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6 練習試合
次のブレイブの訓練日、美佳がやってきた。
「今日から参加する美佳ちゃんだよ!って、いまさら紹介いらないよね」
「二人ともよろしくね!」
島田は美佳の紹介にならない紹介をし、それにのって美佳が挨拶をした。美佳と島田は性格が近いようで、息はぴったりのようである。
「じゃ、美佳ちゃん好きな席すわってね」
「はーい」
今まで、左から順に正護、勇気と座っていたが、美佳は勇気の隣に座った。
「じゃ、授業する前に告知しまーす。今週の土曜日は練習試合です!というわけで、今日は戦闘訓練オンリーです。たのしいね!」
楽しいのはあなたでしょうが、というツッコミは飲み込んで、正護は真面目な質問をした。
「練習試合って、他の地域の方とやることでしょうか」
「うん、そうだよ。県内の訓練生が組手をやるんだ、トラウマ使用有りのね。つまり、トラウマ対策の経験にもなるということさ」
「なるほど」
「ま、今回美佳ちゃんは見学だけどね。というわけで、道場にレッツゴー!」
「えーん、なんでランニングばっかりなのぉ」
美佳は島田にランニングを言い渡され、延々と道場を走っていた。
「頑張って、美佳ちゃん」
「あたしも戦闘訓練したいです!」
「ははは、美佳ちゃんはもうちょっと基礎体力をつけてからかな。今やってもケガしちゃうよ」
「はあい」
一方そのころ、正護と勇気は組手をやっていた。正護は勇気に負けっぱなしではあるものの、技を仕掛けられるタイミングが分かるようになっていた。おかげで、大きな痣を作ることは減っている。
「うんうん、正護君良い感じだね。一回僕ともやってみよっか。次は勇気君ね」
「お願いします」
「はい、わかりました」
勇気は端のほうに移動し、真ん中には正護と島田が立っている。
「では、いくよ!」
「はい」
島田の掛け声とともに、二人の戦いが始まる。といっても島田はまずは様子見のようで正護が仕掛ける形となった。正護はキックとパンチを織り交ぜているつもりでも、島田になんなくいなされてしまう。
「うん、なかなかきれいな型になったねえ。それじゃ、そろそろこっちからいかせてもらうよ!」
島田が右手を振り上げる。正護は防御の体勢をとると同時に、島田の足元に意識を向けた。島田、そして勇気の戦い方の特徴として手数がある。いかに相手に行動を読ませず、自分のペースにもっていくか、それを二人は手数を多くすることで可能としている。正護はだんだんそれが分かってきた。
従って正護は、拳のあとに何らかの足技がくると予測した。正護が島田のこぶしを受け流す。次に島田は右足を踏み出し、左足が正護に向かって蹴りだされようとしていた。正護の読み通り。正護は後ろに下がって躱そうとしたが左手をつかまれた。そう、さきほど受け流した島田の右手が正護の右手をつかんだのである。しかし、正護も負けじとその左手を振り落とした。その反動で島田はバランスをくずし、手を放した。
「うんうん、いい反応だね」
そこから島田の猛攻が始まった。正護は必死に対抗したが、島田のこぶしが顔の寸前で止まり、正護は両手を上げた。
「降参です」
「正護君、強くなったね。ほんとは初手で決める予定だったんだけど。そうだね、君は反応がいいのかもしれない」
「そうなんですかね?」
そう言われたものの、正護はいまいち自覚が出来なかった。
「ほんとほんと。まあ、これからの課題は攻撃か防御かの片方によってしまうことだね。ま、技術は教えるから心配しなくても大丈夫だよ」
島田は正護の頭をポンポンと叩く。そして、美佳に向かって声をかけた。
「美佳ちゃん、きゅーけーだよ」
「はーい」
いつも明るい美佳はばてたのか少しぐったりとしている。1つにまとめられた黒い髪は汗でしっとりと濡れていた。
「タオルで汗ふいたほうがいいよ。冷えちゃうから」
「タオル⁉すみません、持ってきてないです…」
「だと思った」
タオルを忘れ、肩を落とす美佳に正護がタオルを差し出した。
