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「あ、比佐沼(ひさぬま)君、明日は来なくていいから。それから、これ、来月のシフト表ね。それじゃ、お疲れ様でした」
和食チェーン店での勤務を終え、従業員口から表へ出ようとしていた比佐沼彬良(あきら)を呼び止めた店長は、そう言って普段は前月末ギリギリに作成する翌月のシフト表を、珍しく月中に渡してきた。
「なんだよ、これ…」
店の外に出てから三歩、彬良が目にしたA4の表には、先月先々月と比較にならない量の、非番を意味する斜線、斜線、斜線……。彬良にとって、膝を支える力が抜け、よろけてしまうくらいの衝撃だった。
理由は、わかる。世界で猛威をふるう感染拡大中の感染症の影響だ。一旦は弱まったかに見えた疫病の勢いは、年末直前の今、何度目かのピークを迎えようとしていた。感染のリスクが高いと言われる会食が控えられる中、彬良が働く店の客も目に見えて少なくはなっていた。だが、まさか、例年なら稼ぎ時のこの時期、これ程まで勤務時間を削られるとは、予想していなかった。
「ヤバイな…」
夜の外気温とそう変わらない一人暮らしの寒い部屋に帰り着いた彬良は、暖房も点けずに、シフト表をちゃぶ台に広げ、電卓をたたいて来月の給料を計算した。液晶画面に表示された淋しい金額は、何度計算をやり直しても一円たりとも増えなかった。しかも、今後も、今日のように突然翌日の休みを言い渡されたり、当日になってから早退させられる可能性も考えられ、シフト表通りに働かせてもらえるとも限らない。諸々を考慮し控えめに給料を計算すると、家賃はギリギリ払えても、その他の生活費を賄えるかはあやしかった。
「ヤバイな…」
彬良は一旦、過酷な現実から逃避する為に、寝た。
寒気を感じて目を覚ました時には、日付が変わっていた。二、三分の間、点けっ放しだった照明で白々明るい天井を仰向けで眺めた後、畳から立ち上がると、買い置きのカップラーメンでとりあえず空腹を誤魔化し、熱めのシャワーで体を暖めた。そうして、ふて寝の前よりは気持ちを持ち直した彬良は、ベッドを背もたれにし濡れた髪をタオルで拭きつつ、スマートフォンでアルバイトを探した。
妙な仕事だ。と、思った。
今働いている、和食チェーンの仕事は辞めたくなかった。厳しい時期は近々終わるかもしれないし、そうなると通勤の条件が良い、いくらか馴れた仕事からは離れたくなかった。
だから、もう一つ仕事を持つとしたら、時間の融通が利く仕事が良い。自分の中で条件を決め情報を漁っていくと、SNSで、とある求人に行き着いた。
「ご自宅で、どなたでも出来る簡単な作業です。」という見出しの下に提示された給料は、悪くなかった。どころか、異常に良かった。しかし、業務内容の説明はほぼ無く、多少、胡散臭い気配があった。
そして何より、作業員としての適性があるか否かの判断材料にするという回答必須の質問群が、おかしかった。「集中力はある方だ。 とても まあまあ どちらでもない あまりない ない」という、質問者の意図が理解できる質問から始まり、「他人の行為を見過ごせない。」や、「親切な方だ。」「正義感が強い。」といったものまであった。
自宅で行う一人作業に、親切や正義感が何の関係があるのだろう。腑に落ちないまま、何らかの機密情報を扱うのかもと勝手に想像し、自分を納得させつつ、彬良は完全には真実でも嘘でもない回答を送信した。
三日後、正午に突然、小さな段ボール箱が彬良の住所に宅配便で届けられた。送り主は例のSNSで組み立て作業員を募集していた会社で、箱を開けると、無数の金属パーツとそれらを組み立てる為の工具が、梱包材に包まれた状態でみっしり詰め込まれていた。
荷物の一番上に載せられていた一枚紙には、前払い分の給与が指定の銀行口座に振り込んであるとの内容が印字されていた。彬良はとにもかくにも自宅から徒歩二十分の駅前に向かい、銀行で入金を確認した。その金額は、それなりに年末年始を贅沢に過ごし、かつ、暖かくなる気配がやってくまでは細々と暮らしていける額だった。
早速、年末までの生活費を口座から下ろし、帰り道のコンビニで本物のビール二缶とつまみ三種を買って家に戻った彬良は、昼下がりの一杯を我慢し、部屋の中央に置いたちゃぶ台の上に、段ボール箱の中身であるナンバリングされた部品を、数字の順に広げた。そして、これもまた同梱されていた、確実に百ページ以上ある、ぶ厚い説明書をパラパラと捲った。組み立て手順は図と文章とで丁寧に説明されており、以前にネットで購入した組み立て式家具の説明書より百倍は親切な印象だった。
