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8 欠片
「島田さん、聞きたいことがあるんです」
ブレイブでの訓練を終え、皆が帰宅し始めるころ正護は島田に声をかけた。その目はまっすぐ島田を見つめており、正護の真剣さを物語っている。
「長くなりそうかい?」
「多分」
「じゃあ、場所を移そうか。ここじゃゆっくりできないしね」
そうして島田に連れられてきたのは、応接室だった。初めて入った時と変わらず、綺麗に整えられている。正護と島田は向かえ合わせに座った。
「それで、聞きたいことって、なんだい?」
島田はいつもよりも穏やかな顔で笑っている。
「式見、栄治についてです」
島田は目を見開いたあと、困ったように笑った。
「式見の何について知りたいの?」
「どうして、顔を見ただけで名前が分かったのか、です」
落ち着いて考えれば分かることだった。防犯カメラで顔が映ったから名前が分かったなんて言っていたが、それだけで分かるはずがない。きっと、それ以外にもあったのだと正護は予測している。
「やっぱり気づいちゃったか」
「何か、知ってるんですよね?」
式見はトラウマ持ちのため、警察だけでは手に負えないと判断したのだろう。ブレイブの島田にも情報は流れてきている。本来、正護には話せないことなのだが、弟分の我儘が頭をよぎった。
「ほんとは話せないことなんだけど、君たちには必要なんだろうね…」
―同情と、罪悪感、ですかね
それは、弟分が持つべき感情ではなかった。ただ、あの子の優しさからきたものだろうから、なるべく汲んであげたかった。この子たちは優しい、他人の傷で傷つくほどに。だからこそ、癒せるものもあると思うのだ。
「警察の方でね、持ってたんだよ、式見栄治の顔写真。行方不明の子供として」
「行方不明?」
「そう。彼は一時期捜索願いが出されていたんだよ。といっても見つからず今に至るんだけどね。ただ、彼の重要な点はそこじゃない」
そこで島田は一度言葉をきった。どうして自分は嫌なことをいう立ち回りなんだろう、と自嘲する。大きく息を吐いてから再び口を開いた。
「彼は虐待を受けていたんだそうだ。小学生時代に彼は命からがら逃げだして保護されたそうなんだけど、ひどい有様だったらしい。手足はガリガリで傷だらけ、碌に風呂にも入っていない。そんな子供がよく外に出れたと思ったけど、今思えばその当時からトラウマを発症してたのかもね」
正護の心がチクチクと痛みだした。ずっと嫌なやつだと思っていた相手の柔い部分を見せられている。正護は両手を組みぎゅうと握りしめた。
「式見はその後、児童養護施設に入れられたんだけどね、逃げ出してしまって。そのとき、捜索願が出されたんだ。で、そのときの写真と防犯カメラの映像から特定したってわけ」
式見の過去に、何かあったことくらい、ちゃんと分かっていた。トラウマ持ちというだけで、心に傷を負っていることは確かなのだから。しかし、詳細を知れば重い事実として正護の心にのしかかってくる。
「式見は、どうして、犯罪に手を染めたんでしょう…?」
「多分、生きてくためだよ。子供1人ではまともに生きていけない。幸い、式見にはトラウマがあっただろうからね」
正護にはとうとう、式見が歪んでいる理由が、何となく分かってしまった。
傷だらけなのに、かさぶたを剥がしてしまえば、さらにぼろぼろになるだけだ、体も、心も。
「聞いたこと、後悔してる?」
島田が心配そうに正護の顔を覗き込んだ。
「いえ、大丈夫です」
正護は、痛む自分の心を諫めた。自分は式見に同情してはいけないから。
「そう…。あまりため込んじゃだめだよ」
島田が腕をのばし、くしゃりと正護の頭を撫でた。
「ありがとう、ございます」
島田は、正護の葛藤に気付いていた。しかし島田は、正護がその葛藤を飲み込めるのを待つことにした。きっと、どれを選んでも間違いではないから。
「さ、そろそろ帰った方がいいよ。今日も雪降ってるし」
「そうですね。今日は、ありがとうございました」
「僕が話したってことは、秘密にしてくれよ」
島田お得意のウインクはいつも通りで、正護は笑みをこぼす。そして正護は荷物を持ち、柔らかなソファから立ち上がった。
「では帰りますね。お疲れ様でした」
「お疲れ様」
島田がひらひらと手をふる。部屋をでた正護がみたのは、帰ったと思っていた勇気だった。
「香山?」
「お、お疲れ様です」
勇気は防寒具を着込み、エナメルを肩にかけたまま廊下の壁に寄りかかっていた。
「島田さんに用事?」
「違います。あ、えーっと」
勇気は姿勢を正し正護の方をみた。言い淀む勇気を待ちながら、正護はそっと部屋の扉を閉めた。
