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「柿崎さんはどうしてこの仕事を?」
パイプ椅子に簡易机。その上に乗った鏡を見ながら化粧をする女性、柿崎奈美に向かって尋ねる。
ロッカーが並ぶ控え室は、物置と化していた。衣装や着ぐるみ、武器や仮面などが段ボールからはみ出したり、椅子の背もたれにかけられていたりする様子は、学園祭の一室のようにも見える。
だが学園祭と違って、これはお金をとるショーだ。どんなにふざけたことでも本気でやる。それが仕事だ。
「立花くんは? どうしてこの仕事を?」
鏡に向かい化粧を続ける柿崎さんは、こちらに視線を向けることなく質問を質問で返してきた。女性の化粧姿をまじまじ見つめることは、失礼だと思う。けれど、柿崎さんのしている化粧は、OLがしているものとは違う。
化粧水、乳液で肌を整えたあと、ファンデーションを塗り、さらにその上から黒い模様を描く。どちらかというと、舞台上の特殊メイクに近い。遠くからでもわかるように、明暗のはっきりした化粧をする。
「ボクはまだ、無名ですから」
役者の仕事を選ぶ立場ですらない。指名してもらえるのなら、何でもやる。たとえ、ヒーローショーでも。
でも、柿崎さんは違う。
ボクより十歳年上ではあるが、さまざまな舞台や映画に出演している。端役だけでなく、物語において主要な役柄もこなしている。人気女優ではないかもしれないが、それでも実力はあり長い間女優として活躍している。
そんな彼女が、ヒーローショー。それも悪役を演じているのが不思議だった。
「立花くんはまだ若いんだし、これからでしょ。幅広い演技のできる役者だと思うから、そのうち人気者になるんじゃないかな?」
「ありがとうございます」
柿崎さんにほめてもらえた。お世辞を言わない人だから、とても嬉しい。
だが、ボクの質問の答えにはなっていない。もう一度、口を開いたときだ。ショーの始まるBGMが聞こえた。こんなところで時間をつぶしている場合ではない。急いで舞台袖へ向かう。
このショーが終わったらもう一度聞こう。そう思っていたのに、ショーが終わった頃にはすっかり忘れていた。
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