「よし」
彬良はちゃぶ台の前で胡坐を組み直すと、いちばん若い数字が貼り付けられた部品の梱包を解いた。
その後の数時間、彬良は中学生時代にプラモデルを組んで以来、長い間使っていなかった脳の部分と手指の筋肉とをフル稼働させ、説明書の指示通りに部品を組み立てていった。そうして、空腹の訪れと共に集中力が急降下したところで、今日はここまでと作業の手を止めた。
彬良はその日の作業の終わりに、組み上げ途中の物体をスマートフォンで撮影し、その画像を完了させた工程番号に添付して送信した。日々の作業の進捗報告は、指示された業務の一つだった。
その後の数時間、ビールを飲み、ネットで買いたい物の情報を集め、それまでくだらないという理由で敬遠していた話題の配信動画で大笑いし。彬良は感染症が流行する前の今年の年始以来、久しぶりに機嫌よく過ごした。
その後、彬良は前金で報酬を受け取ってしまった負い目もあり、催促されてもいないのに、熱心に組み立て作業に取り組んだ。店の仕事がない日には、休養をとることもなく、朝から晩まで部品と格闘した。それまで、これといった趣味がなかった彬良にとって、作業は半分趣味のようにもなっていた。
彬良に届けられたのは、最初の段ボール一箱だけではなかった。その後も、それ以前に届いた部品が物体に組み込まれ、箱の中身が少なくなってきたタイミングで都度、新しい部品の入った箱が届けられ、その数はもう四箱めになっていた。空箱の数だけ、組み立てている物体も徐々に完成に近づいている筈だった。しかし、四箱分の部品を組み上げても、未だ物体に完成形を想像させる要素は見当たらず、だからこそ、彬良は出来るだけ早く仕上がりをその目に収めたいと、いっそう作業に力を入れた。
そうして、それは、晦日から正月三が日までの和食店での五連勤を終えた、次の日の朝だった。組み立て作業に入る前に、ご無沙汰だった掃除をしておこうと彬良が畳に掃除機をかけていると、吸い込み口で小気味良いカチャンという音が鳴った。悪い予感がしつつも、そのまま掃除をし続けた彬良だったが、気にせずに通すことはできず、掃除機のケースに格納されたゴミを床に広げた。
埃の中に小さなネジを一つ、発見した。彬良は全開にした窓から吹き込む風を、にわかにやたら冷たく感じた。四箱目の段ボール箱から、まだ使用前のネジの入った袋を取り出し、袋の中身を掃除機が吸ったネジと比較した。それらのネジとそのネジは大きさがまったく異なり、明らかに別物だった。
一月初旬のうららかな日差しの中、アパートの一室で両手にそれぞれ違う種類のネジを持ち立膝を付いた彬良は、ただ、呆然とした。
そして、ゆっくりと、徐々に慌ただしく、記憶を手繰っていった。床に落ちていたこれは、どこの行程で使われるべきネジだったのか。いつだったかに、用途不明の無駄に放置された穴を目にしなかったか……思い出せなかった。
今からでも、作業を後戻りし、やり直すことは可能だろうか。いや、その前に、ネジを一本締め忘れたことを報告するべきでは…そうまで思って、しかし、もう半分以上使ってしまった報酬について考えが及んだ。作業を失敗したと知られ報酬を返せと要求されたとして、返せる金が彬良にはない。
きっと、以前に室内の家電や雑貨から外れたネジだろう。より可能性が低い理由にしがみつき、彬良は現実から目を逸らした。
問題のネジ一本を発見した後、彬良はさらに作業スピードを加速させた。おそらく完璧には完成しない物体を、できるだけ早く自分の目の前から遠ざけたかった。そうして、五箱目の部品を組み終えた時ようやく、物体は以前には早く見たくて仕方なかった筈の、完成型と思われる姿を現した。
その物体は、犬と公園で遊ぶのに使われるアレに似ていた。そして、コマーシャルで度々目にする勝手に床掃除をしてくれるというアレには、もっと似ていた。それは、円盤だった。半径約四十センチで、外装は銀色の金属製。中には、彬良が二ヶ月かけて組み上げた部品が一部の空間を除き、みっしりと詰まっていた。
スマートフォンで円盤を撮影した画像を、最後の工程番号と共に送信すると、初めて受信先から返信が返ってきた。明日の正午に、彬良の自宅に直接物体を取りに来るという内容だった。