「先輩が、ピリピリしてたので、何か、あったのかと、思って」
「うん」
「おれでよければ、力になりたいと、思って…」
「うん」
「あ、あの、待ち伏せみたいになって、すみません」
勇気が言葉を選びながら一言ずつ丁寧に話す。正護はせかすことなく、ゆっくりと相づちを打った。勇気は最後に頭を下げた。
「ううん。ありがとうな」
勇気が自分を心配していたことが伝わって心が暖かくなる。勇気はゆっくりと頭を上げた。
「帰りながら話すよ」
「分かりました」
正護と勇気はいつも通り並んで歩く。外にでればしんしんと雪が降っていた。今日は平日の訓練で、もうすっかり夜になっていた。周りには人影がなく、2人の雪を踏みしめる音が響く。正護の心の中では、式見栄治のことで重くよどんでいた。少しでも軽くしたくて、口を開く。
「式見栄治のこと、どう思う?」
正護はあいまいに聞いたくせに、勇気が式見への怒りを見せることを期待していた。そうすれば、式見に対するいらない感情も吹っ切れると思ったから。
「…自分の同類、ですかね」
しかし、勇気は正護の期待を簡単に砕いた。歩みが遅くなった正護に構わず、勇気は続けた。
「先輩は、式見と初めて会った時のこと、覚えてますか?」
「ああ」
「そのとき式見は、先輩に八つ当たりしてましたけど、おれ、式見の気持ちがなんとなく分かっちゃったんすよ」
勇気が足と言葉を止めた。正護は、勇気の目をじいっと見つめる。うつむいていた勇気が顔を上げ、視線が交わった。
正護の鋭い視線に促され、勇気が言葉をつづけた。
「うらやましかったんですよ、危険だと知りながら助けてくれる人がいて。きっと、自分も助けて欲しかったんでしょうね」
勇気はどうしてそう思ったのかと聞かれても、説明できない。ただ、式見が勇気をそばに置いておきたかったのと同じように、勇気も式見にシンパシーを感じていた。
正護は、言葉を詰まらせた。勇気の言葉が、さらに正護を迷わせる。
「先輩は、どう思ってるんですか?」
「…分かんねえ」
色んな感情が、正護のお腹の中でぐるぐると渦巻いている。
「なんでお前が、そんなこというんだよ。式見はお前に、いっぱいひどいことしたんだぞ!お前は、怒るべきだろ!」
正護は、これが八つ当たりだと分かっている。でも、どうしても納得がいかなくて、声を荒げてしまう。目頭が熱くなって、涙がこぼれてきた。
「先輩は、おれに怒っててほしいんですか?」
正護の八つ当たりを受け止めた勇気は、小さな子を諭すように尋ねた。
「…そうだよ。香山が怒っていてくれれば、式見に同情しなくなる…。いや、同情できなくなる。オレは、式見に同情なんてしたくないんだ。だって、たくさんの人を傷つけてきたやつだぞ?そんなやつが救われたら、傷付けられてきた人達が報われない」
もしこれが一般人で、辛くて辛くて助けて欲しいというのなら、正護は力になりたいと思う。でも、式見の後ろに今までの被害者の顔が見える気がして、助けたいと思えない。見なかったことにもできないけれど。
「先輩は、やっぱり、優しいですね」
勇気は眉尻を下げ、困ったように笑う。
「先輩のしたいようにしたって、誰も責めませんよ。もちろん、おれも」
正護がぐずぐずと鼻をすする。その様子はまるで、迷子の子供のようだった。
「でも、やっぱ、わかんねえ。自分がどうしたいのか。…いままでみたいに、なんにも知らないまま、やなやつって思えればよかったのに…」
勇気は、一度瞬きをしたあと、くすりと笑った。
「な、なんだよ!」
「ああ、いえ。もう答えなんて出ている、と思いまして」
勇気の言っていることが分からなくて、正護がきょとりとする。気がつけば、涙は止まっていた。
「ヒントは『知らなきゃよかったのに』です。それともう1つ…、いえ2つですかね」
勇気には、正護の答えが分かっている。ただ、これは正護が自分で見つけなければきっと納得しない。自分に出来ることは、少し背中を押すだけ。
「おれのことは気にせず、したいようにしてください。あなたが何を選んだって、先輩の味方ですから」
勇気は今まで、正護にたくさんもらってきた。だから今度は、自分が力になりたかった。まずは、気持ちをあげることから。
勇気の言葉を聞いて、正護は心が少し軽くなった。絶対に自分の味方でいてくれることが、心強かった。
「ありがとうな」
「当然ですよ。おれはもう先輩からもらっていますから。なので、そのお返しです」
いつかの自分が、あなたの言葉にどれほど救われたか、知っていて欲しい。まぎれもなく、勇気の本心だった。勇気がふわりと微笑む。鼻や頬は寒さで赤くなっていたけど、その笑みはひどくきれいだった。
「…ありがとう」