「これ、オレの予備のタオル。あらって返せよ」
「わーい、ありがとう正君!」
2人のほほえましいやり取りを見て、島田は頬を緩ませた。
「じゃ、次は勇気君だよ。準備はいい?」
「はい」
島田と勇気が向かいあう。場の空気が引き締まった。正護の目も彼らにくぎ付けになった。
「正護君。合図をお願い」
「はい…。では、はじめ!」
2人が同時に動き出す。先に仕掛けたのは勇気だった。しかし、すぐに島田も応戦する。主導権をお互いで奪い合っていた。そこで、珍しく島田がバランスを崩した。勇気が勝負をつけようと拳を放つ。島田はにやりと笑うと、その腕をとり、勇気を投げた。スパンとキレのいい音をたて、勇気の体は床に倒れた。
「いいかい、勇気君。殴る蹴るだけが戦いじゃないんだよ。なんてね」
目を点にしている勇気に、島田が茶目っ気たっぷりにいう。正護は、予想外の展開に言葉を忘れていた。
「島田さん、そんな技もできるんですね!香山君も強い!」
美佳は二人の戦いに魅せられたのか、目を輝かせていた。我に返った勇気はすくっと立ち上がる。
「初めてみました…」
勇気がぽつりとつぶやく。
「ふふ。これは僕のとっておきだからね。今日は君にこれを仕込もうかと思って。それと、正護くんと美佳ちゃん、こっち来て」
2人は素直に島田に従った。
「これからの予定を話すよ。まず正護君。君はトラウマのオン、オフの練習。今まではタイマーを使って練習してきたけど、今日は美佳ちゃんに手伝ってもらってランダムに行うよ。美佳ちゃんは正護君の手伝い。正護君が3分間走るから、君は4回好きなタイミングで手を叩いて。1回目でトラウマオン、2回目でオフを繰り返すんだ。そのあと5分休憩。というサイクルを5回。勇気君は僕とさっきの技を練習。それが終わったら最後、トラウマありで勇気君と正護君で組手。みんな、分かったかな」
「はーい」
「はい」
「わかりました」
三者三様の返事をする。自分の鍛錬のために、それぞれ訓練に取り掛かった。
そして土曜日、4人は練習試合が行われる県立の道場にいた。道場の真ん中が畳ばりになっており、周りは木材の床となっている。参加者は道場の端の方に荷物を置き、ウォーミングアップを始めていた。正護達も荷物を置き、準備体操を始めた。すると、正護は周りの人間の視線が自分たち、正確には勇気に集まっていることに気が付いた。確かに勇気は顔がいい。しかし、勇気を見ている人の中には男もいた。それに、好意の視線という感じでもない。正護がきょろきょろしているせいか、島田が声をかけた。
「どうしたの、正護君?」
「いや、あの。香山、注目されてませんか?」
「ああ、そうだろうね。前回の勇気君、すごかったよ。ただでさえ、僕の一番弟子ってことで注目されてたんだ。そのせいで腕に自信のある子といっぱい対戦したんだけど、全勝してさ。リベンジに燃える子とかたくさんいそうなんだよね」
ははは、と島田は笑った。島田は軽い感じで言ったが正護には衝撃だった。
「え、オレそんなすごいやつといままで練習してたんですか?」
島田が県内のブレイブ職員でトップというのなら、勇気は県内の訓練生のトップといえるだろう。正護は、自分がそうとうレベルの高いところで訓練をしていたことを知った。
「そうだよ。こんなに強い高校生が何人もいたら、この世界はバトル漫画になっちゃうよ」
そういいながら島田は勇気の肩をつかもうとしたが、するりとかわされてしまった。
「…そろそろ開会式が始まりますよ。行きましょう、先輩」
「お、おう」
勇気に促され、二人は皆が集まっているところへと速足で向かった。
開会式といっても簡易的なもので、練習試合における注意事項のみだった。
まず、この道場は2つに区切られており、それぞれの会場で1組ずつ行うこと。
会場は早いもの勝ちではあるが、連続して行わないなどマナーを守ること。
また、安全のため審判がいること。
勝利条件は3つ。相手に降参と言わせること。相手を気絶させること。誰から見ても勝ち、例えば相手を抑え込む、寸止めするなどをすること。
