Starry Wish Night

3/5
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
「──見て、茜音」  翠那の言葉が終わらないうちに、空を照らす月の端がビル群の横に覗く。  同時に、無骨なビルが立ち並んでいるはずの眼下に、小さな光が点々と浮かび上りはじめて、茜音は眼を瞠った。 「──灯り? ここは犯罪留意地区なのに」 「うん。電気なんて通ってない、平和な世なら誰も用がない場所だよ」  遠く見える建設用クレーンの昏い赤を押しのけるように、満月に近い明るさの月が少しずつ姿を現していく。呼応するように地上の光も増える。  まるで地図がそのまま浮かび上がったようだと思っていると、足元で少女が囁いた。 「茜音。私達が旧市街で会った時の事、覚えてる? あの時茜音が居てくれたから、私は今生きている──感謝しているの。だからね、できれば茜音には素敵な人と幸せになって欲しい。そう願わない日はない」 「まだそんなこと思ってたのか。あたしには今のところ、翠那以外と生きていく気がない。やっと追われる日々が終わったんなら、ここからだろ。だから今日はあんなご馳走作ったんだって、もう解ってるんだろうに」 「よく解ってる。美味しかったもの」  微笑む翠那の眼が、寂しげな光を映す。 「でも、千波は許してくれるかな……私が幸せになる事」  小さく囁かれた言葉に、茜音は口を噤んだ。   そんな理由、思いもよらなかった。  あの日、翠那が生きるのを躊躇った理由が、千波という女の子がビルから飛び降りたからだった。確か、建設途中のビルの──九階から。 「翠那、まさかここ……、ここが?」 「……あの子は私の代わりに殺された。自分から捕まって、私の事を話して生き延びる道もあった筈なのに、何も話さない方を選んで、ここから飛び降りた。それしか……あり得ない」  思い出したように時折吹く風が、構内に細く残響を添えて消えていく。  地上の光は今や星屑のように、月灯りを反映して瞬いている。この光のひとつひとつが、この建物の側を通る度に翠那が何年もかけて置いて回った鏡のかけらでできていることを、茜音は初めて知った。  一緒に過ごして暫くした頃、仮眠を取るために入った古い倉庫に割れた鏡が入った段ボールが何個もあって、使えると判断した翠那がゴム手袋をして少しずつ持ち出していたのは知っている。  有事に足跡を残す目印として置いてあることも、高い場所に設置するよう頼まれることも日常茶飯事だったけれど。  ──撒き続けていたのか。これ程の数を、弔いのために。 「今までだって、私達はたくさんの人達と会ってきた。けど、これ以上の災難に巻き込まないように、その全員と連絡を絶ってきたよね。でももう追われないのなら、私はせめて、悲しむ子ども達をこれ以上増やしたくないと思う」  茜音は絶句する。  同時にもどかしくも思う。  なぜこんな時に、本来なら喜ばしい時に、そんなことを考えているのか。 「……本当にもう、追われる心配はないのか。今日からは絶対に?」  肚に力を入れ、茜音は尋ねる。 「……現状はないと言える。今後も絶対にとは言い切れないけど」 「それなら翠那だって、自分の幸せに向かうべきなんじゃないのか。あたしだって、翠那には幸せになって欲しいんだよ。それが最優先だろ」 「茜音が傍にいてくれるだけで私は幸せになれてる。知ってるでしょう?」 「夜に走り回るような生活はもうやめたいって、思ってたのも知ってる」 「そう。私のために茜音を危険な目に合わせるような事は、もう」  ごく静かに言葉が返されて、音もなく瞬く星屑を眺める。 「けれど、不思議なの。この鏡は、千波の命日の前後に一番反射率が上がるように計算して置いてきた。その命日の前日に、安全が確約されるなんて」 「……そうか」  渦巻くような光の中で、苗字も知らない千波に礼を述べた。 「それはきっと、喜んでくれてるってことなんだと思う。あたしは千波とは会ってはいない。けどもしあたしが同じ立場でも、きっとそう思う。翠那はどうだ、もしも千波と立場が逆で、今この瞬間を遠くから見ていたとしたら」  辺りがさらに冷え込んできた。微動だにしない翠那の砂色の髪が風に靡いて、月の金色に時折ふわりと撫でられている。 「──うん。すごく嬉しいと思う」  細い息を吐く翠那は、指の腹で頬をなぞると立ち上がろうとする。 「千波と茜音が幸せになってくれたなら」 「だろ? だからもう──」  その肘を掴んで引き上げると、翠那が名前を呼んだ。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!