その夜、彬良は一睡もできなかった。一本のネジのことばかりが、頭の中をぐるぐると回った。物体の引き取り人に直接会った際の方が、余ったネジについて正直に申告できるような気がしたし、その逆なような気もした。
明日が来なければいい。彬良は最終的な結論も出せないまま、ただ思った。
結局、時が止まるなどという彬良が望む奇跡は起こらず、明日は今日へと移り変わり、正午はやって来た。十二時きっかり、彬良が耳にしたのは玄関チャイムではなく、スマートフォンに届いた、玄関のドアを開けてくれというメッセージの着信音だった。
彬良は玄関ドアの前に立ち、覗き窓で外を確認したが、誰もいなかった。おそるおそるドアを開け、左右に目を遣りアパートの廊下を見渡したが、やはり誰もいなかった。
「ここです、ここ!あなたの足元!」
甲高い、しかし子供のものとは違う声がして、彬良は言われた通りに自分の足元を見た。そして、ただ、まばたきを五回繰り返した。
彬良の足元には、小指の長さのそのまた半分ほどの高さの、細い長いものが五本、立っていた。そうして、そのあたりから甲高い声が発せられたのだった。
「わたしたちが、あなたに組み立てを依頼した者です。今日は組み上がった物を引き取りに来ました」
彬良が廊下に這いつくばり、細長いものらに顔を近づけて見てみれば、それらは全て、人と同じ形をしていた。人間と同じように五体を持ち、顔には目と鼻と口と耳、髪まで生えており、しかし、首から下の服装に関しては日常的に人間が着用しているのとは違い、体にぴったりと沿う銀色の全身タイツのようなものを身に着けていた。その中の一人は拡声器らしきものを口元に当てており、彬良に話しかけているのは彼らしかった。
「私たちは宇宙探査中に、こちらの地球という星に不時着をした者です。着陸時に壊れた宇宙船を元に戻そうと、部品の修繕までは自分たちで行いました。しかし、組み立てまでは自力で行えず、組み立て用の重機を作るよりも手っ取り早いだろうと、地球人のあなたに組み立て作業をお依頼した次第です。では、こちらも急いでおりますので、早速、完成した宇宙船を引き渡して頂けますか?」
彬良は訳が分からなかった。こんなに小さい人間など、知らない。宇宙人が地球の、しかも自分の前に現れるなど、あり得ない。信じられないことが二つも重なった彬良は、これが現実か否かの判断を放棄し、宇宙人であるらしい人物の指示に思考停止状態で従って、部屋に完成した物体を取りに行った。
玄関に戻った彬良が物体を宇宙人たちのすぐ側に置いてやると、拡声器を持った一人が、「ありがとうございます」と小さすぎて表情は分らないものの、満足気な様子の声で礼を言った。他の者たちもお互いの肩を叩き合い、喜んでいる様子だった。
彬良の方は、宇宙人からの礼を素直に受け取れる心持ちでは全くなかった。
理由は、あのネジの存在だった。宇宙船なるものが大変精密に作られているらしいことは、宇宙開発にこれといって興味のない彬良でも知っている一般的な知識だった。ネジの一本くらい無くても大丈夫だろうと自分を納得させていた彬良だったが、異星人とはいえ五人の命に関わると思うと、良心を誤魔化すことはとても無理だった。
「あの…」
「ああ、もちろん、完成させていただいたのですから、後払い分の報酬も振り込ませていただきましたよ。それから、お礼と言ってはなんですが、我々がこの星から出て通信が可能になりましたら、あなたに対しては生活が保障された准自由市民優遇措置をとるよう、上にも伝えておきます」
「じゅん…?」
「偶然、緊急着陸したこちらの星ですが、私たちにとって暮らし良い環境であることが判明しました。ですので、これから、この星の植民地化を進言しようと考えています。植民地化計画が実現した暁には、是非、私たちと奴隷との仲介役を、あなたにお願いしたいのです」
彬良はネジについて、宇宙人に申告しなかった。五人の宇宙人たちがアパートの廊下で乗り込んだ円盤は、フワフワとあっという間に上空高く舞い上がり、すくなくとも、彬良の視界から姿を消すまでは、何事も無く空を浮遊した。
そのからは、定かでない。しかし、その後、宇宙人の襲来は一度として起きてはいない。
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