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~死神は少女の瞳に恋をする~
少女が目を開けると、そこは見覚えのない喫茶店の店内だった。
いつの間にか、腰掛けていたカウンターの向かいでは、白いシャツに漆黒の フォーマルベストをまとった青年が静かにコーヒーを入れている。
そっと店内を見回すが、自分以外には客らしい姿が見当たらない。
店内に流れるジャズが、妙に心地よかった。
「あぁ、気がついたかな」
急に声をかけられたことに驚き、少女は慌てて青年を見る。
彼へ向けた顔は、相当にひどかったのだろう。
「急に声をかけて驚かせてしまったかな?ごめんよ」
そういって謝る声は、少女とそう変わらないか少し上くらいの印象なのに、物言いはやけに落ち着いていて、老齢のそれを思わせるところがある。
青年が気遣ってくれていることだけはわかり、少女は小さく、首を横に振る。
「だ、大丈夫。え、と……」
「ここへ来る前のことは、覚えているかい?」
大丈夫とはいったものの、何をどう続けたら良いのか分からず押し黙ってしまうと、青年が静かに聞いてくる。
ここへ来る前のことが何を指しているのか、そもそも、そういえばこれまでどう過ごしてきたか、自分という存在が何だったのか、曖昧で不確かで、まるで記憶に靄がかかっているようだった。
「あ、あの……、よく、わからなくて……
おもい、だせそうなんだけど、はっきりしなくて」
戸惑いを含む瞳で、少女は正直に答えた。
「そうか……、きみの記憶は、未だに“理の狭間”を受け入れられないようだね。
まぁ急に肉体と引き離されたんだから、仕方がないね」
理の狭間?からだから引き離された?
何を言われているのか、理解が追いつかない。
記憶はあやふやだれども、少女の存在は喫茶店のカウンターにある。
少女がどうにも理解出来ずに顔をしかめると、青年は続けて言葉を発する。
「では、これでどうだろう?
《死神がお迎えにあがりました。》」
「……――っ!」
その言葉を聞いた瞬間、少女の脳裏にここまでに起こったのであろうことが、嵐の中の濁流さながらに流れ込んできた。
少女はカウンター越しに青年を見つめて問いかけた。
「私は、《死んだ》の?」
少女のその一言を聞いて、青年は目を見張る。
こんなやりとり、これまでに幾度となく、それこそ数え切れないほど繰り返してきた。
しかし、今回ばかりは、なぜか、目の前で自らの死を問うてくる瞳から、目が離せなくなった。
先ほどの狼狽をたたえた目とは違う、確信、不信、不安、安堵、絶望、希望。恐怖と幸福が一瞬で入り交じった後の、凪いだ深い蒼の瞳は、これまで目にしてきたどんな人の瞳とも違っていた。
薄暗い店内で、彼女の瞳はそれ自らが光りを湛えているかのように、美しかった。
興味がわいた。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
青年は、特筆すべきことのないありきたりでつまらない人生を送ってきた。
中流階級の家に生まれ、特段不自由もなく、日々の暮らしに困らない程度に人付き合いをもち、何があるでもない毎日を繰り返す。
良くいるその年頃の者が歩む、良くある人生。
何色もなく退廃的な白黒の世界。
青年は、自分の生に意味を見いだせずにいた。
だからこそ、ある日突然その命に終止符が打たれたとき、青年にとって人生最大の予定調和から外れたその出来事は、何色もなかった自分の人生に初めて色が差したようで歓喜したと同時に、それが最初で最後であることにひどく絶望した。
そんな青年の眼差しは、同じく退廃的な毎日を送る死神の興味を引くには十分で、死神の興味は青年の希望となるのに十分過ぎるものだった。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
カウンター越しに向かい合った少女の瞳がどんな気色で自分を魅せてくれるのか、青年は無性に知りたくなった。
人の死を宣告し、生を回収する毎日にもいい加減飽きを感じ、終わりさえ求めていた青年は、蒼い瞳に再び希望を感じてしまった。
「僕たち、“死神”は、そんなに特別な存在じゃない。
その仕事は人間の尽きた命を回収することだから、人からは恐怖され、忌み嫌われているけれど、僕たちも、死神の前はそれを恐れるただの“人”だった。
ただ、普通にその生を終えて行く者との違いは、《死神に魅入られる》かどうかだ。
きみが生きたいと願うなら、僕はきみに“死”以外の選択肢を与えることが出来る。
いや、もっとはっきり言おう。
僕はきみに興味がわいた。
どうだろう」
死神は恋しいものを見つめるような優しさを湛えた眼で少女に問いかけた。
「きみは、“生きたい”と、願うか?」
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