壱「ヴァリアントグリーン」

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 三階建ての校舎は教室棟と特別教室棟、管理棟と体育館、そして武道場に分かれている。事前に知っていたとおりに規模の大きな学校ではあれど、元々が進学校なので部活動で目立った成績は残していなかったから、特に意識はしなかった。  萌崎君は当たり前のように階段を上っていく。上級生の居場所に一人で乗り込んでいくのは、普通に気が引けるのだけれど、今はそんなことを考える余裕もなかった。  中学生に戻ったような感覚だった。同じ状況に放り込まれたあの頃を思い出す。それを読み取られやしないかと先を行く萌崎君を見遣るけれど、読心術までは会得してはいなかったらしく、特に反応はなかった。  周囲から向けられる好奇の視線を意識しないように努めながら進んでいくと、教室棟を抜けて管理棟の突き当たりに来たところでぴたりと立ち止まった。 「ここだよ」 「何も無いようにしか見えませんが」  いや、よく見れば壁に小さいパネルが埋め込まれている。  萌崎君はそこに自らの指を押し当てる。オーソドックスな指紋認証システムだった。  少しの手回しで造れるような施設じゃないんだよなあ。 「本当は声紋認証も付けたかったんだけど、予算が下りなかったよ」 「そりゃあそうでしょうよ」  相変わらず無地の壁に手を沈め、すり抜けていく。俺には幻術による隠蔽にも見えるけれど、異能者である彼が霊能力に詳しいとは思えないので、何かしらの迷彩システムだろうとアタリをつけていた。  入ってみると、鉄筋の校舎とは違うレトロな木材の匂いが鼻に飛び込んでくる。  室内は薄暗く、しかし天井に空いている窓のせいで全く見えないこともなく。どこか昔の喫茶店めいた雰囲気だった。  萌崎君は奥にあるオフィスチェアに腰掛ける。デスクには異様に大きなPCが置いてある。電源は入れっぱなしのようだ。 「君も座りなよ。席はいつでも余っているんだ」  言われるままに手近な椅子に座る。  オフィスチェアに見えていた椅子は、素材がゲーミングチェアに近いそれだった。背もたれに上半身を預けると心地良い。 「何をするんです? ここで」 「それだ」と、指を差してくる。「敬語は要らないよ。そういうの苦手だからね、僕のことは呼び捨てにしてくれて構わない」 「嫌だよ、後半に関しては」  即答した台詞に、萌崎君は面白そうに笑んだ。 「じゃあ、答えようか。緑君にはこれから僕の手の代わりになって欲しいんだ」 「手? 駒じゃなくてか?」 「僕はそこまで割り切ってないよ。人間を使い捨てるような奴にはなれないなあ」  どこまで信用していいのかは判らない。この世には平然と人を騙せる人間が少なくない数存在しているのだから、最低限は警戒しなければ生きていけないのだ。 「請負人稼業は僕が初めてというわけでもないんだ。萌崎家においてはね。遠い先祖から数えても僕で二十二人目ってところかな」  流石に僕みたいな人間は居なかったけれどね、とどこか自嘲しているように付け加えると、いきなり背を伸ばした。 「んー……。そうだ、緑君は印鑑は持ってるかい」 「一応は。家を出る時に渡されたから」 「じゃあ、これに判を捺いてくれないかな。契約書兼保証書だから」 「…………」  命の危険があるってことなのかな? と視線で問うた。  そうだろうね? と視線で返ってきた。 「……………………」 「別に今すぐって訳じゃないさ。これから仕事をするのかどうかは長い目で判断すればいい」  まあいいやと紙を鞄に仕舞うと、萌崎君は立ち上がる。 「じゃあ、最初の案件に行きますかね」 「え、今から!?」 「急ぎだからね。君が来るまで動かせない案件だったもんで」  何もいきなりバトることはないから大丈夫だよ、と笑ってみせる。  じゃあ何なんだと訝ってみせた俺に対して、萌崎君はあっさりと返してきた。 「眠り姫を起こしてあげるのさ」
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