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なんのこっちゃと思ってついていくと、いつの間にか市内の中央にある病院の前に立っていた。街の構造はまだ把握しきれていないけれど、三釜(みつがま)市の中心街は高校を内包して大きく拡がっているようだ。
病院ねえ……、俺にはついぞ縁のない場所だけれど、ここに今回の依頼人がいるってことなのかな。
多数の人が行き交う入口を抜けて、受付で面会者のプレートを貰う。先を行く萌崎君を追っていくと、エレベーターに乗って最上階まで上がっていく。
十階建ての建物を見るのはあまりなく、内部に入るのは初めてだった。無意識に窓から地上を見下ろして「ぞくり」とする感覚は、決して間違ってはいないだろう。
案内板を見ればここは小児科だ。何歳までの人間が小児科で診察されるのかさえ知らない俺には、これから会いに行く依頼人が子供である可能性さえあった。
「ここだね」
指で病室のネームプレートを確認している萌崎君は扉を敲き「萌崎です」と声を掛ける。
すぐに女性の声が『どうぞ』と応じた。
這入っていく前になんとなく置いてあった消毒液を手に擦り込んでから扉をくぐった。
個室だ。広めに造られた病的なまでに清潔な部屋にはベッドは一つしか置かれていない。
大きく穿たれた窓にはレースカーテンが掛かり、差し込んでくる日光を柔らかく遮っている。
入口からはベッドの上にかかる白い布団しか見えないけれど、その脇から伸びる点滴のチューブは、小さい頃に健康診断で病院に行った時に見ていたそれと何ら変わりなかった。
「お待たせしましたね」
「そうですね」と相手の女性はどこか掠れた視線で応えた。「萌崎さんしか頼れる人はいないのですけど」
どこか当て擦りにも聞こえる台詞を、しかし彼は「そうなんでしょうかね」と気にする風もなく流し、振り返って俺を手招きする。
「そちらは?」
「今日、五木原高校に入学してきた綱取緑君です。新入りなので、お手柔らかに」
なんとなく頭を下げる。
相手の女性は、少なくとも子供とは言えないようだった。ここに居ると言うことは、今回の案件に関わる人なのだろうけれど、その視線には見覚えのある色が混じっていた。
母さんと、「あの人」に似た。
つまりそういうことなのだろう。
「方針を見つけた、と仰っていましたけれど」
「一応は、ですけれど」
萌崎君はベッドの脇に椅子を置いて、俺にも座るよう促す。
何故か俺を真ん中にした。何故だ。
さっきとは違う意味でゾクリとした。
「緑君、緊張しなくていいよ。この人は僕の旧知だ」
「俺は知らないからなあ」
「あはは。まずは彼女を知ってもらおうか」
促されるまでもなく、ベッドの上で眠る「眠り姫」に目を遣る。さっきから全く気配を感じないから、本当に生きているのか不安になるけれど、それはどちらかと言えば後遺症に似た、体質の余韻らしい。
身体機能は特に問題なく回っていて、稼働していないのは脳機能の方だ、と言われても、それがどうして俺に関係するのかが解らないのだけど。
ベッドの枕元の柵に名前が書かれている。
『李沢樹鳴』
すももざわ・きなり、と読むようだ。あまりポピュラーとは言い難い名前だ。少なくとも俺は初めて見る。
「最初は何故起きなくなったのか、解らなかったんですよ」
女性は。母親の李沢幹子さんはそんな風に言う。樹鳴とは似ない黒い長髪を揺らして、儚げに笑った。
「まあ、正直言うと、僕にも意味は解らなかったんだけどね」
萌崎君も同じようなことを言う。
「この時代にナルコレプシーも眠り姫症候群も珍しくはなかったし、そうでなくとも他の要因による長期の昏睡など珍しくもない」
「じゃあ、解らないのはそのどれにも当て嵌まらない原因だったからってことだね?」
そういうこと、と二人は同時に返してきた。
「彼女は異能者なんだよ」
「異能者?」
あまり関係ないような単語を持ち出してくるな、と思った。
「関係ないと思った?」
「そりゃあ、まあ。異能って基本的に人間の能力を拡張したものだろ? この件とは関係ないんじゃないの?」
先天的な遺伝子の変異で生まれる異能というものは、基本的に人間の持つ資質、特性に作用して、それを極端に尖鋭化させたもの。そういう風に習っていた。
同じように先天的に身に着けている霊能とも似ている、しかしとびきり異質な存在。
「尖りきった力が内向きならば、それは自身を抉るだろうさ」
「……内向的な能力?」
萌崎君は首肯した。それから自分の耳に指を持っていき、「パラボラ」と口にした。
「日本語では「集音」というよ。周囲で発生した音を細大漏らさず聴き取ってしまう、それだけの能力。そしてそれが、異常なまでに強かったんだ」
もし彼女が何か違う方向性の異能を持っていたなら、その時は確実に「檻」に選出されていたはずだよ。そんな風に言ってから、視線を樹鳴に向ける。
「それほどまでに強力な異能力が、自身の脳を蝕むのは仕方のないことなんだけどね」
耳からもたらされる膨大な情報を普通の機能しかない脳で処理しきれるわけがないんだと続けた。
「フローしたんだよ。脳機能の大部分が聴覚と連動して停止した」
「意識を保てなくなって、この子は目を覚まさなくなったの」
最初は信じられなかったと幹子さんは溜息混じりに零す。その感覚は俺には理解しえないわけではないけれど、少なくとも実感する感覚には小さくないズレがあることは理解できた。
俺の知ってる例は、体躯の大部分を食い千切られて再生するのに時間を要したという、凄絶なものだったから。
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