壱「ヴァリアントグリーン」

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「どうかした? 緑君」 「いや、なんでもない。それで、俺はどうすればいいんだろう」  探るような言い方になっても、俺がここに居る意味を理解しきれていないなら、それも仕方ないのではないだろうか。 「魔眼光盾を使ってみれば、意味あるかなと思うんだけど」 「意味ねえよ。あれは時間停止の術式だぞ」  無意識に出た言葉に、ん? と首を傾げた。どこかが何かに引っ掛かっている気がしたのだ。 「……………………」 「緑君?」  椅子から立って、眠る少女の顔を覗き込んでみる。表情の無い、置物のような人体が呼吸しているようにしか見えない。 「ちょっと、綱取君」 「待ってください。これは」  後ろで声を上げた二人の動揺も意識には入らない。  右手で樹鳴の頬に触れた。やや乾燥しているけれど、それでも柔らかい。そして、生きていると実感する。 「……………………」  意識的な行動ではなかった。だからこそ、右手を包む熱にも反応を示せない。  二度、三度、頬だけでなく頭全体を右手でなぞる。昔、母親が熱を測るために首や額に触れるように。そんな感覚を朧に思い出しているうちに、目の前の少女がいつの間にか瞼を開いているのにも気付いていなかった。 「…………?」 「…………えーと、おはよう?」  俺の顔が視界を覆っているのに気付き、刺激しないようにそこから退いてみると、その目がしっかり俺を追ってくる。  妙な気恥ずかしさを覚え、その視線から逃げるように顔を背けた。 「全く、期待以上だね。緑君」 「そうかな」  萌崎君の言うことはよく解らない。  視線を戻すと、上半身を起こした樹鳴が幹子さんに抱きしめられながらも、寝惚け眼にも似た視線を俺に向けている。  ただ、その視線はどこか焦点が合っていない。どこか呆けたまま、起きているだけにも見えたのだが。 「う、ん? あの人、だれ?」  涙目で抱きついている幹子さんに樹鳴は覚束ない口調で尋ねた。表情自体がぼやけているので、何を考えているのかが読み取りにくい。それでも、口調には薄くない興味が滲んでいた。  適当に自己紹介して、そのまま立ち去ろうとした俺の首を萌崎君が鷲掴みにする。 「まだ終わっていないよ、緑君。むしろ問題はこれからだ」 「ええ……」  面倒事が嫌いなわけではないけれど、今になって問題を抱え込むのは避けたかった。そんなことだったら、わざわざ地元を離れる意味が無くなってしまうのだから。  それが俺自身の道であり業であるなら、特に反発する理由も無いのだけれども。  震える脚で立ち上がる樹鳴はベッド脇に座る俺の膝に手をついて、ぐっと見上げてくる。数年間眠っていたのなら、彼女の身体機能は致命的に下がっているはずなのに、それでも動けるのはどうしてだろうと考えながら、数センチの距離まで近づいてくる少女を真っ直ぐに見つめ返す。 「……ごめんなさい。ぼく、視力が低くて、あまりはっきり見えてないんです」 「それは、いいんだけど」  大きく見開かれた深緑色の眼が震えながら収縮する。 「緑さん、でしたね。あなたの傍にいると、すごく閑かになってる」 「え?」  手を離して、ふらりと立ち上がるのを見ながら、その言葉の意味を考えた。ただ、それは俺が考えるまでもなく、萌崎君が答を口にしてしまうのだけれど。 「鎮静、か」 「カーム?」  うん、と頷いて。直後にかなり珍しいものだと付け加える。 「あらゆる異能効果を停止させる能力だよ。世界の事象を「終わらせる」能力は珍しくもないけど、「止める」というのは聞いたことがない」  少なくとも、この世界ではね。 「停止させる力か」 「効果を消去するわけじゃないから、使いどころは難しいよ」  話していると、樹鳴が退屈そうにベッドの上で脚を揺らしている。 「そうすると」と幹子さん。「樹鳴がこうやって意識を保つには、常に綱取君と一緒にいないといけないってことね」  ……………………。  萌崎君を見遣る。 「ま、そういうことだね」 「……そういうことはもっと早く言って欲しかったなあ」  萌崎君は肩をすくめる。どうにも様になりすぎて、神経を逆なでされるような不思議な感覚だったけれど。 「いいんじゃないの? 緑君、別に年下の女の子に興味ないでしょ」 「まあ、無いけど。……中学生女子と同居ってシチュエーションが犯罪的なんだけど」  他者から見たなら、言い訳不可能だろう。 「僕が昔に読んだ漫画にそんな話があったなあ」 「現実と創作をごっちゃにするな」  まあまあ、と適当に宥めながら、萌崎君はポケットからイヤホンを取り出した。 「樹鳴ちゃん、これを着けてみてくれる?」 「あ、はい」  薄い青色のイヤホンを耳に着けてみると、どこか眠たげだった眼が少しだけ冴えている。  今度こそ立ち上がる。流石にこれ以上長居するわけにもいくまいし、常時一緒にとか言ったって、個々人の領域に踏み込み続けるのは精神的にキツかった。  病室を出て、壁に寄りかかった。 「体調に異常が無ければ、すぐにでも退院できるはずだよ」 「体力は相当に落ちてるはずだけど」 「まあ、なんとかなるでしょ。あの子だって、異能者なんだから」  断定的にそう言う萌崎君の眼には、不安と懸念が映っているような気がして、なんとなく突いてみたくなる。  まあ、面倒だからしないけど。 「さっきのイヤホンって何なんだ?」 「あれはノイズキャンセラだよ。周囲の音を半分くらいカットできる」 「それあれば、俺は要らないんじゃないのか」  否。と明確に否定してきた。 「樹鳴ちゃんの「集音」の効果範囲は半径二十キロメーターだよ。それを半分カットして、それでも処理しきれると思う?」  う、と息を詰めた。確かにそれでは何の意味も無い。 「気休めだよ、今のところはね。今は、彼女に合わせたものを政府直轄の研究機関にオーダーしてる」 「そんなところにも繋がってんのか」 「まあ、僕は「檻」の中でも特殊だからね」  君ほどじゃないけれど、と笑いながら呟いた。  いいや、と前に向き直る。窓の外の風景は未だに見慣れないものでしかなく。これからどういうことが起こるのかも、全く見当がつかない。  請負人稼業なんてものがどれだけ危険なものなのか、無知な俺には解らない。 「…………なあ、萌崎君」 「ん?」 「あれは何だろうね」  俺が指差した廊下の奥の方、黒色の光が中空に揺蕩っている。 「何も無いじゃないか」 「…………見えないのか?」 「…………視えるんだね?」  やはりここが、異能者と霊能者の違いなのだろう。  邪気を感じたところで、今の俺にはできることは何一つ無いのだけれど、だからといって放っておくのが正解な筈がない。 「生身で飛び込むのは危険すぎるからなあ」 「必要があるなら、学校に戻るかい」 「いや、また今度にするよ。邪気はあっても、多分今のアレは人に危害を加えることはできない。本当に変化した悪霊なら、素手だろうと飛び込んでいくけどね」  案外向こう見ずだね、と呆れられたようだった。俺はそこまで堪え性は無いから、どうしようもなくなって暴れることは珍しくもない。 「ま、自分の行動に責任持てるなら、それでもいいとは思うけどね」  嘘臭かった。
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