雅 ⑤

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店のカウンターに座って十分程で飲み物がきて、その後に注文した焼き鳥の串が次々運ばれてきた。 僕は適当に串に手を伸ばし、口に運ぶ。 店長も二、三本食べ終わると、ビールを一口飲んで話を切り出した。 「相談したいっていうのはさ、ちょっとお願いしたいことあって・・もう本当にかなり個人的な話だから、あれだったら聞き流してくれてもいい」 店長は話しにくそうに言う。 僕は彼がこんな口ぶりで話すのは初めて見た。 「どうしたんですか?なにか困ったことでも?」 「いや、そうじゃない。実は二ヶ月ほど、自分の休みが欲しいんだ」 「店長がお休みするんですか?店は営業続けてもいいんですよね」 「うん、もちろん。ただ僕の代わりに店長を雅くんに頼みたい。雅くんが一番適任だと思うんだ」 僕は今のカフェで働き始めて六年になる。 気付けば今いるスタッフの中で、一番歴が長くなっていた。 「務まるかな、僕に」 ジョッキに口をつけながらふと呟くと、店長は僕の背中をぽんと叩いた。 「休む前に引き継ぎはしっかりする。もし雅くんが嫌だったら、飲食業やってる友達のところから応援もらってもいいんだ。たまにうちの店に来るあいつ、知ってるだろ?」 今のカフェを起ち上げたという、メンバーの一人のことだろう。 「少し考える時間、もらってもいいですか」 僕が言うと、店長はうなずいた。 「もちろん、また返事聞かせて。でもさ、雅くんもこの仕事に就いて長いでしょ。たまに考えたりしない?」 「考えるって、何をですか?」 「いつかは自分の店を持つ、とか」 店長は鋭いな。 一緒に仕事をしてると分かってしまうのだろうか。 そんな話をしたことはなかったが、時々そう思うことはあった。 小さくていい。 自分が経営する、美味しい珈琲の店。 店の前を通り掛かると豆の香りが立ち込め、道行く人達がちょっとだけ、ひと休みできるような場所。 いつかそんな店が持てたら。 でも今はまだ夢みたいな話だ。 曖昧な僕の気持ちを察したのか、店長は 「雅くんの経験としてさ、店長業務とかやってみてもいいと思うんだ。僕の個人的な意見だけどね」 と言った。 僕は店長が二ヶ月休みが欲しいという理由を聞いてみた。 十月から十一月にかけて、バイクに乗って全国の何ヶ所かを周って行く計画があるようだった。ツーリング仲間の間で、そんな話が出たらしい。 店を起ち上げてからまとまった休みをとったことがなく、一度くらいそうしたいという気持ちがあるようだった。 一緒に働いてきて、そんなお願いをされたのは初めてだ。 店長にはとても良くしてもらっているし、長く一緒に仕事をしているせいか兄のように思う気持ちもあった。 出来れば彼の望みは受け入れたい。 僕は返事を引き伸ばしたものの、店長代理を引き受ける気持ちが少しずつ固まりつつあった。
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