、この学校で」
「僕が『ちょい』と手を回しただけだよ」
指をくるりと回してなんでもなさそうに言うけれど、それがどれほどのものなのか、俺は中学時代に思い知っている。
「警戒しなくていいんだよ、この提案は単なるバーターだから」
「交換条件?」俺が望むことなんか何もないのだが。それでも何かをさせたいのなら、それは単なる条件の押しつけだと思うけれどな。
「さっきの報酬の話じゃないぜ。もっと大事なもの……君が故郷に残してきたものによく似ている何か、と言えば想像つくかな?」
つかねえよ。
「どうだろう」
思考と言葉が不一致に言葉を紡ぐ。大事な場面で相手の要求を突っぱねられないのが俺の弱さだと、身に沁みて解っているのだが。
「少なくとも、俺の大事なものに換えが利くとは思いませんが」
「ははは、確かにね。簡単に代用できるものを大事にしたいとは思わないよな」
そうは言っていない。
「そうかも知れませんがね」
やはり一致しない言葉が漏れる。何でかは解らないけれど、萌崎君の前で本音を漏らすのを躊躇っているような、そんな感じが背筋にわだかまっていた。
そんな自分に心中で首を傾げていると、萌崎君は踵を返す。無意識に視線で追っていくと、振り返って「何しているんだ」とでも言いたげに俺をすがめ見る。
溜息を吐きつつ、自分の荷物をまとめてその背中を追う。
どうにも逆らいにくい空気があるのだ。「檻(クローズド)」の一員ならそれもやむなしなのだろうが、どうにもそういう空気に慣れていない俺には居心地の悪い空気でしかないのだけれど。
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