1人が本棚に入れています
本棚に追加
4 襲撃
10月にもなって暑さが和らいだころ、午後の眠気に誘われて正護は1つあくびをした。今日は平日、いつも通り学校にきて授業を受けている。呪文のような英文を聞いて眠くなってしまうのはご愛嬌というものだろう。2つ目のあくびを噛み殺し、正護はノートを見下ろした。授業に集中しなくてはと思うものの、いろいろな考え事が頭をよぎってしまう。例えば、ショッピングモールの事件があってからはあまり美佳と話せていない。多分、出会ってから初めて、美佳に大きな隠し事をしているからだ。別に悪いことをしているわけではないが、きっかけが美佳だからあまり言いたくないのと、一緒にいれば見透かされてしまう気がするのと。あとは進路のこと。この前の調査票は適当に公務員なんて書いてしまったが、本当にその道を進みたいのかと聞かれれば断言はできない。結局、未来のことを何一つ決めれていないのだ。正護は欝々とした気分になってしまい、気分転換でもしようと窓の外をみた。 すると、リュックサックを持った男が学校の敷地内に入ってくるのが見えた。その男はリュックサックから松明を取り出し、火をつけた。
教室内がざわめきだす。皆があの男が正気ではないことに気付いたからだ。そして、男は叫んだ。
「出てこい!桐谷正護!さもないと学校ごと焼き尽くす!」
男の血を吐きそうなほどの叫びとともに、松明の炎が暴れまわる。男は叫んだあとも、言葉にならない叫び声をあげていて痛々しいほどだった。
騒ぎに気付いた教師たちが男を取り押さえようとするが、動きの読めない炎のせいで近づくことさえもままならない。ましてや、たちの悪いことにその炎は学校の校舎にもぶつかりそうだった。
このままでは、無関係な人にまで危害が及ぶ。誰かが傷ついてしまう。正護はまた駆け出した。教師の呼び止める声が聞こえた気がしたが無視して階段を駆け下りると、消火栓を持った勇気に遭遇した。
「香山!」
「先輩、やっぱり来ましたね」
2人は並走して玄関に向かう。
「先輩、聞いてください」
「何?」
「あの男は多分、火を操るトラウマです。ただ、松明を付けたことから、火を作り出すことはできない」
「ということは、火そのものを消せば無力化できるな」
香山の言葉に正護はにやりと笑った。
「はい。でも」
「大丈夫!無茶はしない。島田さんが来るまで距離をとりながらかわし続ける。だから、助けてくれよな」
「はい」
わかってるって。正護は心の中でつぶやいた。
正護は玄関の扉を思いっきり開けた。教師陣は危ない、下がりなさい、何をしていると、口々にいったが炎暴れまわっているせいか、すぐにいう余裕はなくなった。
「きりたにぃぃぃぃぃ、しょうごぉぉぉぉぉぉぉ!」
男は正護の顔を知っているのか、正護をみるとすぐに攻撃が集中し始めた。
「うわっと!」
正護は持ち前の運動能力で炎を躱しながら距離をとっていく。校舎に当たらないよう、男の背に校舎が来るように回り込んだ。香山は正護をフォローしつつ、松明の火に消火器をあてようとするが、距離がはなれており難航していた。
「オマエノ…、オマエノ…、セイデェェェェェェェェ!」
先ほどから錯乱していた男が、どんどん正護に怒りを向けるようになった。怒りに伴って、炎のスピードがどんどん上がっていく。
「俺が何をしたっていうんだよ!」
正護が声を荒げた。正護はその男を全く知らないし、恨まれるような覚えもない。にもかかわらず、周りの人間も巻き込むような状況になっており、正護は怒っていた。島田さん、早く。正護は声には出さず島田にすがる。
「オマエノォォォ、セイデェェェ!」
男とは全く会話にならない。ただ、ただ、炎の勢いが増すばかりである。そのとき、ぷしゅーと気が抜けるような音がした。どうやら消火栓の中身がなくなったようだ。正護はチラリと辺りを見回す。こうなったら、ひたすら距離をとるしかない。どうやって逃げようかと考えを巡らせると、キキ―っと甲高い音がした。
「待たせたね、正護君!勇気君!」
「島田さん!」
島田は車から降りると一目散に男に駆け寄った。男が操る炎をひらりひらりとかわすと、男のみぞおちに拳をいれ、あっという間に鎮圧して見せた。
誰もがその光景にあっけにとられていると、どこからか公園で会った男が現れた。
「お前は…」
「どうだい、桐谷正護。僕からのプレゼントは気に入ってもらえたかい?」
男はねっとりとした口調で正護に話しかける。正護と不気味な男はずいぶん距離があるはずなのに、その声はまるで近くにいるような気味の悪さをまとわりついていた。
「なんで、俺の名前を…」
「そんなの僕にかかれば簡単なことさ。そんなことより、早く感想をくれよ。僕から君に送ったプレゼントの感想」
「プレゼントってなんのことだよ」
「全く、察しがわるいなあ。そんなの、その男に決まってるじゃん。君に送るために拉致って、トラウマを発生するように調教したんだ。なかなか面白いトラウマだったろ?」
男の言葉を聞いたとたん、正護は吐き気がした。理解してしまったからだ。あの炎を操っていた男は、正護を絶望させるために、トラウマを発生させられたのだと。あの発狂具合からして、相当ひどい目にあわされたのだろう。
「そこまでだよ。式見 栄治。トラウマ犯罪グループのトップ。1人の人間として僕は君を許さない」
島田の声が、突き刺さるようにあたりに響いた。
「ははっ。別にあんたに許されたいだなんて一度も思ったことないよ。じゃあ、僕はもう帰るよ。面白いものも見れたし。またな」
式見はまた黒いもやのようなものを作って消えた。危機的状況からは脱したはずなのに、誰一人として事件が解決したなんて思えなかった。特に正護は。
パトカーと救急車の音が鳴り響く。島田はなにか考え事をしていたようだが、はっと我に返りその場を仕切り始めた。
「まず、けが人がいるかどうか確認をお願いします。また、警察が到着次第、この場で何が起こったのか説明をお願いします」
島田は正護に視線をやった。正護は先ほどの式見の発言のせいで、今だ顔が青かった。その隣では勇気が心配そうに見つめているが、声をかけかねている。
「正護、君」
島田だって、なんていえばいいのか分からなかった。君のせいじゃない、なんて気休めを告げたって正護は納得しないと思った。けれど、君のせいだ、なんて微塵も思っていない。
「島田さん。今回は許してください。手当たりしだいにやられたら、この程度の被害で済まないと思ったんです。それにほら、今回は香山も協力してくれたし…」
正護は青い顔をしたまま、無理矢理笑った。ちがう、そんなことを言わせたいんじゃない。島田は自分のふがいなさに歯噛みする。
「君たちにも確認したいことがあるから、授業抜けさせてもらえるよう、先生方にお願いしてくるね。そして、また反省会だよ!」
結局島田は正護を慰める言葉が出てこなくて、場をごまかしてしまった。
ごめんね、正護くん。島田は1人つぶやく。これからどうすればいいのかなんて、誰も分からなかった。
最初のコメントを投稿しよう!