千夏 ⑥

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十月に入ると、雅は本当にうちに来なくなった。 私は今まで通り仕事に行き、夕方には帰って猫にごはんをあげて、自分も夕食をとる。 休みの日は用事を済ませたり、溜まっていた家事を片付けたり、テレビや映画を見てのんびりする。 時々お酒が飲みたくなったが、自分だけのためにおつまみを作るのも面倒で、ビールだけ飲んだ。 つまらない。 夕方から夜まで、ぽっかりと穴が空いたような時間。 雅が来ない夕方は、底なしに長く感じる。 十月の半ば、私は仕事が終わった後に雅のカフェに寄って帰ることにした。 テイクアウトの珈琲を買おう。 カウンターで様子を見て、少し声を掛けたら喋って帰ろうかな。 そう思いながらカフェまで歩く。 店に着いて入口から店内を覗くと、制服を着た女子高生でいっぱいだった。 注文するカウンターの前も女の子たちの列で埋め尽くされている。 同じ制服なので、学校で何か行事があり、それが終わった後なのだろうか。 打ち上げ的な空気を感じる。 私は彼女たちのはしゃぐ声と若さ溢れる空気に気圧されて、一旦店を出た。 外から大きなガラス窓越しに、店内の奥が見える。 その時、厨房から出てくる雅が見えた。 背が高いので目立つ。 雅は忙しそうにドリンクを作り、注文を受け、また厨房に入ったり出たりしている。 他のスタッフとすれ違いざまに言葉を交わしている様子が見えた。笑顔で何か喋っている。 元気そう、雅。 何週間か会っていないだけなのに、そんな彼の姿を見て安心する。 お店が混んでるし、声を掛けるのは難しいから今日は止めておこう。 私は諦めて家に帰った。 結局、十月に雅の店で珈琲を飲むという約束は果たせなかったままだ。 月が変わり十一月も半ばになると、いよいよ冬が近づいてくる気配が強くなる。 仕事が休みの日、私は寒さのせいもありずっと家にこもっていた。 部屋で猫と遊んだり、テレビを見て過ごす。 夕方前に縁側に行き、冬の間は閉め切っている雨戸の様子を見に行った。 目立つ隙間がないか、歪んでいる部分がないかを一通りチェックする。 ふと縁側の隅に、鉢植えがあるのが目に入った。 今年の夏、猫のために買ってきたレモングラスだ。 全身の水分を失って、変わり果てた姿になっている。 秋に入ってからずっと、私は縁側に行かなくなっていた。 雅が来ないからだ。 青空が広がる晴れた天気の日も、縁側には行かない。 庭に季節ごとの綺麗な花が咲いていても、そこに夕方の心地良い風が吹いていたとしても。 雅が来ない庭と縁側なんて、意味がない。 誰も来ない場所で鉢植えは忘れ去られ、からからに枯れ果てていく。 私は息苦しさを覚えて部屋に戻った。 猫が私のベッドの上で、じっとこちらを見つめている。 そういえばこの子も最近、縁側の方に行かなくなってたな。 きっと鉢植えが枯れてたのには気付いてたよね。ごめんね。 私は猫を抱きしめると、その温もりで心が安らぐのを感じながら、壁のカレンダーを見た。 十一月も、あと二週間。 長く感じる二週間の間に、私はこの家を少しでも温かく感じられるように、冬支度でもしようと思いを巡らせた。
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