1人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
段ボール箱に囲まれた八帖の部屋の中で、彼女は一人、焦っていた。
朝八時、視力〇.一にも満たない目で認識したのは、薄茶色の塊たちと、スマホに届いた恋人からのショートメッセージ。電話をくれていたようだが、ベッドの組み立てで疲れ果てた二十七歳の身体には届かなかった。
「……え?嘘でしょ、今日?」
会社に遅刻しそうな時のように勢いよく起き上がり、枕元に置いていた眼鏡を掛ける。一気にクリアになった視界で、スマホを床ドン状態にしてメッセージ画面を凝視する。
『ふゆさん 急なんですけど、今日引っ越し先の部屋に行ってもいいですか?力仕事もあるだろうし、手伝います』
「……何回読んでも今日って書いとる……。え、いや待って、私の返事次第やけど、割と本気……?」
枕に顔を埋めながら、頭を整理するように動揺する気持ちを吐き出す。昨日も連絡を取ったが、そんなことは一言も言っていなかった。会いたい気持ちと、この状態の部屋が最初に共有するで空間でいいのか、葛藤がぐるぐると巡っている。
「とりあえず返事返事……。って電話来たっ」
十分ほど悩んでいると、向こうも別の意味で焦っていたのか、電話の着信画面が表示された。
「はい、もしもし……」
『ふゆさん、起きました?ごめんなさい、朝早くから』
「ううん、大丈夫。いい、目覚ましになりました」
『そうですか?なら、よかったです。それでメッセージ送ったんですけど、今日……』
「その、ことなんですけども……」
このまま向こうのペースになってはいけない。そう本能が働いた彼女は、彼の言葉を遮った。
『はい』
「本当に、来る気なの……?」
『もちろん、そのつもりで送ってます。でも急ですよね、ほんとは昨日言おうと思ったんですけど……、急に緊張して言えなくて』
「今日じゃなくても、来週の土日とかじゃ」
『……こういうのは早いほうがいいかなって……。ダメ、ですかね』
声だけでも、どんな感情で喋っているのかわかるほど、彼は素直である。仔犬のようなしゅんとした声で答えを委ねられ、彼女は折れるしかなかった。
「……うん、わかりました。でも、お昼からでもいい?その、色々準備とかあるし……」
『はい、じゃあ、着く十分前くらいにまた電話しますね』
出来た人だ、と彼女は感心しながら、その心臓の鼓動はどんどん速くなっていく。スマホ画面をスワイプして電話を切り、起きたはずの身体は再びベッドに横たわった。視線を天井から右に向けると、目を背けたい現実がそこにある。
「……とりあえず着替えよう」
彼女は腹筋に力を入れて、今度は飛び上がるようにベッドから降りた。段ボール箱の山から、『服』とマジックで雑に書かれた箱を見つけ、手で強引にバリバリと開ける。中に入っているものをすべて出し、ベッドの上に並べる。
「やっぱ白……、いやイメージ変えてピンクか……?うーん無難に黒も」
少女漫画で言えば、初デート前日のシーンによくある光景だろう。なぜ彼女が、恋人が家に来るというだけで同じように百面相をしているのか。それは正真正銘、二人が合うのはこの日が初めてだからだ。
最初のコメントを投稿しよう!