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第2話 出会い
車の中で、流れる景色を見ているうちに、車は大きな建物の前に止まった。
「さ、降りて。目的地に着いたよ」
正護はおそるおそる車からおりて、建物を見上げた。
「ここは、何の建物ですか?」
「ここはブレイブの鶴状支部さ」
いまや、ブレイブという組織は一般常識となっている。しかし、実際に訪れる機会はほぼない。居心地が悪そうしている正護に対し、島田は鼻歌交じりに歩いていく。そうしているうちに目的の場所についたのか、島田は扉を開けた。
「さ、中にはいって」
「失礼します」
正護がぎこちなく入った部屋は、どうやら応接室のようで、品のいいソファやテーブルが置かれていた。
「今日もあついからね、水分補給しとこっか。コーヒーにする?それともオレンジジュース?」
「…オレンジジュースでお願いします」
「オッケー。ふふ、可愛らしいもの頼むんだね」
「…別にいいじゃないですか」
自分にしては可愛らしいチョイスだったと自覚している。しかし、正護はコーヒーが苦過ぎて飲めないのだ。自分が気にしているところをつつかれて正護は少し面白くなかった。
「ごめん、ごめん。君があんまりにも緊張してたもんだからさ、ちょっとほぐそうと思って。大丈夫、僕も君くらいの年ではまだ飲めなかったよ」
そういって島田は、オレンジジュースのコップを二つ持ってきて、片方を正護の前においた。
そして正護と反対側のソファに座った。
「そうですか…」
きっと気を使われたのだと正護は思った。しかし、それにどう返せばよいのかわからず、正護は目を泳がせた。
「じゃ、さっそく君のこれからについて説明をしようか?まず、君は「ブレイブ」がどういう組織かしってるかい?」
「トラウマへの対策組織、ですかね」
「そう!近代社会では数十年前から「トラウマ」という現象が発生している。心の傷を負ったとき、その心にあった能力を手に入れる。しかし、力を手に入れた人間はまともな精神じゃあない。多くが暴走する。もはや災害だ。それを素早く鎮圧するのが我々ブレイブの仕事だ。ただ、最近ではトラウマを悪用しようとする輩もいてね。その対策も我々の管轄になっている」
島田はまるで歌うかのように、高らかにブレイブについて語った。
正護もトラウマについてはよく知っている。近年の認識としては、トラウマの暴走は、自動車事故に近い。誰もが被害者、加害者になりうる。ましてや規模によっては死者もでる。頻度としても似たり寄ったり。そこまで、人間にとって身近な災害となっているのだ。
「そして、ここからが本題だ。ブレイブには、トラウマ持ち、という存在がいる。トラウマは、一般人には対処できない。だからトラウマにはトラウマをぶつけるための存在だね。かくいう僕もトラウマ持ちの1人さ。ここまでは、大丈夫かな」
「正直初めて聞きました。トラウマが起きたら、迅速にカウンセリングを受けるのが常識だと教わったので」
カウンセリングとは、トラウマによって得た能力を消去することである。近年ではカウンセラーの必須技術となっており、トラウマを得たものはまず、トラウマをなくす為の特殊なカウンセリングをうけ、その後普通のカウンセリングを受けるのが主流だ。
「まあ、そうだろうね。トラウマ持ちは少し前にできたものだし。圧倒的に数が少ないんだ。誰でもなれるわけじゃないから。その対策として訓練生というものもできた」
「訓練生ですか?」
「そう。ブレイブの就職条件は高校卒業程度。一応公務員なのでね。しかし、新入社員でトラウマを持っている子なんて0人だ。その後、適性のある人間がトラウマを持つ可能性も低い。だから、高校生でトラウマを発生させ、なおかつ適性がある子は、訓練生としてスカウトしているんだ。人手不足に対する苦肉の策だよ」
「訓練生って、具体的に何をするんですか?」
「そうだね、トラウマのトレーニングや体術の訓練、トラウマへの対処など座学もあるよ。イメージはそうだな、トラウマ専門の塾って感じかな。そして、訓練生はトラウマ持ちが許可される。ま、制限はあるけどね。でここからが本題だ」
