一年分の「あと」

1/5
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 段ボール箱に囲まれた八帖の部屋の中で、彼女は一人、焦っていた。  朝八時、視力〇.一にも満たない目で認識したのは、薄茶色の塊たちと、スマホに届いた恋人からのショートメッセージ。電話をくれていたようだが、ベッドの組み立てで疲れ果てた二十七歳の身体には届かなかった。 「……え?嘘でしょ、今日?」  会社に遅刻しそうな時のように勢いよく起き上がり、枕元に置いていた眼鏡を掛ける。一気にクリアになった視界で、スマホを床ドン状態にしてメッセージ画面を凝視する。 『ふゆさん 急なんですけど、今日引っ越し先の部屋に行ってもいいですか?力仕事もあるだろうし、手伝います』 「……何回読んでも今日って書いとる……。え、いや待って、私の返事次第やけど、割と本気……?」  枕に顔を(うず)めながら、頭を整理するように動揺する気持ちを吐き出す。昨日も連絡を取ったが、そんなことは一言も言っていなかった。会いたい気持ちと、この状態の部屋が最初に共有するで空間でいいのか、葛藤がぐるぐると巡っている。 「とりあえず返事返事……。って電話来たっ」  十分ほど悩んでいると、向こうも別の意味で焦っていたのか、電話の着信画面が表示された。 「はい、もしもし……」 『ふゆさん、起きました?ごめんなさい、朝早くから』 「ううん、大丈夫。いい、目覚ましになりました」 『そうですか?なら、よかったです。それでメッセージ送ったんですけど、今日……』 「その、ことなんですけども……」  このまま向こうのペースになってはいけない。そう本能が働いた彼女は、彼の言葉を遮った。 『はい』 「本当に、来る気なの……?」 『もちろん、そのつもりで送ってます。でも急ですよね、ほんとは昨日言おうと思ったんですけど……、急に緊張して言えなくて』 「今日じゃなくても、来週の土日とかじゃ」 『……こういうのは早いほうがいいかなって……。ダメ、ですかね』  声だけでも、どんな感情で喋っているのかわかるほど、彼は素直である。仔犬のようなしゅんとした声で答えを委ねられ、彼女は折れるしかなかった。 「……うん、わかりました。でも、お昼からでもいい?その、色々準備とかあるし……」 『はい、じゃあ、着く十分前くらいにまた電話しますね』  出来た人だ、と彼女は感心しながら、その心臓の鼓動はどんどん速くなっていく。スマホ画面をスワイプして電話を切り、起きたはずの身体は再びベッドに横たわった。視線を天井から右に向けると、目を背けたい現実がそこにある。 「……とりあえず着替えよう」  彼女は腹筋に力を入れて、今度は飛び上がるようにベッドから降りた。段ボール箱の山から、『服』とマジックで雑に書かれた箱を見つけ、手で強引にバリバリと開ける。中に入っているものをすべて出し、ベッドの上に並べる。 「やっぱ白……、いやイメージ変えてピンクか……?うーん無難に黒も」  少女漫画で言えば、初デート前日のシーンによくある光景だろう。なぜ彼女が、恋人が家に来るというだけで同じように百面相をしているのか。それは正真正銘、二人が合うのはこの日が初めてだからだ。    
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!