エゴの贄

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 パーティ会場である展望室は天井を強化ガラスに覆われ、宇宙を見渡すことができる。真っ暗な闇の中を輝く無数の星。目指す星の他にも、いずれ地球のような星が生まれるのだろうか。あのような星が生まれる確率は千兆分の一だという。実感できる数字ではなかった。  宴もたけなわ。百人余りの船員全てを収めた室内は、そこここでグループを作りお互いの健闘を称え、笑い合い、涙する者もいる。それでもアイをみつけると一言かけてくれた。彼らはアイに敬意を払ってくれているのだ。それが少し、居心地が悪かった。  だから船長のアハトを見つけた時、すぐに駆け寄った。頭の三分の一が欠けて機械の露出した姿は不気味だが、残った方の顔はいぶし銀のなかなかいい男ぶりである。  彼はグラス片手に、周りに誰もいないのにマイクを握って大演説。これまでの旅がどれだけ長かったか、大変だったか。その話が長い上に何度も繰り返す。そのため皆逃げ出してしまったのだろう。  一度話しだすと止まらないのは彼の性格ではなく、三十年前に宇宙を漂う岩石群と船が衝突した際、船内で転倒した彼は頭脳機器を損傷したのだ。以後、指揮に影響は出なかったが、アルコールが入るなどして生身の脳みそが鈍ると、補佐している頭脳機器がエラーを起こす。言葉が止まらないのはそのせいだ。  「船長…お勤めに参りました」  「アイン、ご苦労さん。だがその前に楽しめ。厨房が腕によりをかけた料理だぞ。お前さんは飲食を疎かにしがちだが、こういうときぐらいは人間だったころのように羽目を外してみろ」  疎かにしているのではなく、食事をしなくても仕事に影響がないからあまりしないというだけなのだが…。  だが、まあ、そうか。…アイは目の前の皿から人工肉の照り焼きを摘まんで口に放り込んだ。甘辛い味が口いっぱいに広がる。船での食事は地上のようにはいかないのに、見事に地球の料理を再現していた。厨房担当は本当に腕を尽くしたのだろう。  「いやあ、長かった長かった。覚えているか、地球を飛び出したころのこと。簒奪者共が追っ手を仕向け、こちらは軍人たちを中心に迎撃した。母星を飛び出して早々のガチ戦だ。  あれで数十人も脱落したのは痛かったなぁ。まあ、指導者共はそこら辺も計算の内だったんだろうが。  それでも後々、岩石群やら、小型の隕石やら、武器を使って撃ち落とす必要があるとき、武器に慣れた奴が少ねえってのは…心細かったなぁ」  「船長でも心細いと思うときがあったのですね」  「あるとも。終わりが近い今だからこそ言えるんだがな」  「船長はなぜ、船員を希望したのですか?」  おぉ、とアハトは露出した頭部をぽりぽりと掻いた。  「俺は他の連中みたいな、高尚な理由や献身があるわけじゃあねえ。ただ長生きしたかっただけさ」  アイは首を傾げた。あまり想像していなかった答えである。長生きできても、その身は冷凍睡眠(コールドスリープ)の人類のために捧げられるのに。  「人間として生きても数十年の命だ。新天地でそれが伸びるわけでもねえ。だったらより長く生きられる方がいい。  あと、冒険もしたかった。人類が生きられる星があるってことは大昔に飛び発った衛星が送ってきた情報で解っていても、実際に見た人間はいねえ。  なら、行きたいだろう、見たいだろう、やってみたいだろう」  はあ。とアイはさらに首を曲げた。  「俺は地球でも宇宙船の船長をやっていた。だが、決められた航路を毎日毎日いったりきたり。つまらねぇのさ。 だが誰も行ったことのない、見たこともない場所を自分の目で見て、自分の腕で行って、それを俺自身で経験できる。こんな素晴らしいことはねぇ。  あと実はな、あの指導者共とちいっとソリが合わねえのよ。新天地でうまくやっていける自信もねえ。なら連中が寝こけて監視もない間、思う存分好きなようにやらせてもらおうかってな。  実際、俺は船員に選ばれたってより、新天地から省かれたって方が正解だろう。連中にとっても、俺はいて欲しくない。なら船長としてその能力を振るってもらおうってな」    わっはっは、と彼は豪快に笑う。それからまた今までの旅路を延々と繰り返し始めた。彼のグラスには焼酎が揺れている。麦はこの移民船で貴重な植物だ。新天地では、人類の主食として期待され、品種改良を続けながら自分たちと一緒に旅を続けてきた。  「見ろ。人類の新天地。新たな地球だ」  アハトがアイの肩を叩いた。アイが顔を上げると、天井のガラスの向こうに、青い星が見える。白い雲がその表面を流れて、大地の茶色や緑。海が、大気が、真っ青に輝いていた。  「そろそろ終わりの時か。船はもう自動航行システムに移行している。問題なく、あの船に着陸するはずだ。  ――アイ、ようやくお前さんの望みが叶うぞ」    気が付けば、百の視線がアイに集中していた。