正護はあまり状況についていけなかった。トラウマが発生したら、迅速にトラウマカウンセリングを行うものである。だから、ブレイブに連れてこられたのだと思っていた。
ただ、次に紡がれる言葉は何となく予感していたかもしれない。
「どうだい、正護君。君には素質がある。訓練生になってみないかい?」
正護はごくりとつばを飲んだ。
「断ったらどうなるんですか?」
「別に、なにも。君はカウンセリングを受けて、普通の高校生に戻る。それだけだよ」
正護は口を閉じた。今日のことを思い出す。
あの時自分は逃げた。普通の人間だったから。
違う、そうじゃない。弱かったからだ、幼馴染よりも。
でも、今のおれには力がある。
非力な自分に戻りたくなかった。
「受けます。おれは訓練生になります。あんなのはもうこりごりだ」
「きみならそう言ってくれると思ってたよ」
島田がそういったとたんノックが響いた。
「島田さん。香山です」
「ちょうどいいタイミングだ。勇気、はいっておいで」
「失礼します」
扉を開けて入ってきたのは、ジャージを着た同い年くらいの男だった。背丈は正護と同じくらいだが、正護よりも体格が良かった。また、きりりとした目をしており、強面とイケメンをいい塩梅に混ぜたような男だった。
「この人は誰ですか?」
「彼はあたらしく入る桐谷正護君だ。こっちは香山勇気、現在の訓練生」
「鶴状高校1年の香山勇気です。よろしくお願いします」
「鶴状高校2年の桐谷正護です。よろしくおねがいします」
頭を下げた勇気に合わせて正護も頭を下げた。勇気は少しもにこりとせず、そのまま立っている。
「もう2人とも固い固い!これから二人でやってくんだからさあ。もっとリラックスして」
ぎこちない2人をみて、島田は茶化して場を和ませようとした。しかし、正護は勇気のとっつきにくさに、美佳ならどうするだろう、と現実逃避を始めていた。すると、正護の携帯が鳴りだした。携帯をとろうか迷っていた正護を気遣ってか島田はここで電話してもいいよ、と言ってくれた。正護は電話を取り、部屋の隅で話始めた。
一通り話終えたのか、電話をきった正護の顔には安堵の色が浮かんでいた。
「正護くんの彼女からかい?ケガの状況は?」
「正確には、幼馴染の母親からです。傷の処置も終わり、意識も戻ったそうです。少し傷は痛むようですが、2週間入院ですむそうです」
「そうか。それはよかった」
島田は大きく息をはいた。島田も島田で、美佳のことを心配していたのだろう。
「よし。憂いも晴れたことだし、さっそく訓練開始と行こうか!」
意気揚々に島田は宣言する。全く動じない勇気とは反対に正護は目を白黒させていた。
島田は正護に何枚かの書類を書かせた後、ブレイブの道場に案内した。広さとしてはバスケットコートの半面といったところだ。基地の方はコンクリート張りだったのに対し、道場だけは木造で畳が敷いてあった。
「じゃ、これから正護君の『トラウマ』の詳細の把握といこうか。多分強化系だとは思うんだけど、詳しいことはわかんなかったからね」
「あの、さっき訓練生になることが決まったのに、もう訓練が始まるんですか?」
正護は先ほどの事件のこともあってか、かなり疲れており家に帰りたい気分だった
「うん、そうだよ。君が「トラウマ持ち」である以上、トラウマの能力の把握だけはしておかなくちゃならない。君が力を使いこなすためにもね。まあ正護君はさっき事件があったばかりだから疲れてるとは思う。これがおわったら今日はもう帰っていいからね。というわけで、さくっと正護君と勇気君で組み手してもらおうか。勇気君はなるべく受け流すようにしてね」
「はい」
「桐谷君はトラウマ発生したときのことを思い出して。あのときの気持ちがよみがえれば、多分トラウマ再発するから」
正護は大きく深呼吸をした。島田は軽々しく言ったが、要はあの時の傷を思い出す、ということだ。小さく唾をのむ。本音を言えば少し怖かった。しかし、自分で選んだ道だ。冷えた手を固く握る。
正護と勇気が道場の真ん中で向かい合う。キン、と空気がはりつめた。島田は二人の真ん中で審判のようにたち、腕をあげた。
「はじめ」
島田が腕を振り下ろす。
思い出せ、美佳の傷を、あの時の自分の無力さを。