試合時間は10分であること。
他にも審判が危険だと思えばとめることもあると説明された。
「じゃ、10分後に始めます。みなさん準備してください」
司会者がそういうと皆散っていった。正護達も島田の元に戻っていく。
「勇気君は、好きにしていいよ。きっと引く手数多だろうからね。ただし、けがしたら戻ってくること。美佳ちゃんは勇気と一緒に行動して。彼の試合をみることはきっと勉強になるから。正護君は僕と一緒。君のコンデションをみて、試合をやっていいかどうか決めるから。じゃ、みんな楽しんでいこうね!」
島田に促され勇気と美佳、島田と正護に別れた。勇気は島田の予想どおり引く手数多で、混乱したが、美佳の、じゃんけんで勝った順!の一声で収まった。美佳先導のじゃんけん大会の結果、勇気の初戦の相手は小柄の、そばかすが印象的な男だった。
「オレは清水尊、よろしくな」
「よろしくお願いします」
尊と勇気が位置に着いた。
「はじめ!」
審判の声が響き渡る。勇気はその場で身構え、どのような攻撃が来てもいいようにした。すると尊が手の銃の形にし、すぐさま弾丸のようなものが跳んできた。勇気は左に躱すと、そのまま大きな円を描くように走り出した。ちらりと、弾丸が跳んでいったほうを見ると、水がこぼれていた。尊がとばしたのは、どうやら水の弾丸のようだ。尊は弾丸を何発も打ってくるが当たらない。勇気が尊の指先から目をそらさず、必ずその先にいないようにしているからだ。勇気は円を描きながら確かに尊に近づいていく。そして、急に尊の方に向かって走った。そのまま走り続けると思っていた尊は、虚を突かれ慌てて勇気に向き合い、弾丸を打った。しかし、勇気は走り高跳びのように大きくジャンプしており、弾丸は外れた。勇気はそのまま尊に跳び蹴りを放つ。それは尊のみぞおちにあたり、尊は気絶し倒れこんだ。
「やめ!」
審判の声が響く。勇気の勝ちである。勇気は慣れた動作で尊を運び、道場の端のほうに寝かせた。勇気が振り向くと目の前には美佳がいた。反射的に勇気は2,3歩後ずさった。
「香山君、さっきのすごかったね!仮面ライダーみたいだった!」
美佳は目を輝かせぐいぐいと勇気に迫る。しかし勇気は美佳の押しの強さが苦手なため、踵が尊に当たりそうなぎりぎりまで下がった。
「あ、ありがとう、ございます」
勇気は礼を告げたが語尾が小さくなった。その様子をみて美佳は正護に言われたことを思い出す。
――――あんまり香山のこと、困らせんなよ
美佳が、勇気に正護との関係を聞いたことを話したとき、彼は苦笑いしながらこう告げた。
加えて、こうも言った、香山は繊細だから、と。
しかし、美佳は勇気を困らせているつもりはなかった。まあ、こればかりはただただ、2人の相性が悪かったとしか言いようがない。そして、美佳のコミュニケーションにおける座右の銘はさらに勇気と相性が悪い。美佳の座右の銘は、押してダメなら押し壊せ。美佳は仲良くなろうと更に言葉をかけるのである。
「最初、水の弾とんできたとき、あたしもうだめかと思ったもん。なのにさあ簡単に躱してさ。ぞのあとも全然弾当たらないし、ドラマみたいだったよ!香山君って強いんだね!」
更に畳みかける美佳に、勇気は困惑した。ここに正護がいれば助け船を出してくれるだろうが、あいにく救世主はいない。逃げるにもすぐ後ろに尊がいるため、下手に動くと蹴り飛ばしてしまう。前門の虎、後門の狼、勇気はあーとかえっととか、言葉にならない言葉をもらした。そこに1人の少女が声をかけた。
「あの香山君といえど、女の子には形無しなのね」
その少女は、スラリとした身長で髪が短く、猫のような釣り目が印象的だった。
「あなたは…?」
美佳が訪ねる。
「私は、五十嵐 瑠梨。ねえ香山君、次はあたしと対戦しない?」
勇気は瑠梨の態度から、独特の雰囲気とゆるぎない自信を感じた。瑠梨の目は勝ちを確信しており、勇気を煽っている。勇気は迷わずそれにのった。
「分かりました。お願いします」
