一匹目

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一匹目

きっかけが何だったのかは分からないけれど、大学二年生の秋に始めたパパ活という行為を、玉城(たまき)は今もまだ辞められずにいた。 当日その行為がどう呼ばれていたのかハッキリとは覚えていないが、時代によって呼び方が変わるだけで、遠い昔から行われて来たことなのかもしれない。買う側も買われる側も、いつだって何かしらに飢えているのだ。 「タマさん、最近誰かと会ってますか?」 打ち合わせの最中に問われ、玉城は紙上から顔を上げた。そして数秒ほど思案した後、向かいに座る発言者の男性を手で示す。 「僕じゃなくて…!仕事相手以外の友達とか恋人とか。息抜きって意味です」 「それなら先日、西尾(にしお)先生と食事に行きましたよ」 今度は別の名前を出すも、微妙そうに顔を顰められてしまった。西尾先生とは、玉城がイラストレーターとして活動を始めた当初から交流の続く男性なのだが、小説家なので仕事相手に分類されなくもないという判定らしい。 「急にどうしたんですか?」 「いえ、仕事仕事で無理してるんじゃないかなって少し心配してるんです。今回のイラスト集も重版が決定していますし、タマさんの腕を買う業界の人は多いです。だから余計心配と言いますか」 確かに玉城自身、現段階ではそれなりに輝かしい道を歩いていると自負していた。単純に考えて同じ二十代前半の平均よりは稼ぎがあるし、フリーのイラストレーターとして頭一つ出ていることも事実だろう。 「すみません。余計なお世話ですよね」 「まさか、そんな…。お気遣いありがとうございます」 気にかけてくれる相手がいるというのは、素直にありがたい話だと思う。 しかし、優しい言葉に触れる度、玉城は僅かな不安を燻らせる。大学生時代から辞められないその行為を知られたら、怒られるだろうか。軽蔑されるだろうか。それとも何も言われないだろうかと。 (そのうち年齢的に潮時が来るんだろうけど…) 年齢のわりに童顔だと言われることが多く、未成年に間違われることだって少なくない。それでもいつか需要がなくなる時が来るのだ。帰りの電車に揺られながらSNSを開き、ダイレクトメッセージを確認する最中にぼんやりとそんなことを考えた。定期的に誘いがある客は数名で、多い人だと月に二、三回。冷やかしと思わしきメッセージを削除して回っていると、玉城の指が一つのアイコンの上で止まった。 (ユウさん……これは、飼い猫か?) アイコンの写真には、黒猫が二匹と白猫が一匹。その人の投稿は一切なく、アカウント作成もついこの間らしい。男性は二十代後半で飲食店に勤めていると言う。 届いていたメッセージの文面を見るからに冷やかしではなさそうで、玉城が返信をするとまるで待っていたかのようにすぐ反応があった。とんとん拍子で話は進み、数日後に食事をすることが決まった。あまり手慣れた相手と会うのは怖いが、真面目すぎる相手と会うのも少しだけ怖い。 数日後の平日に、待ち合わせ場所のオブジェの前で、玉城は落ち着かなさを覚えた。サラリーマンの業務メールと見紛うような、ここまで堅苦しい返事をしてきた客を今まで相手にしたことがない。 〝着きました〟 画面に現れたメッセージを見て、玉城は携帯電話から顔を上げた。しかし、辺りを見渡しても事前に聞いた容姿に該当する男性はいない。周囲は玉城同様に人を待つ素振りが多く、目印にしたオブジェが悪かったと後悔をした。 (身長が一八〇あるって言うから、そこそこ目立つと思うんだけど……) 携帯電話を片手に遠くまで視線を向け、玉城は数歩足を進める。すると近くで人の気配を感じ、振り返った先の思いの外近くで視線が合った。 「ネコさん、ですか?」 玉城のSNSでのハンドルネームを呼んだ男性は、黒髪に無地のインナーとジャケット、それからスラックス。何というか、こういった行為とは縁遠そうな見た目をしていた。 「そうです。なんか、すみません。このオブジェどっちが前か後ろか分からないですよね」 「いえいえ、そんな…!」 ハチ公のように前後が分かり易ければ、今回のように背中合わせの状態で相手が見えないなんてことはなかったと思う。相手の男性は玉城の謝罪に慌てて首を振り、何か言いたげな視線を落とした。 「あの…。一つ聞いておきたいんですけど」 「はい?」 「恋人はいますか?」 突飛したことを問われ、玉城は咄嗟に反応が出来ず硬直した。メッセージの文面が堅苦しい段階で違和感はあったが、この男は会うなり何だと疑心感さえ生まれる。 