正護はあの時と同じように怒りと 力が湧いてきた。お腹のそこから、ぐつぐつと。だが頭はあのときよりはすっきりしていた。
正護は勇気に向かって駆け出す。右腕を大きく振りかぶり、勇気の顔面を殴ろうとした。しかし、勇気は難なくそれをいなす。左腕で殴っても、勇気は少し下がって軽々とかわした。正護はもう少し踏み込むと、さらに力が増したような気がした。更に勇気に向かって殴る。しかし、かわされてしまう。
下がる勇気に正護が踏み込み攻める応酬が続いていたが、均衡はすぐに壊れた。踏み込むたびに速さもパワーもましていた正護のこぶしが、とうとう勇気のほほにかすった。正護は勝負をつけようと右手を固くにぎり力んでいた。そのすきを見逃さなかった勇気は、正護の腹に回し蹴りをした。正護は気が付かなかったわけではない。しっかり反応し、後ろに下がろうとした。しかし、下がれなかった。まるで足が固定されたように動かなかった。結果勇気の回し蹴りが腹にヒットした。
「ぐっ……」
あまりのダメージに正護は膝をつき腹を抱える。腹から煮えるようだった力は、ろうそくの火が吹かれて消えるかのようにすっかりなくなっていた。
島田がのんびり駆け寄る。
「大丈夫かい?」
「とても、痛いです…」
正護はいままで格闘技も殴り合いの喧嘩もしたことがない。蹴りがこんなに痛いとは知らなかった。
「勇気君の回し蹴り、きれいに決まったもんね~。多分痣になると思うよ。ま、おかげで君のトラウマが分かったよ」
「おれのトラウマ…」
正護はしゃがんだまま顔だけあげて島田をみた。人がこんなにもお腹が痛いのに島田はにやにやしている。
「君のトラウマに名前を付けるとしたらそうだねぇ…『前進』かな!君が前に進めば進むほどパワーアップ!しかし、後ろには下がれない。こんなところじゃないかな」
「おれもそう思います…」
正護は自分自身では何となくだったが、第三者からの意見を聞いて確信した。やはり、前に出れば出るほど強くなるというトラウマらしい。
「ずいぶん前向きなトラウマだねえ。デメリットはあるけど、いいトラウマだと思うよ」
「ありがとう、ございます」
いいトラウマというセリフには、矛盾を感じたが素直にお礼を言っておいた。正護は今だ痛みの残る腹をさすりながら、立ち上がる。そのとき、くらりとめまいがした。
「あ、れ…」
「おっと、大丈夫かい?」
「少しめまいがして…」
「多分、トラウマ使ったから疲れたんだよ。ついさっき発症したばかりだからねえ」
正護はもともと疲れてはいたが経験上、このくらいの運動でめまいがするほどではなかったはずだ。しかし、自分の体の状態をみて、トラウマによる負担を思い知った。
「この際だから言っておくけどね、トラウマ持ちだからってトラウマを多用しちゃだめだよ。トラウマっていうのは体力はもちろん、精神力を消費する。特に精神を傷つけるんだ。なぜかは、もう分かるだろ?」
確かに、正護はもう分かっていた。トラウマを使うということは、心のかさぶたを無理矢理剥がすようなものだった。そして、同じ痛みをまた味わうということだった。
正護は島田の言葉にうなずく。
「よし。ま、そもそも訓練以外での使用は禁止だからね。そんなに心配してないよ」
正護はちらりと勇気をみた。先ほどの香山は流れるような動きで無駄がなかった。なにしろ、正護はトラウマを使っても結局勝てなかった相手である。
「分かりました」
正直、勇気に勝てなかったのは悔しかった。トラウマを得ても勝てないなんて思いもよらなかった。だが、いい見本がいることは素直にありがたいと思う。当の勇気は先ほどから表情さえも変わっていないが。
「とりあえず、ちょっと早いけど今日の実技訓練は終了。正護君トラウマ使ったからねえ。早めに帰って休むといいよ」
「「はい」」
二人分の声が重なった。
正護と勇気が帰り支度をしているとき、正護はチラリと勇気をみた。会った時からのぎこちなさは相変わらず、二人の間に会話は全くない。たった二人の訓練生なのだから仲良くしたいと正護は考えている。しかし、勇気に壁を感じてしまって話しかけることもできない。ましてや、先ほどの実技訓練のあとから、ピリピリとしているようで目つきが鋭い。先は長いなと、正護はため息をつき、のそりのそりと着替え始めた。