瑠梨と勇気が会場に向かう。美佳は遅れてその2人を追った。
「よし、1勝目!」
正護の1戦目の相手は、両手がツタになるトラウマを持っていた。正護は、相手がツタを伸ばした瞬間、ツタに自ら向かいつかみ取り、思いっきり引っ張った。その勢いで相手は転び、両手は元に戻ってしまった。その隙をついて正護は相手を抑え込み、首筋に軽く手刀をあてた。審判は正護の勝ちと判断し、試合を終わらせた。
「おめでとう、正護君。幸先のいいスタートだね」
正護は道場のすみで待っていた島田の元に戻った。島田はにこやかな笑顔と拍手で正護を迎える。
「ありがとうございます」
正護はきょろりと周りを見渡した。
「ここに県内の訓練生が全員そろってるんですか?」
会場には、正護と同年代くらいの人々が30人ほどいた。
「うん、大体そろっていると思うよ。確か、今の県内の訓練生は34人。そのうち、トラウマ持ちは20人。今年は多い方だね」
「そういえば、今更ですけど、訓練生ってトラウマ持ちじゃなくてもなれるんですね」
「そうだよ。あくまで訓練生というのは『トラウマ専門の塾』の生徒なのさ。トラウマそのものについて学びたい人もいるし、防犯対策として参加する人もいる。ま、そんなにメジャーじゃないし、やっぱりメインは対トラウマの人員を育てることだけどね」
島田がパチンとウインクを決める。島田のやけに若々しいしぐさになれてきた正護は何も見なかったことにした。
「それで、次の対戦相手なんですが…」
「島田さーん!」
美佳の声が正護達の元に飛び込んできた。声がした方を向くと、そこには美佳と右頬を腫らした勇気の姿があった。
「わあ、勇気君大丈夫かい⁉」
島田は、持ってきてあった救急バッグから保冷材とタオルを取り出した。保冷材にタオルを巻きつけ勇気に手渡す。
「いえ、大したことないんで…。あ、ありがとうございます」
美佳や島田が慌てている中、けがをした当の本人はいたって落ち着いており、島田から受け取った保冷材を自分の頬に当てた。島田が何があったのか聞こうとした瞬間、やけに偉そうな声が響いた。
「そうかそうか、大したことないのか。まあ、お前の実力ならそうだろうな。では、次は僕と戦え、香山勇気」
そこには、ひょろりと痩せており、眼鏡をかけたインテリ風の男がいた。
「はい、いいですけ」「「いいわけないだろ(でしょ)!」」
いとも簡単に男の言葉に承諾する勇気に、美佳と正護が止めに入る。
「あなたもあなたですよ。いくら香山が強いからって、けが人に声をかけるのはどうかと思います」
「ふん。貴様、初めてみる顔だな。さては、この練習試合の重さをわかっていないな」
「どういう、意味ですか?」
「これは、練習試合といいながらきちんと実力を評価されるんだ。貴様みたいな新人には関係ないかもしれないが、今年度ブレイブに就職する訓練生には自分をアピールする重要な場所だ。それこそ、実力が認められればその後の待遇もいい。だからこそ、今一番注目を浴びている香山を倒せば、僕の実力が認められる。さあ香山、やるぞ!」
立ち上がろうとする勇気に、正護が手で、待て、と合図する。
「あなたの言い分は分かりました。けれど、やっぱりけが人とやるのは間違ってると思います。それに、オレに勝てないあなたが、香山とやっても、どうせ負けますよ」
正護は口の端を吊り上げ挑発する。
「香山ならともかく、今、僕がお前ごときに負けると言ったな」
「ええ、そうですけど」
「ふははっ。随分と生意気なやつだ。ならばまず、貴様から倒してやろう。そして、僕が貴様に勝ったら、次は香山とやる」
「俺が勝ったら、香山は休ませてください」
「いいだろう。では、2試合後に勝負だ」
「分かりました」
そう言って男は離れていった。正護はほっと息をつく。
「先輩…。あの、おれ別に大丈夫ですよ?なので、あんな喧嘩腰にならなくても…」
気がつけば勇気は正護のすぐそばに立っており、正護におそるおそる声をかけた。正護は、勇気の額を軽く小突く。
「なあに言ってんだ。けが人はちゃんと休んでろ。喧嘩腰になったのは、あれだ。ああやって挑発しないと、諦めてくれなそうだったからしただけだよ」
