死を観測するシュレディンガー

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「三十代男性の目玉が二つ、心臓と肺、十代女性の肝臓と腎臓と子宮。それと……おい、こっちの子供は目玉が一つしかねぇぞ」 「悪い。片方潰れてたんだ。それで勘弁してくれ」 「まあ、いつも上等なもんを納品してくれてるしな。今日はこれでいいよ」 仲介業者から封筒を受け取ったクリンゲは、早速中身のお金を数え始めた。 「ひーふーみっ……こんなもんだな。今度も上玉を仕入れてやるよ」  仲介業者と別れたあと、クリンゲは酒と煙草を購入して帰宅した。  玄関の扉を開けた途端に漏れ出す悪臭が鼻を衝く。 「なんだよこの臭い~って俺か」  自分で突っ込みながら換気扇のスイッチを押した。窓は開けない。  薄暗い部屋の中に敷き詰められたブルーシートには血だまりができていた。  クリンゲは雑巾で血だまりをふき取るが既にシミになってしまい、中々取れない。そしてずっと以前の血痕も染みついて残ったままだった。  そろそろブルーシートを新調しようか検討しているときに、隣の部屋から物音がした。  クリンゲが隣の部屋に入ると、家具ひとつない殺風景な室内に拘束された十四歳くらいの少年が横たわっていた。 「呼んだか? っつても、喋れねーか」  少年の口に押し込まれた布を取り出し、背中を擦った。少年は軽く咳き込むと、「たまたま壁にぶつかっただけだよ」と答えた。 「そうか。まあ、ここから逃げ出そうとして成功したヤツはいねーから安心しな。もうそろそろお前を解体するときだからよ、ワクワクして待っておいてくれ」  少年は青みがかった灰色の瞳でクリンゲを見上げた。 「解体って?」 「お前の身体をバラバラに分解して、内臓とかを欲しがっている業者に売るんだ」  クリンゲは少年の顔を右手で掴んだ。 「お前は特に顔が良い。目玉は高く売れるだろうな。あとはその栗毛色の髪の毛も頭皮ごと刈ってカツラにしてやるのもいいかもな」  クリンゲは煙草に火を点けると、煙を少年の額に当てた。 「そんなことしたらエルヴィンに怒られちゃうよ」 「エルヴィン~? 誰だよそいつ」 「僕の飼い主さ」  クリンゲは吹き出すと、下品な笑い声を上げた。 「はーん。じゃあその飼い主も今頃お前のこと探しているかもしれねーな。それか、もう他の召使でも見つけたんじゃねぇの?」  少年は、長い睫毛を伏せて「それは悲しいな」と呟いた。 「キミは何故こんな仕事をやっているの?」 「クリンゲな」 「クリンゲ?」 「俺の名前。どうせお前死ぬから特別に教えといてやるよ。お前は?」 「僕はキャット」 「へーぇ、ネコちゃんね」  クリンゲは煙草をもう一本取り出した。 「俺はお金が好きだ。そして、悲鳴が好きだ」 「何故悲鳴が好きなの?」 「人が死ぬ瞬間、火花が弾け散るようなその一瞬がとても楽しいからだ。そいつが死の直前まで、何を見ているのか、何を聞いているのか、そして何を思っているのか想像しながら殺すのはクセになるぜ」  キャットは「そう」と目を細めた。 「キミはこの仕事が本当に好きなんだねぇ。最初からそうだったの?」  クリンゲは煙草の吸殻を捨てると、今度は酒に手を伸ばした。度数の高い蒸留酒をそのまま煽る。 「これから死ぬってときにお前のようなヤツは滅多にいねぇ。度胸がある。気に入ったぜキャット。教えてやるよ」  キャットは栗毛色のくせ毛を揺らして「やったぁ」と笑った。  クリンゲはキャットの向かいの壁に背中を預けた。酒瓶を片手でゆらゆらと揺らす。 「俺は昔いじめられっ子だったんだ。学校でずっといろんないじめをされてきた。辱められて、辱められて、屈辱もプライドもなくなったとき、ふと思ったんだ。俺がもしこいつらに急に殴り掛かったらどんな反応するんだろうって」 「好奇心から?」 「たぶんな。まともな親もいなかったし、無くすものなんてなかったから、何をしてもいいやと思った」 「まずは何をしたの?」 「俺は頭は割と良かったんだ。いじめっ子たちが一人になった途端、小石を詰めた袋で、襲い掛かった。力の差はあるが、無我夢中でとにかくぶつけた。気が付いたらそいつ死んでたんだよ」  キャットはクスクスと笑った。 「それ、死ぬ瞬間ちゃんと楽しかった?」  クリンゲは「別に」と素っ気なく答えた。 「でも、勝った気がした」 「何に?」 「そりゃいじめっ子にだよ。俺にも何かを圧倒できるほどの力があるんだとわかった。それから、いじめっ子をあらゆる方法で殺すことを考えた」 「例えば?」 「呼び出しておいて、俺は高いところからこっそり見てるんだ。家からこっそり持ち出した猟銃にタオルをグルグルに巻いてな。そしてそいつを撃つ」 「ちゃんと当たった?」 「一発目はわざと近くに外すんだよ」 「何故?」 「簡単に殺すより、逃げてくれた方が楽しいだろ」 「僕も狩り大好きだよ」 「気が合うな」  キャットは微笑んだ。 「あとは、飲み物に毒を混ぜたり、拘束して局部を鋏で切ったり、とにかくいろんなことを考えた」 「全部実行したの?」 「もちろん。そのときにはもう楽しくて仕方がなかった。