同じ高校のためか帰り道は同じ方向だったものの、結局二人は一度もはなすことはなかった。
ぼふり。正護は自室のベッドに倒れこんだ。疲れた、体も精神も。
両親には訓練生になることは話した。…バスケ部もやめることも。島田さんからもらったパンフレットも渡してある。両親は最初驚いていたが、トラウマへの対処のための塾と分かると一応納得はしてくれた。ただ、1つ聞かれたことがある。
「将来はブレイブに就職するの?」
訓練生になるときにそこまで考えていたわけではない。弱い自分に戻りたくなかっただけだ。次こそはちゃんと守れるように。
独りよがりで自己満足な考えだということは自覚している。でも、今自分がなりたいものといえばそれくらいだった。ならば、将来俺は何になるのだろう?正護は高校2年生であり、進路について真剣に考えなくてはならない。そんな時期に新しい選択肢を得ても戸惑いが増えるばかりだ。
「いいや、もう寝よう…」
正護の疲労は限界に達しており、思考がまとまらない。体の要求に逆らわず目を閉じた。
次の日、正護は美佳のお見舞いに行った。
「おはよう、美佳」
「おはよう正君。お見舞いに来てくれたの?」
美佳はいつも通りの笑顔を見せてくれたが、傷に響くのか少し声が小さかった。
「うん。…けが大丈夫か?」
「まだ痛むけど大したことないって。出血のわりに傷自体は浅かったみたい」
美佳があまりにも明るくいうので、正護は見舞いに来たつもりが逆に励まされているような気がした。
「…ならよかった」
美佳を助けられなかった負い目もあるせいか、正護は更に罪悪感に追い詰められてしまう。
「…もしかして心配した?」
正護の顔色が変わったことに気付いたらしく、美佳は冗談半分に尋ねた。
「そんなの、当たり前じゃないか」
正護の声は部屋に重く沈み込みこんだ。
「あんときはすげえ怖かった。さっさと逃げ出したかった。それなのにお前はあの男のところに向かっていくし…。心配しないわけ、ないだろ」
正護自身、泣きたいのか怒りたいのか分からなかった。きっと両方なのだろうが、それが自分で分からないくらいに感情が高ぶっていた。
「そっか。ありがとね、正君」
美佳は謝らなかった。すがすがしいほどの笑顔だった。美佳の中では、無茶だとしてもあの時、女性を助けることが正しいのだろう。正護は、お互いが正しいと思うことをやるしかないということが伝わってきて、それ以上美佳に訴えることはできなかった。
「だから、オレ武道を習うよ。…バスケはやめる」
トラウマ持ちの訓練生は運動部には入れない。誤ってトラウマを使ってしまう可能性があるからだ。従って正護はバスケを辞めなければいけないのだが、美佳に真実を伝えたくはなかった。
「それは寂しくなるねえ」
付き合いが長いせいか、美佳は正護を止めなかった。正護の考えの少しも分かってなかったが、彼が断言したら変えないことは当然知っていた。
「バスケ部にはこの後の部活で言おうと思ってる。だから少し憂鬱なんだよなあ」
お互いの意思は通しあった。真面目に話し合うのはここまででいい。部屋の雰囲気を変えるかのように、正護は冗談交じりに告げた。
「皆に引き留められちゃうかもね」
「それは…少しうれしいかも」
それから正護が部活に間に合う時間まで、二人はたわいない話をした。
「あ、もうこんな時間か。おれそろそろいくわ。…また来る」
「楽しみにしてる」
正護は病室に出ようとしながら、美佳の方をチラリとみた。美佳はいつも通り笑っていて、やっと正護も笑えた。
夏休みも終わりに近づいてきた今日、初めてまともな訓練を受けた日だった。座学ではトラウマの基礎知識について、後半はトラウマを使わない戦闘訓練だった。
トラウマの基礎知識として、実際にトラウマが起きたらどうするのか、ということを習った。まず、周りの人を避難させること。ブレイブにつながる2012番に通報すること。また、トラウマの鎮圧方法として一番手っ取り早いのは暴走している人を気絶させること。正護のように軽い刺激で正気に返る人は少なく、またそういう人物は適性がある。
「だから正護君をスカウトしたのさ!」
