追跡

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追跡

 高窓から差し込む月明かりが、滑らかに翳る。叢雲(むらくも)が出てきたようだ。  俺は無精髭を撫で、もう一度、周囲の気配に集中する。風の中に、微かに泥臭い異臭が滲む。間違いない。。  長い廊下の角を右に曲がれば、数歩先に押し戸の勝手口がある。夜間は固く閉ざされている筈の扉の内側にということは、守りの手薄な昼間に潜り込んだことを意味する。 「出て来いよ……そこに隠れてることは、分かってるんだぜ?」  乾いた唇をペロリと舐め、俺は低く唸る。殺気を気取ったか――角の向こうで淀んだ空気がビリリと震えるのが、伝わった。  沈黙の中、一条の光が差し込み、薄闇が切り裂かれていく。雲が晴れたのだろう。やがて乳白色の明かりが灰色の床まで落ちると、曲がり角の向こうから細長い影がくっきりと伸びた。  足音を殺して、忍び寄る。ヤツが来ないなら――正面に躍り出て、一気に襲いかかってやる。この先は行き止まり、まさに袋のネズミだ。 「この盗っ人め、観念しろぉ!」  手入れしてピカピカに輝く10本の短剣(ダガー)を構えて、ヒラリと廊下の中央に飛び出した。灰色のボロ雑巾のような(なり)をした大柄な男が、ギロリと血走った視線を投げつけて、突進してきた。その手に、鈍く光る刃が見え――。 「グオオオオォ……!!」 「なにッ?!」  ジャッ……カキン……ッ……!  一瞬、刃を合わせると、ヤツの蹴りが飛んできた。我流の喧嘩殺法か。  間一髪、躱しながら、ヤツの脚を掴む。そのまま、力任せに床に叩きつける。甲高い呻きが上がるものの、致命傷には至らない。体重をかけてへし折ろうとしたが、身を起こし様、ヤツの左手の刃が俺の喉元を狙って飛び掛かってきた。 「チッ!」  一度脚から手を離し、改めて短剣を構え直す。ヒュンッと空気を切る音がして、鋭い鞭が腕を打つ。ビリッと痛みが走り、血が滲む。 「ククッ」  厚い唇の隙間から黄ばんだ前歯を剥き出し、嫌らしい笑みを浮かべる。ヤツは俺に掴まれた際に傷付いた右脚を庇うように踏ん張ると、ペッ、と唾を吐き捨てて姿勢を低くする。 「そう簡単にやられて堪るかよっ!」  鉛弾のような俊敏な動きで、俺の脇腹を切りつけてくる。腕を取ろうとするが、スルリとすり抜けられた。ヤツの狙いは攻撃と見せ掛けた逃走か。勝手口を諦めて、居住区域方向の廊下へ駆けていく。 「逃すか!」  すぐさま灰色の背中を追って床を蹴る。物陰の闇を利用して巻こうとしているのだろうが、生憎俺は夜目が利く。ターゲットに照準を定めて、廊下を疾走する。途中、ヤツの右脚から滲んだのか、点々と赤い液体が落ちており、上へと続く階段の前で途切れている。  今度こそ、逃さねぇ……。  獲物を追い詰める高揚感を背筋に感じながら、足音を殺して階段に足をかけた。
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