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第三話 宿敵
「まだまだあっついなー」
「そうですね」
2学期がはじまって数日、正護と勇気は放課後ブレイブに向かっていた。夕方になっても太陽の熱が冷める気配はない。
「そういや、香山は進路って決めてんの?」
「進路ですか?…多分このままブレイブだと思いますよ」
「そうなのか」
正護のリュックには進路希望調査が入っている。そのため正護は、進路のことで頭を悩ませていた。正護は訓練生ではあるが、ブレイブへの就職が義務付けられているわけではない。しかし、特になりたい職業もなく、だからといって大学で学ぼうという気にもならなかった。
「先輩は俺と違って選択肢があるんで、他の選択肢を考えるのもいいかもしれないですね」
「なんだよその言い方。まるで香山はブレイブ一択みたいじゃないか」
選択肢を投げ捨てたような勇気の物言いが正護には納得できなくて、ついとがめるような言い方になった。勇気は考えるようなそぶりをして、指で唇を弄んだ。
「きっと、そのうち知られると思うので言っちゃってもいいでしょうね。おれ、実は――」
「助けてー!」
勇気の声はつんざくような子供の叫び声にかき消された。もしかしたら、遊んでいるだけかもしれない。ただ、正護はいてもたってもいられなくて声のする方へ駆け出した。
正護が声の方へ向かうと、そこには公園があった。覗いてみると小学生低学年くらいの男の子が、大きな穴に吸い込まれそうになっていた。男の子は手足をばたつかせ助けてと叫んでいる。正護が慌てて男の子を引っ張り出そうとすると穴の全貌が見えた。円錐状にへこんだ穴の頂点に1人の男の子が座り込んでいる。例えるならそれは、蟻地獄のようだった。
正護は一目見てこれがトラウマであることを確信したが、まずは引きずられている子を助けるのが先だと判断した。足場が悪い上に砂にとらわれているので苦労したが、後から来た勇気に手伝ってもらって何とか助けることが出来た。
「おれ、島田さんに連絡しますね」
「頼んだ!君、けがはないかい?」
勇気に島田への連絡を任せた後、正護は助けた子供の体を一通りみた。見た限りでは擦り傷程度のようである。
「だいじょうぶ。でもまことくんが…」
「まことくん?あそこのお友達のことかな?」
正護は蟻地獄の方を指さした。男の子は力いっぱいうなずくと泣きそうになりながら告白した。
「ぼく、まことくんとけんかして、きらいっていっちゃったんだ!まことくんなきだして、こうなちゃったの。まことくん、だいじょうぶ?」
男の子はうるんだ目で正護を見つめた。
「大丈夫、助けるよ。だからあとで、まことくんに『ごめんなさい』しような」
「うん!」
男の子は先ほどとうってかわって目を輝かせた。それを背に受けながら正護は蟻地獄の方向をむく。
「先輩、島田さんが今こっちに向かってくださるそうです!救急車も呼びました!」
「ん、サンキューな」
流石訓練生というべきか、勇気は迅速に行動してくれている。でも、正護はそれらを待つつもりはなかった。ここで動かなかったら、いつかのように傷ついてしまうと思ったから。
正護は無言で蟻地獄に近寄ると、ゆっくりと滑り落ちた。真ん中のまことくんのところまでいくと、すすり泣く声が聞こえた。
「まことくん」
するとまことくんは顔をゆっくりとあげた。その両目から涙がこぼれている。
「だあれ?」
「君のお友達に頼まれて、君を迎えに来たよ。帰ろう?」
すると、まことくんはさらに涙をボロボロとこぼし始めた。
「やだやだかえんない!だいくん、ぼくのこときらいになっちゃったんだもん」
正護の体は徐々に沈んでいっている。埋まりそうな恐怖に耐えながら説得を続けた。
「そんなことないよ。今も君を待ってる」
「うそだっ!だいくんだって、ぼくのこときらいになっちゃったんだ!」
正護の下半身が砂に埋まった。タイムリミットは刻々と近づいている。気絶させるしかないか、という考えが頭をよぎる。そんなとき、頭の上から声が響いた。
「まことくん!きらいなんていってごめん!ほんとはだいすきだよ!」
先ほどの男の子、だいくんが勇気に抱えられ、穴のふちで叫んでいる。まことくんは顔をあげた。
「だい、くん」
「ごめんね、まことくん」
まことくんはより一層泣き始めたが、地面が少しずつ上がっていっているのを正護は感じた。どうやら、トラウマの暴走は収まったようだ。
元の地面に戻ると、勇気がだいくんをおろした。だいくんはまことくんにかけより、二人でわんわん泣き始めた。
島田や救急車を待つだけとなったと正護と勇気は一息つこうとしたが、背後からパチンパチンとゆっくりとした拍手が聞こえた。2人が振り向くと、そこには1人の男が立っていた。髪の毛はぼさぼさでひょろりとしており、服は全体的に黒い何となく不気味な男だった。
