三日前

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 アリヤは遠く昔のわずかに思い出せる記憶の中から、初めて目にした工場の風景を脳裏に呼び戻す。  自身の来し方に思いを馳せつつ、通路の闇の中でその場に身を沈み込ませた。 「教育とは洗脳よ。だからわたしは、それが子供にうまく機能しないのなら、その前の段階まで初期化してやらねばならない」  修繕の合間にアリヤが紅茶を差し入れると、よく工場長はそのようなことを言った。  それは助手に伝えようとして口に出したというより、自分自身に言い聞かせているような物言いだった。  しかし同時に、そこには女王のような威厳もあった。傲慢で、高飛車で、統率力に裏打ちされた自信に満ちている。  職人の矜持と呼ぶべき意識のさらに一歩奥に、自分が為すことが世のためになると信じて疑わない万能感が控えていた。それはある種の無敵さと言えた。  製造工場が稼働していた時代、数多くの子供を生産する采配(さいはい)を振っていたころの名残だったのかもしれない。  生産された子供は出荷後、各家庭に迎え入れられると、唯一無二の存在として一身に注目を浴びる。  未熟だから、ひとりではなにもできないから、時には故障することさえあるから、保護者となった大人の庇護(ひご)欲を掻き立てる。  しかし生産過程における中心は、ここでは少なくとも子供ではなく、工場長をはじめとする作り手、職人だったのではないかとアリヤには思われた。  そしてその舞台上の配役は、工場の業務が生産から修繕へ移行しても、変わらず引き継がれているようだった。  だとしたら、子供に直接手を及ぼすことのない自分の存在意義はなんなのだろう――。アリヤは不意に考える。  日夜、ここには数多くの子供が運び入れられ、修繕が完了するとひとり残らず出て行く。アリヤ以外は。  ここで習熟した作業を外でも続けるのか、まったく別の役目を負うことになるのか、その後のことはわからない。それでも、みなどこかで光を浴びているのだろう。そう思えた。  一方で、子供を管理する側であるアリヤだけは、ここにずっといて、なにも変わらない。  来る日も来る日も工場内を駆け回り、入れ替わり続ける無数の子供を引き立てる。長くこなしてきたはずのその日常を肯定することが、なぜか時に難しかった。  アリヤの憂いを打ち破る音は聞こえない。  先ほどまで隣にあった小さな息遣いは、気付けば扉の向こうで、寝息の群れの中に穏やかに溶け込んだようだった。  ようやく一日が収まるべきところに落ち着いたがゆえの安息を、アリヤは身体全体で味わった。
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