そういいつつ島田は正護にウインクした。納得はいくが、ウインクはいらない。正護は苦笑いを浮かべるも島田は気にせず授業を進めた。切りのいいところまで進んだのか、島田が腕時計を見た。
「よし、今日の座学はここまで。次はお楽しみの戦闘訓練だよ!」
戦闘訓練とはだれにとってお楽しみだったのだろうか。今日はトラウマなしで、正護と勇気が組手をしたが結果は散々なものだった。正護の攻撃は簡単にいなされ、カウンターをくらってしまう。正護は青あざだらけなのに対し、勇気は涼しい顔をしていた。決して、正護の運動神経が悪いわけではない。バスケをやっていたため、反応も悪くない上に体力もある。ただ、殴る蹴る等の体の動かし方になれていなかった。そのため、島田は道場の倉庫からサンドバックを持ってきて正護にフォームを教えた。その後、島田と勇気の組手、ときどき正護に指導、という流れになった。
島田と勇気の組手では勇気の方が押されているようだった。勇気は先ほどの涼しい顔とはうってかわって歯を食いしばっている。必死になって攻めているものの、あと一歩届かない。一方島田はまだまだ余裕があるようだった。勇気の攻撃を受け止めては、脇が甘い、などの指導を行っている。勇気でさえ相当な実力者だと思っていたのに、さらに上がいることを思い知った。
ただ、島田への印象は変わった。島田は基本的にひょうきんな性格で、年上ぶらない。少々おちゃらけすぎでは、と思うものの自分に気を使わせないためなのだと分かっていた。そのため勇気の怒涛の攻撃を的確に受け止め、流し鋭い一撃を決める島田は新鮮だった。珍しく島田は真剣な表情をしている。余裕があっても油断はないようだ。本音を言えば、二人の組手はずっと見ていたかった。
正護は見過ぎていたと思って二人から視線をはずし、サンドバックに向きなおした。あの、二人に追いつくにはどれだけ時間がかかるのか、ひっそりとため息をついた。
戦闘訓練後、正護と勇気は島田に簡単な手当を受けた。なにしろ二人とも痣が多かった。勇気は手足にケガが多く、正護はお腹に大きな痣があった。これは二人の差を大きくあらわしていた。島田の攻撃を多少なりとも受け止められる勇気は、胴体へのけがが少ない分、受け止める手足に小さなケガが増える。一方、攻撃を受け止められず、そのままくらってしまう正護はケガの数は少ないものの、大きさも場所も問題がある。こんなところでも自分の至らなさが目についてしまい、正護はがっくりとうなだれた。
冷却スプレーやシップを貼られていると、正護は勇気の古傷が目についた。目立つものはないが、ちいさな切り傷や皮膚がひきつったようなものが多く見えた。きっと戦闘訓練でついたんだろう、と思った。勇気と島田の戦い方は似ている。もしかしたら、昔から二人でずっと組手をしていたのかもしれない。聞けば答えてくれるのだろうか。
とっくの昔に手当は終わっている。また二人とも、更衣室で着替えていた。タオルで汗を拭いたけども、まだ夏のせいかじとり、と汗がにじんだ。正護が唇をなめると、少ししょっぱかった。
勇気が更衣室の扉に手をかけた。きっと、今だ二人の間には壁がある。着替えている間も会話なんてなかった。でも、正護にはどうでもいいことだった。
「なあ」
ぴたりと勇気の動きが止まる。思ったよりも自分の声が大きくて正護は驚いた。
「帰りコンビニ寄らね?」
正護は、まるで友達に言ったかのような軽さでへらりと笑い取り繕った。ぎこちない動作で勇気が正護の方をみた。しばらく目を泳がせ、わずかに口を動かす。
「…わかりました」
島田がいなくてよかったな、と正護は思った。彼がいたら、たかがコンビニに誘うのにどれだけ緊張するのだと大笑いするだろう。
「サンキュー。おれも今出るわ」
勇気はエナメルを肩にかけ、律儀にまっている。正護は着替えを適当に鞄に突っ込んで勇気の元に向かった。
正護はコンビニでアイスを買った。夏休みも終わりに近いけれど、まだまだ暑い。勇気は片手にお茶のペットボトルを持っていた。本当は、正護は先輩ぶって勇気にアイスでも奢ろうと思ったのだが、甘いものは苦手なのだと謝られてしまって、お茶にした。
正護と勇気は並んで歩いているものの、少し距離があるままだった。セミの鳴き声がやけにうるさい。