「喧嘩して傷ついても、謝れば泣いて仲直り。実にいいハッピーエンドだ。きれいすぎて、反吐がでる」
男がぎょろりと正護を睨みつけた。その視線に正護は背筋がぞくりとする。
「何が言いたい」
「僕は今とっても不愉快なんだよ。せっかくいいトラウマだったのにさあ。お前のせいで台無しになった。だから僕は、お前を絶対に許さない」
男はゆったりとした口調で、それが気味の悪さを増幅させた。正護は自分の手先が冷えていくような気がした。それでも、男のいうことは間違っているということだけは分かっていた。
正護は自分を奮い立たせるために、拳を握りしめる。
「あんたの気分なんて関係ない。困っている人がいたら助ける。当然だろ」
「あはははははははは」
公園に男の笑い声が響いた。
「気持ち悪いほどの偽善者だな、お前。よし、決めた。お前には絶望を味合わせてやる」
なんなんだ、この男は。狂言だと一蹴すればいいはずなのに、必ず実行するという予感がする。その証拠に男の目はギラリと燃えている。
遠くから救急車のサイレンが聞こえた。
「やっかいなのが来そうだな。じゃあ、またな」
男がにやりとわらっていうと、男のそばに黒い靄が現れ男はその中に入っていく。
「まってください!」
勇気がその男を追いかけようとしたが、すでに遅く跡形もなくなっていた。
「今のは…」
「…トラウマでしょうね」
「おーい、勇気君、正護君!大丈夫かい?」
島田が二人に駆け寄ってきた。
「はい。あそこにいる子供の片方がトラウマ発症者です。もう1人も蟻地獄に巻き込まれたので一応病院に連れて行ったほうがいいと思います」
勇気が子どもたちを指さすと、すでに救急隊が2人の元にいき、救急車に連れて行ったようだ。島田はそれを見て満足げにうなずいた。
「うん。あの子たちも大丈夫そうだね。じゃあ、二人とも事情を聞きたいから、一緒に病院行こうか。特に正護君、随分よごれているみたいだけど、無茶なんてしてないよねえ?」
島田が口元だけ笑いながら正護を正面からにらんだ。
「え、えっと…。ごめんなさい」
正護は素直に謝った。後悔なんてしていないが、きっと島田を心配させたことは分かっていた。
「…全く。それが君のいいところなんだろうけどねえ。事情聞き終わったら授業もかねて反省会!残念ながら実技はなしだよ。勇気君もいいね?」
誰にとって「残念」なのか正護には今だわかっていない。もしかして島田何だろうか。
「はい。分かりました」
正護はチラリと勇気をみたが、全然残念そうではなかった。やはり島田にとって、残念なのだろう。
「じゃあ、早く車に乗って。さくさく行くよー」
正護が島田に誘導されながら救急車の方をみると、ちょうど出発したところだった。大問題となってしまったが、無事に仲直りできたあの子たちを思い出すと胸が温かくなる。そういえば、あの子達の名前は聞いたのに自分たちは名乗らなかったなと、些細なことを思い出した。
「まあ、もう会うこともないだろ」
正護は1人つぶやく。もし、また会うことがあればそのときに名乗ればいいか。
そんなことを思ったせいか、再会も早かった。まことくん改め「日向真」、だいくん改め「峰谷大吉」は正護達になついたようで、また会いたいという希望があったらしい。それを聞いた島田は、「いい機会だからあっておいで。これも1つの課外学習だよ」と4人が会う機会をセッティングした。
集合場所はこの前の公園である。正護と勇気は、真と大吉の無邪気さに振り回されていた。
特に大吉の方が活発で、真はそれに乗るといった感じだが二人とも楽しそうだった。今大吉たちは砂遊びをしているので、正護たちはベンチに座り見守っていた。
「この前のことっすけど、あそこにきたのが先輩でよかったと思いますよ」
「なんだよ、急に」
勇気が唐突に言葉を発した。勇気は汗こそ掻いてはいるが、いつも通り冷ややかな表情をしている。
「…あの2人を見て、っすかね。ああやって、今も仲良くしてるのは、元をたどれば先輩のおかげなのでは、と。大吉君、おれにだっこされてまで、ちゃんと自分で伝えようしましたし」
勇気は大吉たちを見つめながら話続ける。
「そういえば、そうだったな。正直助かったけど、ちょっと危なかったよな」
きっと自分だけでは、真のトラウマを止めることはできなかった。初対面の正護より、友達の言葉の方が、うんと響く。
「先輩に比べれば全然っす。ちゃんと蟻地獄から離れてましたし」
勇気が坦々と言葉を返す。サクッと返ってきた正論に、正護は苦笑いをした。