正護はへらりと笑った。勇気は、小突かれた額を軽くなでる。
「そう、ですか…」
香山はうつむき、口をもごもごとさせた。
「だから、お前は座ってろ」
「はい」
正護に促され、勇気は島田の隣に腰かけた。
「じゃ行ってきます」
正護は先ほどの男の後を追った。
「正君って、優しいよね」
美佳は、勇気に声をかけた。
「昔からああなの。自分が悪口言われたらぴーぴー泣く癖に、誰かが言われてると止めに入ってさ」
美佳は幼いころの正護を思い出す。1人でしゃがみ込んで泣いていた彼。いじめられっ子をかばった彼。昔は頼りなかったが、今ではすっかり頼もしくなった。しかし、根本は何1つかわってはいない、優しい幼馴染。
「なんとなく、想像できます」
正護と会ってからまだ3か月ほどしかたっていない。しかしそんな勇気でも、正護が誰かのために動ける人だということは分かっている。そして、正護のそんな場面を思い出すと、ふわりと心が暖かくなる。
「香山君、初めて笑ったね」
「おれ、笑ってましたか?」
勇気は自覚がなかったようで、けがをしていない方の頬を軽くつまんだ。美佳と、ずっと話を聞いていた島田は、そんな様子の勇気をほほえましく見ている。そこに、瑠梨が声をかけてきた。
「香山君、お兄ちゃん来なかった?」
「五十嵐さんの、お兄さん…?あの、眼鏡かけていますか?」
「そうそう!ひょろりとしてて眼鏡かけてる人。やっぱり、来たのね?」
勇気は、先ほどの男かと思い聞いてみたが予想は当たったようだ。
「えっと、君は誰だい?」
「あなたが鶴状地区の島田さんですね。初めまして、『現在』は鷹浦地区の訓練生の五十嵐瑠梨です。自分の兄、五十嵐 徹がですね、私が香山君と対戦して負けたことを知ると、リベンジだと香山君の元に行ってしまって…。香山君はケガしてるので止めたかったんですが…。どうなりました?」
美佳が先ほどの状況を説明すると、瑠梨は深々と頭を下げた。
「うちの兄がご迷惑を…。正護さんという方にまでご迷惑をかけて…。私、兄を止めに行きますね」
徹の元に行こうとする瑠梨を島田が引き留めた。
「それは、やめた方がいい。正護君は自分で考えて引き受けたんだ。それを今更なしにしたらかっこがつかないよ」
「でも…」
「大丈夫!うちの正護君はかっこよくて強いんだ。君のお兄さんにも勝っちゃうよ」
自信満々に言い切る島田に、瑠梨は吹っ切れたのか笑みをこぼした。
「そうですね。正護さんにはうちのわがまま兄にガツンと勝っていただかないと」
すると、瑠梨はちゃっかり美佳と正護の間に座りこんだ。
「え、どうしたの?」
瑠梨の突然の行動に慌てて美佳が聞いた。
「はい。兄の試合が始まるまでみなさんと一緒にいようかと…。なにより、香山君って滅茶苦茶かっこいいじゃないですか。私、さっきの試合でファンになりました」
瑠梨はニコニコと答え、勇気は体をこわばらせた。
「さっきの試合って、勇気がケガしたやつかな。僕まだその詳細きいてないんだけど、教えてもらえる?」
「はい、そうです。わたしと対戦したんですよ~。私のトラウマって『魅了』なんです。異性ならば、目があうだけで魅了状態になって私のいうこと聞いてくれるようになります。先ほども、目が会ったとき魅了をかけたんですけど。そうしたら、発動と同時にいきなり自分のこぶしで自分を殴って、魅了を逃れたんです。そのままこちらに向かってきたんで、怖くなって目をつぶったんですけどそしたら首の後ろを軽くトンってされただけで。その後香山君は審判に『勝ちでいいですか』って。あの時の香山君、紳士的でとってもかっこよかったです!」
瑠梨は先ほどの試合を興奮冷めやらぬ、といった風に語った。いままで、トラウマの能力とはいえ、魅了にかからなかった男はいなかった。それをあんな風に解決した勇気は、瑠梨にとって紳士的でかっこよかった。また、練習試合にもかかわらず怖がる自分に、優しい対応をしてくれた。今瑠梨にとって勇気は王子様に近しいのである。