正護は、照れくささでいっぱいいっぱいになってしまって、結局、言葉を繰り返すことしか出来なかった。正護は逃げるように歩を進める。勇気もそのあとを追うように歩き出した。
次の日の放課後、正護は美佳と並んで帰っていた。雪は降っていないものの、溶けかけて道を汚している。べしょりべしょりと不快な音を立てながら、2人は進んでいた。
「香山君のこと何だけどさ」
不意に美佳が口を開く。
「香山?とうとうなにかやったのか?」
脈絡もなく出てきた名前に、正護はすこしびくっとした。もしや、とうとう美佳が勇気に何かしたのではないかと心配になる。正護の心配が顔に出ていたのか、美佳が眉をびくりと動かした。
「もー!別に何もしてないよ!正君たらひどおい」
美佳は怒ったかと思えば、泣きまねをしてみせる。目まぐるしく変わる表情に、正護はほほえましく見守る。
「あはは、悪かったよ。で、香山がどうかしたのか?」
「最近、変わったよねえ」
正護が話を促してやれば、美佳はいつも通りのふわふわとした笑みで、話題をつづけた。
「変わった、ねえ。そうだなあ」
確かに、前よりよく笑うようになったと思う。特にこの前の事件から。
「前まではさ、正君だけに懐いてたのに、最近は皆に柔らかくなったよね」
美佳に対し、前までの勇気は腰が引けていたが、最近は少し自然になった。といってもまだ逃げ腰ではあるため、もっともっとコミュニケーションをとろうと考えている。そういった思考が勇気が逃げる理由だと、彼女はまだ気づかない。
「…いいことだな」
正護は島田の言葉を思い出す。「愛されていることを知りなさい」勇気は自分の幸せのために、少しずつ変わっていこうとしている。勇気の変化を感じられて、正護は顔をほころばせた。
べしょりべしょり。相変わらず道は悪く、何となく歩きづらい。でも2人は顔を緩ませながら歩く。そんな中、女性のつんざく様な叫び声が響いた。
「きゃああああああああ!」
2人は声のする方へ一目散に駆け出した。厚着しているせいか体が動かしづらい。足元では泥交じりのどろどろの雪が跳ねている。それにも関わらず、全力で駆けていく。
そんな2人を待っていたのは、異様な光景だった。普段であれば、住宅が立ち並ぶだけの普通の道、そこにその男女はいた。血走った目を男性の右手からでた何本もの鎖が道を横切っており、その先で女性がきつく締めあげられていた。女性の体には、鎖がらせん状に巻き付いており、その華奢な体を痛めつけていた。
「いたい!やめてー!やめてー!放してえええええ!」
女性は苦しさより痛みの方が強いようで、目には涙を浮かべ、顔を苦痛にゆがめている。
「ひどい…」
正護は女性に共感したのか、自身も顔をゆがめた。しかしすぐに、自分が何をすべきか頭を働かせる。美佳にアイコンタクトをとると、美佳は携帯を片手にうなずいた。
「お前が、お前が悪いんだ!お前が他のやつのところへ行くから!」
男は女に向かって怒鳴り散らす。喉を痛めんばかりに叫んでおり、痛々しかった。女は苦痛に喘いでおり、会話にならない。
「いたいぃぃぃ!いたいよぉぉぉぉぉ!」
「お前が、お前がわるいんだあ!」
男女はお互い狂ったように叫んでいる。この痛ましい悲劇を終わらせるべく、正護は男に向かって走った。しかし、男の左手の鎖に阻まれる。
「じゃまを、するな!」
男が左手をふった。すると、鞭のようにぶおん、と鎖がとんでくる。正護は後ろに下がりよけたが、鎖がぶつかった家の塀にひびが入る。正護はひやりと汗をかいた。一撃でもくらったら、危ない。それほど危険な「トラウマ」だった。
鎖の長さは5mほどで、リーチがある分、懐に入れれば勝機はありそうだ。しかし、正護たちは運悪く男の左手側にいる。懐に入るのも困難な状況だった。正護はちらりと隣の塀を見て、男の身長と見比べる。塀の方が男より高く、正護は口角を上げた。
正護は、ひょいと塀に上った。ばれなければセーフと内心舌を出す。そうして正護は「トラウマ」を使った。男は鎖を横に振り回したが、正護はそれを蹴とばしていく。そして男の右側に立った。
「すみません」
正護はとん、と男の首の後ろに手刀をあてた。男から伸びていた鎖は砂のように消え、男はどしゃりと地面に倒れた。鎖から解放された女性は、糸がきれたようにすとんとしゃがみこんだ。美佳が慌てて駆け寄る。女は狂ったように笑い出した。
「あははははっ!バカな男!あんたなんて、遊びに決まってるじゃない!そのくせ、本気にして!ほーんと、身の程知らず!あはははははは」
女の下品な笑い声が、響き渡る。正護は聞きたくなくて耳をふさぎ、小さくなった。それでも、女の笑い声が聞こえてくる。
―――――誰が悪かった?
