エゴの贄

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 ごうん、ごうぅん…と、鈍く唸るような振動音が室内に響いている。  ひどく、寒い。  ドーム状の巨大な室内には、二メートル半の筒状の装置が前も後ろも頭上さえも、見渡す限りずらりと並んでいる。装置の間にはチューブがぎっしりと張り巡らされ、この空間の冷気を表すように霜がおりていた。鋼鉄の銀世界。なんとも無機質かつ殺風景だ。  アイは宇宙を航行する移民船の機械技師である。この見渡す限りの冷凍睡眠(コールドスリープ)装置のメンテナンスを担当している。装置の中には “生身”の人間たちが新天地を夢見て眠りについているのだ。  三百年、アイたちはずっと人々の安寧な眠りを守ってきた。アイは見た目こそ東欧系の三十代女性だが…実際は機械の部品を体に入れて特別な延命措置を施したサイボーグである。  アイだけではない。百名余りいるこの移民船の船員は、全てサイボーグだった。  この移民船が目指している新天地たる星は、空間ワープを繰り返しても祖星から数百年はかかる遥か先。どだい、人間の寿命では足りない。そして、冷凍睡眠(コールドスリープ)中の人類を安全に新天地へと送るためには、どうしても起こるであろう様々な問題に適宜対処できる存在が必要だった。意思なき機械では、情報処理能力に不安が残る。だから、サイボーグ(元人間)。  人類の愛する地球が簒奪者に奪われた記憶はすでに遠い。  一億三千人。それが最後に残った“生身”の人間の総数である。地球の指導者たちはこの移民船に生き残った人間を乗せて宇宙へと旅立った。目指すは地球と変わらぬ環境を持つという、銀河の先にある小さな星だ。そうして人類は冷凍睡眠(コールドスリープ)装置の中で眠りについた。  自分たちを守るサイボーグたちを残して。    ――は。とアイは息を吐く。その息が白く色づくことはない。ただ、温度の異常を感じやすくするために残した感覚が、寒い、寒いと訴えて…アイは腕をさすった。別に、寒さで凍えることなどありはしないのに。三百年たっても、人間であったころの癖は抜けない。こんな体だが、嗜好程度に食事もできれば、睡眠で夢を楽しむこともできる。  サイボーグには…希望制ではあったが誰も彼もがなれるわけではない。簒奪者から隠れ潜みながらも、厳選に、何度も検査を繰り返して選び抜かれた者が選ばれ、人類を守るために改造された。その選定基準には、人格、思考、感情が重きを置かれ…であるがゆえにこの三百年間、全ての船員が職務に忠実だった。  それも、ようやく終わる。    辺りは船の振動音以外、無音。いつもなら数人の船員とすれ違うのだが、今日はそれがない。こんな時まで仕事に勤しんでいるのは自分ぐらいかと、アイは己を顧みて苦笑する。生身の人間であった頃から、仕事一辺倒の女であった。それが人類のためになるのだと信じていた。  ふと、アイは自分だけだと思っていた室内に、別の影があることに気が付いた。冷凍睡眠(コールドスリープ)装置に設置された小さな物見窓を覗き込む白衣の背中。  「ノイン医長」  呼びかければ、初老の男性が振り返る。「これは、アイ技師長」と、男…ノインは顔の皴をくしゃりと寄せて笑みを浮かべた。  「こんなときまでお仕事ですかな」  「それはお互い様でしょう」  この船の船員は、船長などの純粋に船を動かすための技術者や、なにかあったときのための軍人もいるが…殆どは冷凍睡眠(コールドスリープ)中の人類を生かすための技師や医師である。お互いの長であるアイとノインはこの三百年、協力もし、衝突もしたけれども、今となればこうやって穏やかに接せられる。  「目指す星がようやく見えたというのに…最後が近いからこそ気になってしまう」  「わかります、アイ技師長」  「実はさっきから無線で、船長に早くパーティ会場に来いとせっつかれていて。私など、いない方が楽しめるでしょうに」  「そんなことはない。あなたがいなければ意味はない」  「ノイン医長」  ノインが、アイに向けて右手を差し出した。アイがそれに応えて右手で握り返す。握手だ。この長かった道のりの健闘をお互いに讃えて。  本当に、いろんなことがあった。人類を守りたいのは技師も医師も同じだが、向ける目が違う。たとえば動力炉付近に隕石が落ちた時など、低下した電力を賄うために冷凍睡眠(コールドスリープ)装置の機能をぎりぎりまで低下させる案が出た。しかし、冷凍睡眠(コールドスリープ)装置の安全基準である温度を越えればそこで眠る者たちになんらかの後遺症が残る恐れがあると、技師と医師が真っ向からぶつかったことがある。結局、別の部所からも人を集めて、動力炉の不眠不休の復旧作業と、船内からありったけの電力を集中させてことなきをえたが、あのときは本当に船内が分裂しかねなった。今では、笑い話である。  「旅が終わりますなぁ」  ノインが感慨深く言う。言葉鋭く技師たちの効率主義を批判したときとはうって変わった好々爺顔だ。アイも穏やかな気持ちで頷いた。 この笑顔と、いつか見た鬼のような形相を思い出して…アイはふと思った  「ノイン医長は、どのような理由で移民船の船員を希望されたのですか?」  船員になる、ということは長い寿命を得られるかわりに、人間ではなくなってしまう。そして、人類のためにその身を捧げ続けなければならない。だが希望者は多かったらしい。ノインはあの競争率を潜り抜けた一人だ。  「儂、ですかな」  「私がこの仕事を選んだ理由は皆さまご存じでしょう? 旅も終わりが近づいた今、他の方の事情も聞いてみたいな、と」  身を捧げてもかまわぬと思える事情など、人によってはなかなか繊細だ。あえて、今まで聞かなかったというのもある。だが、アイはけじめとして自分のそれだけは、宇宙航行の初日に全船員に伝えてあった。  「そう大それたものではありませんが…」  ノインは傍にある冷凍睡眠(コールドスリープ)装置の表面を撫でた。  「儂には妻がいましてな。  簒奪者のいない新天地を目指す…それはいい。あの星で恐怖に怯え死を待つよりよほど素晴らしいことです。  ただ、なんの社会基盤もないまっさらな大地では、不便なこともあるでしょう。  そうなれば序列だってでてくる。選ばれる者と弾かれる者が必ず現れる」  「……」  「年老いた者は、どうしたって弾かれる側になりやすい。  ――儂は、自分で言うのもなんだが医師として実績がありました。だから、儂が医師として船に務めることによっていずれ生まれるであろう序列の、上のほうに妻を置いてくれと、当時の指導者たちに頼んだのです」  反発はなかった。彼のような理由で船員を希望する者は多かっただからだ。誰も彼もが新天地に希望を持っていたわけではない。現実的に、人類は未来を見据えていた。  そしてノインは己の築いてきた技術でもって、当時の指導者たちを納得させたのだ。その指導者たちも今は眠りについているが、新天地で改めて人々を指揮する立場につく。そして彼らがノインの妻を庇護してくれる。  「奥様に、健やかな未来があらんことを」  「ありがとう、アイ医長」  ノインが触れていた冷凍睡眠(コールドスリープ)装置。窓の向こうで眠るのは初老の女性だった
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