「話を戻しますね。どうしてあんなことになったかというと、先輩の熱意に動かされてなんす。先輩が蟻地獄入って、大吉君、びっくりしたみたいで。おれが、『まことくんを助けるため』って言えば『僕も頑張るって』って言って、ああなりました。…きっとおれやブレイブの人間であれば、麻酔銃で撃って終わりでしょう。そして、そのままトラウマカウンセリングして。…彼らの仲直りのタイミングは相当遅くなるか、最悪うやむやになります。なので、先輩でよかったな、と。次は命綱くらいはしといて欲しいですけどね」
勇気の珍しい長文を、正護は丁寧に聞いていた。
「褒めれてるのか怒られているのか分からないな」
「両方です。先輩がブレイブ入るのかどうか分かりませんが、ブレイブに入ってもああいう無茶するようでしたら止めます」
勇気は淡々とした口調を辞めないのに、真剣さはきちんと伝わってきた。どうやらこの後輩は、ずっと冷静そうなふりをして、心のうちでは正護を心配してくれていたようだ。
「あー、そっかあ。そうだよな」
正護は今更、後輩に自分と同じ体験をさせてしまったことに気付いた。大切な誰かが目の前で傷ついてしまうような、そんな出来事を。
「うん。ごめん。心配させたよな」
他者のことを考えているようで結局自分のことしか考えていなかったと、正護は自己嫌悪に陥り、がくりと肩をおとした。
「…先輩。きっと、誰かのために一生懸命になれるのは、先輩のいいところです。でも、先輩が、無茶するのは、心配です。なので、少しくらい、おれを頼ってください。学校ではおれが後輩ですが、訓練生としてはおれの方が先輩なんですから」
勇気は正護の目を見て一言、一言、丁寧に選んでしゃべった。正護に自分の気持ちが正しく伝わるように。
「分かった。無茶しないように頑張る」
正護は勇気に答えるようににかりと笑った。
「おにーちゃん、だっこー」
砂遊びに飽きたのか、大吉が両手を広げ、甘えるように正護達を見上げた。
「ええ、いいっすよ」
「このまえみたいに、うしろからぎゅーってして。そしたらぐるぐるーってまわるの!」
「こうっすか?」
勇気が大吉の指示通りにその体を抱き上げ、ぐるぐると回し始める。見てるだけで目が回りそうだが、大吉には一種のアトラクションのようできゃいきゃいと嬉しそうにしていた。
「わー、すごいすごーい!」
正護が2人を眺めているとおずおずと近寄ってくる真の姿が目に入った。何か言いたそうにしているものの、声をかける勇気がないらしい。正護はベンチから立ち上がり、真と目線を合わせた。
「まことくんもあれ、やりたい?」
「い、いいの?」
「もちろん!」
「ありがと。おにいちゃん」
正護も真の背に回り持ち上げる。そのままぐるぐると回り始めれば真も嬉しそうにはしゃいだ。
随分と長い時間遊んだせいか、日が暮れるころには4人とも疲れていた。
「そろそろ、帰るか」
もともと午後4時までという約束であり、正護が携帯で時間を確認すればもうほぼ4時だった。
「えー、もう終わり?もっとあそびたい!」
「だーめ。2人のお母さんが待ってるからな。今日はもう終わり」
「えー…。まことくんだって、もっとあそびたいよね?」
「うん…」
大吉たちは今日がとても楽しかったらしく、真に至っては泣きそうになっている。そんな2人をみて正護はつられて寂しさを感じるが、年上の自分が流されてはいけないと喝を入れる。
「ふたりがそんな風にいってくれるのはすごくうれしい。でもな、俺たちは二人のお母さんに4時になったらおうちに帰しますって約束したんだよ。それをやぶっちゃったら、もう2度と遊べなくなるんだ。な、また今度も遊ぶから、今日はもう帰ろうな」
「また、おにいちゃんとあそべるの?」
「うん、また今度遊ぼう。だから今日はもう帰ろうな。おうちまで送っていくから」
「絶対だからね、しょーごおにいちゃん」
「ゆうきおにいちゃんもね」
「…ええ、そっすね」
大吉達を送っていったあと、正護達は二人で帰路に着いた。夕方になっても、暑さは和らぐことなく、じりじりと肌を焦がす。橙色が目に痛かった。
「香山、そのー、大丈夫か?」
「何がっすか?」
「帰ることになったときから、口数が少なくなったから。お前もさみしくなっちゃった?」
「…いえ。昔を思い出してしまって。子供のころおれ、家に帰りたくなかったんですよ」
勇気が眉尻を下げた。正護はその横顔をじいっと見つめる。
「なにか、あったのか?」
正護が問いを投げかければ、勇気は戸惑った顔をして、何かを言おうとした。でも、何かを飲み込んで誤魔化すように告げた。
「家庭の、事情で…。すみません、道こっちなので。では、また」
「おう、またな」
勇気の奥歯にものが挟まったような言い方に正護は違和感を覚えた。正護は立ち止まり勇気の背中を見守る。その背は随分頼りなかった。
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