だって、今まで俺を虫けらのように扱っていたヤツらが、今度は神様に拝むみたいに命乞いするんだぜ? 滑稽で、そして愉快で仕方がなかった」  クリンゲはゲラゲラと笑った。酔いで顔が真っ赤になっている。 「世の中は弱肉強食だ。俺は強い。だからみんな俺に殺される。俺に恐怖する。死ぬ瞬間俺のことしか見えないし、俺の言葉しか聞こえないんだぜ? こんな面白いことねぇよ。それに内臓なんか売れば大金に変わるしな」  クリンゲは空になった酒瓶でキャットの頭を殴った。悲鳴を上げる間もなく、何度も酒瓶で殴られ、ついに割れて、粉々に破片が飛び散った。 「あ、わり、頭傷ついたかな? カツラにするのはやめるか」  足でキャットを仰向けに転がせると、上にずしんと乗りかかった。 「気絶したか。手足は切り落として、起きるのを待つか、このまま殺すか……迷うな」  血まみれになったキャットの美しい顔を見て、クリンゲはニヤリと顔を歪ませた。 「脳と目玉を取り出したあとのこの顔をネコちゃんの飼い主に送り付けたらどんな表情になるのかねぇ~」  クリンゲはキャットをブルーシートのある部屋に放り投げると、刃の薄いナイフ、ノコギリそして金槌と釘を取り出した。  まずは頭頂部に沿ってナイフで皮膚に切り込みを入れる。頭蓋骨に細かく釘を打ち付けながら、脳を取り出した。そのまま頭の中に右手を突っ込む。左手はまぶたの上から眼球を押し出した。飴玉のような眼球を取り出したあとはノコギリで首を断ち切る。骨があるから案外重労働だ。  もう少しで切断できるというときに、「あーあ、エルヴィンがカンカンになるよ」とキャットの笑い声がした。  クリンゲは手を止めた。  キャットは目の前で死んでいる。話せるはずがない。ということは、幻聴を聞いているのか、それとも酒に酔って夢でも見ているのだろうか。 「現実だよ」  キャットが目の前にいた。しゃがんで自分の死体を見ていた。 「楽しそうだね」 「……幽霊か……?」  何度も瞬きをするクリンゲにキャットは「アハッ! 違うよぉ」と笑みをこぼした。 「これも僕だし、今喋っているのも僕。僕は僕を観測している」 「なんなんだ……?」 「生きてもいないし死んでもいない。生きてもいるし死んでもいる」 「今死んだこいつはなんだ?」 「僕だよ。キミが死んだと観測した僕。でも僕は僕を観測できるから、同時に生きてもいる」  キャットは椅子に腰かけた。 「つまり僕は自分の分岐を常に観測しているんだ。生きている自分、死んでいる自分、すべて分岐した記憶を共有している」  クリンゲはナイフをキャットの心臓に向けて投げた。キャットはそのまま椅子から転げ落ちた。クリンゲはキャットの心臓を何度も何度も突いた。そのたびに鮮血が吹き出した。 「これで、間違いなく死んだだろ」 「確かに、キミの観測した僕は死んだよ。でも僕は同時に生きている自分を観測している」  クリンゲは振り返った。キャットはカーテンを背に立っていた。 「やっぱり僕とキミは似た者同士だね。僕もこうやって驚く顔が好きで、この仕事をエルヴィンと始めたんだ」  キャットは窓を開けて、陽の光を浴びた。 「こんな暗い所より明るいところが僕は好きだな。でも、キミは陰気なところが似合うよ。なんたって僕より弱いんだもん」 「俺が弱い……?」  クリンゲは目を見開いた。こんなわけのわからない子供に弄ばれて、弱いとまで言われた。人を解体することで得たプライドが、ボロボロに剥がれ落ちるのを感じた。  ナイフを握りしめ、キャットに向かって走る。脳が駄目なら、首。首が駄目なら心臓。心臓が駄目なら腹。観測される前に殺してしまえばいい。  キャットの腹部にナイフがあと数センチで届くという刹那、クリンゲは思いきり吹き飛んだ。いや、吹き飛んだというより、吹き飛ばされた。 「すまない、このあたりは道が難しくて遅れてしまった」 「いい加減その方向音痴どうにかした方がいいよ、エルヴィン。僕もう二回も死を観測しちゃった」  窓からキャットの隣に現れた紳士服の大柄な男――エルヴィンはこめかみに青筋を立てた。 「私のいないところで何度も死ぬな」 「別に自分から死んだわけじゃないんだけど」  クリンゲは起き上がると二人を睨みつけた。 「お前らいったい何なんだよ……!」 「貴様は黙れ」  エルヴィンの杖がコツンと床を叩いた。一秒にも満たない、何ということもない動作だった。  突然、クリンゲは膝を突いて倒れた。 「もう殺したの? ちょっと気が短くない?」 「君を二回も殺した罰だ」  キャットは「きゃー! かっこいいー!」とエルヴィンに抱き着いた。 「でも、今回の依頼はちょっとおもしろかったな。解体屋を殺す依頼って、ミイラ取りがミイラになっちゃったね」 「それ、意味間違っている。それにしても君はなぜ率先して殺されようとするんだ?」  キャットは思いきり欠伸をした。 「あの男と同じだよ。死の一瞬を感じたいから。僕自身の死を概念として知りたいから。エルヴィンが殺してくれないから、僕は死ぬの」 「なら私は君を殺さないよ。キャット」  キャットの頭をエルヴィンが軽く小突いた。
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