「島田さんって、すげー強いんだな」
なんと声をかければいいのか分からない。分からないまま、正護は話しかけた。
「…県内のブレイブのメンバーの中で一番強いらしいっす」
ブレイブは県内にいくつかあるというのは社会の授業かなんかでやった記憶がある。わかりやすくいうと、高校生における県内の地区大会の数だけ基地は存在する。つまり、島田は少なくとも県大会優勝、インターハイ出場、といえるほど強いということだ。
「島田さんってそんなに強かったのか…。どうりで香山も強いわけだ。正直、この前は驚いた」
事実、正護は勇気を褒めていた。訓練生として先輩の後輩は、文句ひとつなく強かった。本当の戦闘であれば正護など秒殺できただろう。それをしなかったのはあくまで、正護のトラウマを解明するのが目的だったからだ。しかし、勇気には上手く伝わらなかったらしい。ひゅっとのどがなる音がした。残暑でまだまだ暑い季節なのに、勇気の顔は青白くなって寒そうにも見えた。
「…すみませんでした」
勇気はもともと声が大きくなくてぼそぼそと話す人だった。だが、今はいつも以上にか細くて、かすれていた。正護はまるで自分がいじめてしまったようにみえて、罪悪感を覚えてしまう。
「別に、怒ってるわけじゃねーよ?」
正護は自分がどう対応すればいいのか分からなくなった。なぜ後輩は謝ったのか、自分は褒めたのに。フォローは入れてみたものの、表情は変わらない。誰も正解を教えてはくれない。ならば、自分のしたいようにしてみようか。
「香山すげーんだなって思った。おれの攻撃全部流されちゃうしさあ。喧嘩も格闘技もしたことないけど、強くなりたいってあこがれた。トラウマ持ちになって強くなった気がしたけど、そんなことないんだって思い知らされたよ」
脈絡も文脈もしったことか。ただ自分の気持ちを連ねることしか出来なかった。
「…怒ってないんすか?この前のこと」
勇気は眉を八の字にしておそるおそる尋ねた。正護には、自分より大きいはずの勇気がずいぶん小さくみえた。この前というのはきれいに決まった回し蹴りのことだと正護には分かった。やり過ぎたとでも思っているのだろうか。
「別に、全然。それを言ったら、おれは最初から顔面狙いに行ったからな。おれのほうが謝るべきだろ。…ごめんな」
「別に、まるわかりなんで簡単によけれました。…気にしないでください」
勇気は弱弱しい表情をけして、いつもの無表情に戻った。ただ、正護は勇気からの的確なアドバイスがほんの少し傷ついた。そうか、まるわかりか、正護は心の中でつぶやく。今日自分が戦闘においてどれだけ劣っているのか思い知らされた日だった。そのとどめをここでさされてしまった気分だった。正護は肩を落とした。
「…やっぱり、気にしますか?」
「いや、そうじゃなくて。おれってまだまだなんだなって思って」
勇気はその発言をきいてきょとんとした。
「別に、そんなことないと思いますけど。先輩、反応できるじゃないですか。あとは型を身につけてワンパターンなところ直せば相当強くなると思いますよ」
「…そうかな?」
今度は正護が眉を下げた。
「まあ、多分ですけど。先輩完全顔狙いなんですよ。なのでそこ直すのと、蹴りやパンチの仕方や受け方はこれから学べばいいんですよ。先輩は、体動かし慣れてるんで、すぐ身につくんじゃないすか」
的確なアドバイスは、よくも悪くも心に突き刺さるのだと正護は実感した。勇気は表情を何一つ変えず、お世辞を言っているようには見えない。きっと、多分、絶対、本心だ。
「そうなのか。…ありがとな、香山」
もう何一つ正護は気負わず告げた。情けない話だが、後輩のアドバイスで気落ちしていた気分が向上した。なにより、あんなに近寄りがたいと思っていた後輩がちゃんと自分を見ていてくれていた。それが正護には好感が持てたし、純粋に嬉しかった。ただ、その後輩である勇気は人に感謝され慣れていないらしい。
「そっすか」
だいぶそっけない返事だった。けれど、勇気が嬉しさを隠すかのように唇をかみしめるのを見て、正護の口元が緩む。きっと自分たちはうまくやっていける、そんな気がした。
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