電池人間

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 電池人間の歴史は浅い。西暦21XX年、文明の発展とともに人類は深刻なエネルギー問題に悩まされていた。発電効率や環境問題などの圧力から、従来の発電方法はほぼ使い物にならなくなっていた。そんな中、とある科学者が提唱したのが「電池人間計画」である。人間に極めて科学的手術を施し、発電用の電池に改造してしまうという計画である。当初は非難の嵐であったが、政府はエネルギー問題打開策の最終手段としてついに試験的に計画を強行した。  この計画の最もな問題点は、だれが電池人間へと生まれ変わるかである。死刑囚、自殺志願者、植物人間、人間以外の霊長類など、様々な候補があがった。そんな中、白羽の矢が立ったのは、この計画の発案者である科学者であった。この決定は有無を言わせず行使され、科学者は国家が所有する研究所へと連行された。  人々は私を哀れんだ。当然の報いと言う者もいた。代わってくれと懇願する者さえもいた。しかしながら、電池になるのはとある科学者こと私である。人々は電池人間という未知の技術に恐れ慄いているが、私は違う。電池人間というもののことを知り尽くしているのだから。そもそも無知な民衆は誤解している。決して犠牲などではない。むしろ進化のチャンスなのだ。  電池人間について説明しておく。電池人間は食事によって得られる栄養を人体改造手術によって取り付けた人工器官によって電気に変換する。革命的な発電方法の一種と言える。改造といっても変わらず自我は持ち続けることができるし、衣食住今までと何ら変わることはない。変わることといえば、排泄がなくなることと、両手の掌に電極が取り付けられることくらいである。排泄についてはもはや人間生活において時間節約というメリットである。しかも自ら国のためにエネルギーを提供できるのであるからこれ以上の名誉はない。普段の生活で体内に電気を蓄え、月に一度研究所に召集され電気を放出する。放出される電気が基準を満たせばその時点で解放され、日常生活へと戻る。これの繰り返しである。電池人間は奴隷や生贄などではない。むしろワンランク上の疑似的な自給自足可能な高次元生命体なのである。  研究所へと連れられた私は手術を受けた。全身麻酔で眠らされた後、気が付くとベットの上だった。体に異変は見当たらない。が、握られていたこぶしを開くと右手には+、左手にはーの記号が書かれた金属の板のようなものが埋め込まれている。これが電極である。私の目覚めを確認した研究者は、すぐさま私を解放した。電圧試験などは寝ている間に済ませたらしい。私は自宅へ帰り、カップラーメンを食べ、11時には寝た。  仕事をやめ、1ヶ月の時が経った。毎月15日、それが研究所へ出向く日である。月一度の出勤日、私は自家用の電気自動車で研究所へと向かった。研究所には2の作業員ともう1人の電池人間がいた。説明を省いたが、電池人間は私だけではない。もう一人改造手術を受けた人間がいた。  彼女は私の元助手である。優秀な女性ではあるが、私の研究には懐疑的であった。「電池人間計画」は私と彼女の初の共同研究であった。私の改造を国が決めた日に、是非私もと名乗りを上げた。といっても彼女は電池人間の価値を理解していない。共同研究とは名ばかりで、彼女は私のやることなすことを人徳的観点とやらで監視しているように思えた。なぜ自分も電池人間になろうと思ったのかは謎であるが、2人の方がノルマ電量を満たしやすいので願ったりかなったりだった。それに悔しいが彼女は私よりもこの研究に向いている。私に何かあったらこの研究を引き継いでもらおうとも考えた。まあ今のところは無理な話ではあるが。  改造手術は彼女の方が先に行われていた。メスを入れたのは私ではない。国が雇った外科医だ。彼女は問題なく電池人間へと進化した。電池人間1号は紛れもなく彼女である。彼女に電池人間第1号の名誉を取られるのは尺であったが、彼女が手術の実験台となるというならやぶさかではない。  さて、2人の電池人間による人類初の放電が行われようとしていた。今回は直列で放電を試みる。私は右手を彼女を握り、彼女は巨大な蓄電池に右手を置いた。私が左手を蓄電池に置くと、私の体に電流が流れるような衝撃な流れた。苦しい、きつい、息ができない。いかん、摂取カロリーが足りなかったのか。体が瘦せていく。苦しい、くるしい。  二体の電池人間内一体が死亡、というニュースで世間が持ちきりになりました。死因は餓死と判定されたようです。この結果を受け、政府は電池人間計画を白紙に戻しました。新たなエネルギー問題解決策を模索していくようです。  私は今、あの人・・・電池人間となった博士のお墓の前にいます。私はあの人のことを恨んでいました。人徳無視の人体実験、研究の名を借りた数多くの暴挙を許すことはできない。私は助手や共同研究を名乗り出て、内部から彼の研究を止めようとしました。電池人間改造に立候補したのもその一環です。電池人間計画を止められる最後のチャンス、研究所の普段私でも入れない研究所の最深部に乗り込んでぐちゃぐちゃにしてやろうと思いました。しかし彼は研究所の作業員に手をまわし、ほぼ無理やり私に改造手術を施しました。さらに家族を人質にとられ、電池人間としての生活を余儀なくされました。  あなたが死ぬ瞬間、あなたのすべてが流れ込んできました。電池人間のこと、これまでの研究のこと、そして、ほんのわずかですが、私のこと。やがてあなたのすべて思考がが苦しみに変わりました。私はとっさに左手を離しましたが、もう遅かったようです。あなたは帰らぬ人となりました。  博士から私のことが流れたとき、とても体が熱かったを覚えています。気が付くと私はあなたと1つのなっていました。あなたの思想、生き方、科学への情熱、愛国心、電流をともに流れてきたあなたの想い、受け止めました。誤解をしていました。あなたとあなたの研究は、素晴らしい。今は心からそう思います。あなたのすべては私が受け継ぎます。どうか安らかにお眠りください。  私はお墓に博士の右手の電極を備えました。あの研究所での死亡事故以来、なんだか生まれ変わったような感覚になるんです。電池人間1号という最高の名誉、この身に余る光栄です。あなたから本当に素晴らしい贈り物を私は受け取りました。私は彼の論文をカバンに詰め、研究所へ向かいました。  10年の月日が流れた。国のエネルギー問題はほぼ解決し、持続可能な社会は完成しつつある。電池人間は現在国内に3000体存在する。  今日も電池人間たちは研究所へと足を運ぶ。一回目の放電以来電池人間の死亡事故は起きていないそうだ。この進歩も技術の進化の賜物といえる。電池人間計画を再始動させ、人類史に残るであろう科学者となったのは、なんと電池人間1号を名乗る女性であった。彼女は事故を起こして以来笑いものになっていた電池人間計画を再び世に起こしたのである。完璧な理論、安全性、倫理感、かつての計画に足りなかったものをが彼女の手によって見事に補完されていた。徐々に国民からも人間電池を支持する声も増えていった。彼女は国を救った偉大なる科学者として歴史に名を刻んだ。  ただ1つ、電池人間には明らかにされていない秘密が1つだけある。直列で接続された電池人間は、電流にのって個人の思想や人格も流れてしまうようだ。さらに言えば、プラス極からマイナス極に情報は流れ出ていく。その流れ出た情報は受け取りての脳に影響を与えかねない。以上のことは電池人間の発案者、あの科学者の未だ発見されていない論文の「引継ぎ」という項ににかかれていた内容である。このページの端に走り書きでこうも書かれていた。 「私から彼女への贈り物、もし届くと思うと笑いが止まらない」    
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