彼ら彼女らの瞳に、本当はどのような感情があるのかわからない。喜びもあるだろう、安らぎもあるだろう…あるいは悲しみや恐れもあるかもしれない。  それでも。  アハトがアイにマイクを手渡した。アイがそれを受け取ると、この場に集まった者たちを見回す。  「皆様、お疲れさまでした。三百年におよぶ長い旅が終わります。人類はかの星を新天地としてまた歴史を築いていくでしょう。私たちはずっと、そのために尽力してきました。  皆様…最初に私が話しました…この移民船の船員になった理由について覚えていますか?」  地球は簒奪者によって奪われた。奪ったのはアンドロイドである。人間が己に似せて作った機械人形たち。自意識を持ったそれらは、人間に反抗し、戦争を起こして勝利した。  この船に意思ある機械を乗せられなかった理由である。そんなもの、人類のための船に使えるはずがない。だが、意思なき機械ではなにが起こるかもわからない宇宙で適宜対処など不可能だ。だからサイボーグが選ばれた。  「私たちは贄です」  そして元人間であろうとも例外ではない。 機械というものに人類はとっくに拒絶反応を起こしている。新天地では、文明を戻してでも自然と共にあり、知恵を絞り、道具を使って生きていくことが推奨された。鉄の機械はいらぬと、そんなものは二度と作ってはならぬと、人々は断じた。それほど酷い戦争だったのだ…アンドロイドとのそれは。  「人類は新天地で機械を望みません。あくまで、新天地への移動までのこと。それとて、抵抗ある者たちは地球に残されました。それほど人類にとって、機械は忌むべきものとなりました。私たちもまた」  アイの仕事は機械技師だ。  船内では冷凍睡眠(コールドスリープ)装置のメンテナンスを行っているが、元々アンドロイドやサイボーグなどの人体を模した機器がアイの専門である。地球では、アンドロイドに対抗するためのアンドロイドを…そのアンドロイドが離反したときは、強いサイボーグをと、人類の勝利のために尽力してきた。  移民船の船員の体にも、アイの技術は使われている。そして、であるからこそアイはこの『最期の仕事』を選び、許された。  「私たちは人類を無事に新天地に送り届ければ、役目を終えます」  この『最期の仕事』。それを認められる者だけが、移民船の船員になることができる。この時点で船員から脱落した者も多かっただろう。だがこの場に残った者たちは皆、『最期』を認められる者たちなのだ。  これは生き残ることを選んだ人類の身勝手さだ。だが、人類を生かすためには必要だった。だって、他に人々を納得させる術はなかった。人々は機械を拒絶する。だが、地球に残ったままでは絶滅する。だから、期間限定。移民船、冷凍睡眠(コールドスリープ)装置という機械に入り新天地につくまでは眠りにつく。夢にまどろむ間だけ、元人間の機械(サイボーグ)たちに任せる。  だが、自分たちが目覚め、生きていく新天地では必要ない。いてはいけない。――いないでくれ。  すべては、人類存続のための決定である。  「我々は、人類のための犠牲となりましょう」  アイが高々と掲げたのは、掌にのるサイズのアクリルケース。中身はスイッチだ。赤いボタンのついた、最期を飾るにしてはちゃちな造り。それが、この場にいる全てのサイボーグたちの動力と繋がっている。  アイが『最期の仕事』を希望した理由。それはとても自分勝手な理由だ。  アイには仲間がいた。一緒に機械技術をもって世界を救おうとする同僚たち。  皆死んだ。  アンドロイドに研究所を攻撃されて、肉片にいたるまで殺しつくされた。偶然、今後の方針のために指導者たちと会合していたアイだけが助かった。  仲間を殺したアンドロイドを倒すことはできなかった。だが、アンドロイドとサイボーグの技術に、自らの手で終止符は打てる。自らの技術を終わらせられる。  敵討ち――アイがこの仕事を望んだ理由。  頭上を、青く美しい星が輝いている。  移民船は操縦者がいなくても、あの星に着陸する。人類はセットされたタイマーに従って冷凍睡眠(コールドスリープ)から目を覚ます。かの地で人類が最初にするのは、移民船の解体だ。機械はいらない。  自分たちは機能停止ボタンを押して、永遠の眠りにつく。そうしてこの展望室は自動的に移民船からパージされ、宇宙の果てへと消え去る。  目覚めた人間たちが余計な罪悪感を抱かないように。機械とはいえ、元人間だ。身内もいる。そんな者たちが悲しまないように。  「私に敵討ちをさせてくれて…ありがとうございます」  アクリルケースを開く。  三百年、同じ場所で一緒にすごしてきた者たちを見回して。そうして心から新天地で機械なき世界を生きる人々の未来を願う。  ――これで、終い。  アイは晴れやかな気持ちで、スイッチを押した。
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