―――――本当に助けるべきだったのか?
正護の頭のなかで、自分を責める声がする。
「ねえ、うるさいですよ」
美佳の声が聞こえた。美佳は女性を見下ろしている。その視線は冷たく、突き刺さるようで、女性は小さく悲鳴を上げた。しかし、よく見ればただの高校生だと思い強気に返す。
「な、何よ。あんたには関係ないでしょ!」
「ありますよ、ほら」
美佳が指を指した方向に、女性は視線を向けた。その先にはうずくまっている正護がいた。
「あなたのせいで、正君が傷付いちゃいました。正君優しいですからね」
美佳の口調こそは穏やかなものの、その影には怒りが潜んでいる。
「だからね、静かにしてください」
美佳はにこりと笑った。しかし目が笑っておらず、それがさらに女性の恐怖をかきたてた。女性は声も出さずこくこくと何度もうなずく。
「ありがとうございます」
美佳はさらりと礼を述べ、正護の元へかけていく。
「正君、大丈夫?」
正護は恐る恐る顔を上げ、美佳を見つめた。美佳はいつも通りの柔らかな笑みを浮かべている。
「後悔しているの?」
後悔、と正護は小さくつぶやく。
「分からないんだ…。なあ、オレは正しかったのか?」
正護がか細い声で尋ねる。その弱弱しさに、美佳は幼いころの正護を重ねた。
きっと、この幼馴染のことだ。女性を救おうとして、男性の気持ちを汲めなかったことを悔いているのだろう。
優しいがゆえに傷つきやすく、全てを大切にせんとする幼馴染。夢物語だと思わなくもないが、美佳は正護のそういうところが好きだった。
「正君は難儀だなあ。どうせ、助けなくたって後悔する癖に」
ふふふ、と美佳は笑った。
「それもそうだな」
正護もつられてふふっと笑い声をこぼした。美佳の一言で、正護の中でごちゃごちゃしていたものが、すっきりとした気がする。冬の冷たい空気が心地よかった。
晴れ晴れとした正護の顔見て、美佳はほっと息を吐いた。そしていつの日かのように、すっと手を差し出す。正護はその手をとり立ち上がる。子供のときより大きくなったはずなのに、美佳の手は随分小さく華奢に思えた。それでも、あの頃よりずっと頼もしい。
「正君の手、おっきいねえ」
美佳は正護の手を両手でつかみ、もにゅもにゅと弄んだ。
「くすぐってえよ」
正護は美佳の手をやんわりと剥ぐ。美佳は物足りなそうな目で正護を見つめたが、諦めたのかふいと視線をそらした。
あたりが騒がしくなってきて、しばらくするとブレイブの車や救急車が到着した。
「患者はどこですか!」
救急隊の1人が、声を張り上げる。美佳と正護はその声を聞いて、素早く対応する。
救急隊はきびきびとした行動で、男女を救急車にのせた。
2人が救急車を見送っていると、島田が声をかけた。
「お疲れ様。2人ともお手柄だね!」
島田がばちりとウインクを決める。
「えへへ、訓練の成果です!」
言葉を真っ先に返したのは美佳だった。美佳は島田の褒め言葉に臆することなく、嬉しそうに笑った。
「今回は特に問題なかったです」
美佳と反対に、正護はいままで島田に心配をかけてばかりだったため、苦笑いをしながら返した。
「うんうん、2人とも成長したね」
島田は腕を組み、大げさに首を振った。その顔には感慨深い表情を浮かべている。
「2人とも知っているだろうけど、頑張った君たちには、事情聴取が待ってます。サクサクやってさっさと帰ろう」
そういって島田は、2人を車に乗るように促した。正護達は慣れたように車に乗り込む。
「さあ、行くよ」
島田の掛け声とともに、車がゆったりと動き出す。
「あ、雪だ」
車の窓から、ふわふわと雪が降ってきたのが見える。美佳は嬉しそうに声を弾ませたが、正護は少し憂鬱になった。正護は雪が積もっているであろう明日に思考を巡らせる。想像どうりの明日がくると、このときまでは思っていた。
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