黄いろの和傘をさしませふ

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和傘を嫌いだと思ったことは、人生の中で2回ある。 1度目は小学校に入学した時だ。 僕は、和傘屋の一人息子として育った。一応何世代も続くらしいこの店の「跡取りになるんよ」と母から言われて育った。 和傘屋 綾瀬(あやせ)の主人である父は職人気質(かたぎ)の人で無口である。特に言葉をかけるわけでもないが、「この店を継ぐんや」と張り切る僕に幼い頃から、丁寧に仕事を教えてくれた。 小学校に上がる際に、黄色の雨傘を用意するように言われていたらしい。指定の物があったようだが、その時に限って父が意見した。 「和傘屋の息子が洋傘なんて差したら笑いもんや」 子どもが差せるように小さめの蛇の目傘を用意してくれた。色を合わせておけば問題ないだろうと、うちの店には珍しく黄色の和紙を使ってくれた。 雨が降った日には大喜びをした。父もそんな僕を見て珍しく笑っていた。 「黄色の和傘なんて、女が差すもんやろ」 古くさい和傘だとか、指定されたものではないとか、そういう批難であったら良かった。 日本情緒が残るこの町では、男らしくないと言われたのだった。 「老舗和傘屋の主人はそんな常識も無いんかって言われた」 黄色の蛇の目傘を片手に、ずぶ濡れで帰ってきた僕に向かって父はこう言い放った。 「そんなこと気にしよったら、生き残っていけんぞ」 今思えば、確かにそうだと頷けるけれど、当時は簡単に右に(なら)えしてしまった。 次の雨降りの日、指定の洋傘を差して登校した僕を見つけて、きらきらした顔で話しかけてきた女の子がいた。 「私、あの黄色の和傘好きやったけどなぁ。綾瀬さんでいつも作ってるのと違ってた。可愛らしい花柄もあったもん」 彼女とは、それから『まこちゃん』、『ミツ』と呼び合う仲になった。 僕は、老舗和傘屋の(まこと)。 ミツは老舗旅館の一人娘の美月(みつき)。 1度目は、ミツのおかげで、和傘屋の跡取りとしての誇りを取り戻すことができた。
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