「勇気君、これ自分でやったの…?」
「はい。目が会った瞬間、危機感を感じたので。精神系のトラウマかと思い、痛みで正気を保とうと考えました」
島田は、勇気の対応の早さに嬉しさを感じたが、少し悲しみも感じた。勇気が、様々なタイプトラウマに対応できるよう訓練をしその成果が表れた一方、迷わず自分を傷つける判断を出来るようになってしまったから。こういう風になって欲しかったわけじゃないんだけどなあ。島田は心の中でつぶやいて口には出さなかった。
「勇気君に傷をつけられる高校生がいるだなんて、信じられなかったけど、そういうことだったんだね。勇気君、一回傷見せて。腫れが引いたかみたいな」
勇気は頬から保冷材を話し、傷を島田に見せた。
「少し腫れは収まったかな。なら、シップ貼っちゃおう。片手使えないの不便だもんね」
島田は救急箱からシップとテーピング、鋏を取り出し、手当を始める。その手つきは丁寧で、なるべく傷に触れないようにしていた。勇気は目をつむりされるがままになっている。
「よし、できた。こんな感じで大丈夫かな?」
「はい、大丈夫です」
「あ、正君だ!がんばれー、正君」
美佳が、徹と向き合っている正護を見つけた。今から試合が始まるようだ。
「頑張れ、正護君!」
「正護さーん、お兄ちゃんに負けないで!」
美佳につられてそれぞれが正護を応援する。勇気何か言おうと思ったが、上手く声が出なかった。
ケガしないでください、先輩。自分が言えたことではないが、正護にはけがをしてほしくはなかった。
「はじめ」
審判の声が聞こえる。勇気は両手をきつく握りしめた。
「はじめ」
審判が始まりを告げる。それと同時に徹が接近戦を仕掛ける。
「くっ…」
怒涛のこぶしを、正護は丁寧にさばく。どの攻撃も、香山に比べれば軽かった。
息切れのせいか、一瞬徹のこぶしがやむ。その隙をついて、正護は回し蹴りを繰り出した。
「かはっ」
回し蹴りは徹のお腹に決まったものの、とっさに下がったせいか、手ごたえは薄かった。
「生意気をほざく程度の実力はあるようだな」
「オレがいつも誰とやってると思ってるんですか」
どんな相手も香山と比べればかすんでしまう。
「本当は香山までとっておきたかったが仕方あるまい。僕の本気をみせてやろう」
すると、徹の背中から鷹のような大きな羽が生えた。徹が羽を、ぶわりと大きく羽ばたかせるとその体が浮いた。
「これが僕のトラウマだ…」
徹は上に飛び、そのまま急降下して攻撃を仕掛けた。通常の攻撃よりも素早いそれを正護はぎりぎり躱した。徹は攻撃を仕掛けては、また上に戻りまた急降下。ヒット&アウェイの戦法のようだ。正護はそれを必死に躱すが、攻撃に転じられない。
カウンターができればいいのだろうが、正護にそんな技術はなかった。
「ふはははは。先ほどの威勢のよさはどうした。防戦一方じゃないか」
逃げてばかりの正護を徹があざ笑う。
地上戦であれば、負けないのに。正護のトラウマは前に進めば進むほど、強くなるものである。前にしか進めないという弱点は、トラウマをオフにすることで対策していた。しかし、このままでは…。そんな正護に1つのひらめきが下りてきた。
いちかばちか、正護は空へとかけた。
バスケットボールには、かの有名なマイケル・ジョーダンがダンクを決める際使ったという、エアウォークという技がある。文字通り、空をかけているのである。バスケ少年だった正護も何回か挑戦したこともあるが、一度も出来なかった。しかし、今の正護にはトラウマがある。前にしか進めない彼は、重力に逆らい、まさに空を『駆け上った』
徹には何が起きているのか分からなかった。最初は無駄なあがきと見ていたが、正護はどんどん上に駆け上がってくる。それはどんどんスピードを上げ、気が付けば目の前に迫っていた。正護が拳を放つ。徹は防御をしたが、とてつもない力で、それごと地面にたたきつけられてしまう。徹は気絶してしまったようだ。
「やめ!」
審判が制止をかけると同時に、ドシンと大きな音を立てて、正護が空から落ちてきた。
