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発端
「ナイト! ナイトはいる?!」
広く中庭が見渡せる詰め所で、塀の上を行き来する茶色い影を目で追っていた俺は、階上から響く姫様の声に背筋を伸ばした。
「ナイト!」
「何事ですかい、姫様?」
俺の主人、マリ姫様の部屋へ足を踏み入れると、床一面に衣類が散乱している。
「クローゼットにしまっておいたアンゴラの白いマフラーが無いのよ。貴方、見なかった?」
「さぁ……俺は知りませんが」
傾げた首を即座に横に振る。鏡台の前の椅子に座った姫様は、キュッと眉をひそめる。
「ホント? 貴方、フカフカしたの好きでしょ?」
なにぃ? 俺を疑ってるのかよ?
「ひでぇな、姫様。そりゃ、ここに来たばかりのガキの頃の話じゃありませんか」
彼女の目を真っ直ぐ見上げて、無実を訴える。確かに、ガキの頃の俺は、フカフカふわふわした肌触りのものに目がなかった。育ちの貧しさのせいで、気に入ったものは、ついねぐらへ持ち去る癖があった。ここでは、誰にも盗られねぇっていうのにな。
「まぁ……そうよね。疑って悪かったわ」
必死で身の潔白を訴えたのが功を奏したのか、案外すんなりと姫様は疑惑を取り下げてくれた。
「んで? 『アンゴラのマフラー』とやらが見つからないんですかい?」
改めて、床の上をグルリと眺める。白いもの、フカフカしていそうなものはあるけれど……『アンゴラのマフラー』とやらは、無いらしい。
「クリーニングから戻って来たばかりなのよ。そこに掛けてあった筈なの」
彼女が指したクローゼットの壁のフックには、何も掛かっていない木製のハンガーがぶら下がっている。
「フン……?」
「換気のために、細く扉を開けていたのね。そんな隙間から入るなんて……だから、貴方かと思ったの。ごめんなさい」
全く……心外だぜ。けど、姫様の悲し気な顔を見ると、憤慨よりもなんとかしてやりてぇって気になってくる。なんたって、俺は姫様に返しきれねぇほどのデッカい借りがあるからな。
「姫様、ちょっと……失礼しますぜ」
手掛かりを求めて、クローゼットの中に足を踏み入れる。姫様が時々身体に振りかけている甘い香りが漂うが……ん?
壁際に鼻を近付ける。微かに、あり得ない臭いが溜まっている。
「もういいわ。そこ退いて、ナイト」
溜め息を吐くと、姫様は床のフカフカを拾い集め出す。
「姫様。マフラーは、どうなさるんで?」
「あーあ。今度、新しいのを買ってこなくちゃ」
彼女の後ろ姿を見詰めながら、俺は奥歯をグッと噛む。
クローゼットに残った臭いには、覚えがある。あれは、薄汚れた路地裏。ぬかるんだ掃きだめ。生臭いドブの臭いだ。
考えられる結論は、1つしかない。――恐らく、賊が侵入したのだ。
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