「いてててて」
「先輩!」
「正君!」
美佳と勇気が慌てて正護に駆け寄る。
「先輩、頭打ってませんか。痛むところは?」
「頭は守ったから大丈夫。足腰の方が痛む」
正護はゆっくりと起き上がる。立ち上がるときに顔をしかめた。
「正君、大丈夫?」
「右足痛めたみたいだ…」
「では、肩かしますね。それとも、背負いますか?」
「背負われるのは恥ずかしいから、肩かしてくれ」
「分かりました」
正護と勇気、そして遅れて美佳が島田の元へ戻っていく。島田はテーピングや保冷材、ガーゼなどを並べており、手当の準備はばっちりのようだ。
「正護君、勝利おめでとう。まずは手当といこうか。どこが痛むんだい?」
正護が足や腰が痛むことを伝えると、島田はそれぞれの箇所にシップを貼ったり、テーピングで固定をした。
「帰ったらブレイブの医務室行こう。打撲関係なら一般の病院にも負けないからね。そして、今日はもう見学のみだよ」
「分かりました」
トラウマをいつもと違った使い方をしたのもあり、正護はずいぶん疲れていた。空を駆けるのは簡単ではないようだ。
「先輩、また無茶しましたね?トラウマを使って空を駆けるのはいいですけど、着地のことも考えずにやったでしょう。なだらかに降りれないのであれば、せめて道場を横断して壁まで行って、そこからつたって降りてくればよかったのに。あそこから急に落下して…。頭でも打ったらどうするんですか」
勇気はいつもどおり坦々とした口調で正護にお説教をする。
「その手があったな」
無事に空を駆けることが出来たはいいが、正護は降りることを考えていなかった。審判の声を聞き、正護は降りなければいけないと思ったが、このまま駆け上がることしかできないと悟ってしまい、どうすればいいのか分からず、トラウマをオフにしてしまった。ポンポンと案が出てくる勇気に、正護は素直に感心する。
「でも、香山君は洗脳対策で自分のこと殴ったじゃない。頬が腫れるくらい。香山君も無茶するよね。正君と同類だ」
なんて言って美佳は笑った。しかし、彼女が一番人のことを言えないのである。
「美佳が言うなよ!」
あのとき正護がどれだけショックを受けたと思っているのだろう。ほんとにトラウマものである。あれに比べれば正護や勇気の無茶なぞ可愛いものだ。
「あはは、君たちは無茶苦茶トリオだねえ。とりあえず、正護君は今度の訓練で空を駆ける練習しようね」
誰かがああ言えば、誰かがこう言う、収拾のつかない会話に終止符を打ったのは島田である。
「分かりました」
「全く、僕はこんなすちゃらか集団に負けたのか」
再び偉そうな声が届いた。
「あなたは、えっと…」
声の方を振り向くと、徹と瑠梨がいた。しかし、正護は徹の名前を知らなかったので言葉を詰まらせた。
「僕は五十嵐 徹だ。貴様は」
「桐谷 正護です」
「桐谷か…。貴様ほどの実力ならば、僕と同じところで学ぶことを許してやる」
「え?」
「なんと私たち、来月から鶴状地区に引っ越すんです!というわけで、来月からよろしくね香山君」
瑠梨がにっこりと勇気に微笑みかける。
「そうそう、来月から鷹浦から訓練生が引っ越してくるとは聞いてたんだよね。五十嵐って名字を聞いて思い出したよ」
島田はすかさずフォローを入れてくる。
「人がいっぱいで楽しくなりそう。よろしくね瑠梨さん、徹さん。あ、紛らわしいので下の名前でも呼びますね!」
美佳の適応力の高さに、正護は羨望の眼差しを向けた。
「大丈夫ですよ。こちらこそよろしくお願いします。ほら、お兄ちゃんも挨拶して!」
「…よろしく頼む。香山、桐谷、首を洗って待っているがいい」
「怖いこといわないの。香山君も瑠梨って読んでね」
パチリと、瑠梨が可愛らしくウインクを決めた。
「…ええっと…」
勇気が困っているな、と正護には分かった。これでは、勇気が瑠梨と呼ぶ日は遠いだろう。正護はため息をつく。彼の訓練生生活は更ににぎやかになりそうだった。
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