「ご、ごめんなさい!初対面でこんなこと聞くのは失礼ですよね」 「いや、失礼の前に質問がおかしいですよ」 「あ…はい、そう……ですね」 「そもそも、こういうことしてる時点で恋人がいる可能性は低いと思います。いたとしても言わないですし。って言った後だと信憑性に欠けるかもしれませんが、自分に恋人はいません」 ズケズケと発言した直後、相手の押され切った面持ちに玉城は言い過ぎたと思った。けれど男性は気分を害した様子は見せず、屈託のない笑みを浮かべた。 「そうですよね。すみません、変なこと聞いて。こういう経験が全くないから、もし君に恋人がいたら相手に悪いなって」 想定外の理由に玉城は目を丸くさせた。 そして理解が追いつくと同時に吹き出す。夜の道端で腹を抱え、人目も憚らず声を上げて笑った。SNSで若い男を買う相手がそんなことを気にするとは思ってもいなかった。漸く笑いのおさまった玉城は、自分は何か笑われる発言でもしたかと疑問符を浮かべる男性と向き直る。 「ユウさん、イタ飯って好きですか?」 「え?」 「近くに生ハムの美味しい店があるんです。それとも和食がいいですか?中華とか?」 「いや、好きだけど」 「じゃあそこにしましょう」 「え、ちょっ…!」 「大丈夫です。カジュアルなバルみたいな店ですから、高額な料金を請求されたりはしません」 そう言い玉城が歩き出すと、ユウは一歩後ろをついて来た。二人が向かったのは広々としたテラス席のある飲食店。いつだったかに会った取引相手の男性に連れられ、料理の味は勿論、普段の服装で入れる手軽な雰囲気が気に入っていた。 「イタリアンアイスティーください」 「僕は……僕も、同じ物を」 料理と共に玉城が酒を頼めば、相変わらず慣れない様子でユウが同乗する。普段はあまり飲まないのかもしれない。玉城も私生活では進んで酒を飲まないし、強くない上に然程好きでもない。それなのにこの行為の中で誰かと会う時、決まって飲んでしまう。その理由さえ玉城は分からずにいた。 「ユウさんって普段あんまりお酒飲まないんですか?」 「そうだね。そこまで強くないのもあるけど、どれが美味しいのかも全然分からなくて……あっ」 「ん?」 「ごめん。敬語」 何か思い出したような声を上げたかと思えば、ユウは小さな失態を自白した。 「敬語じゃなくていいですよ。俺の方が年下ですし」 「大学生?」 「二十四です。送ったメッセージに年齢書いてましたけど、見てないんですか?」 「あぁ…うん、そこまで見てなかった」 やんわりと興味がないことを告げられ、目の前の男は更に掴みどころがなくなる。ユウからは行き当たりばったりといった様子が伺え、まるで会う相手は玉城でなくてもよかったような投げやり感。自暴自棄にも似た雰囲気だ。 「他の人とは何をするの?」 そんな質問をされるのも初めてだった。玉城は運ばれてきたグラスを口に運び、他の取引相手を思い浮かべる。 「ただご飯行ってー、喋ってー…………あ、えっちなことは無しですよ?」 間延びした声で冗談ぽく笑うと、ユウは見事に咽せ込んだ。その反応が予想通りで玉城はケラケラと笑う。 「そういうこと期待してました?」 「そんなわけ!だって、ほら…そういうのは無しだって書いてたじゃないか」 「そこは読んでるんですね。俺の年齢は見てないのに」 「あ…や、ごめん」 「別に怒ってませんよ。でも、あわよくばヤれるなんて思ってる人はいくらでもいます」 だから会う相手は慎重に選ぶのだけど、今思えばユウと会うことを決めるのに時間はかからなかった。全てを信頼することはないにしても、この男は他のお客とは少し違う。体の関係とは異なる、別の下心からくる何かを求めているように見えた。 「真面目なんですね」 濃い琥珀色の注がれたグラスを置き、玉城は左手で頬杖を着いたまま微笑む。真面目という三文字が今まで会った人間の中で一番似合うと思った。しかし、ユウは困ったような、申し訳なさそうな複雑な面持ちで目尻に笑い皺を寄せるだけで、玉城の言葉に対する目立った返事をしなかった。 (気に障ったかな?) そう一抹の不安を覚えたが、料理が届いたのを境に玉城は考えることをやめた。 そこからは無難な会話が続き、食事をして、何となく時間が過ぎる。楽しいのか楽しくないのか、ユウは終始事務的な反応をしていた。それが買われる側の玉城なら、金の為に事務的な反応をするのも分かるが、玉城との時間を買っているユウがその反応をするのは少し気にかかる。 「ご馳走でした!でも本当によかったんですか?俺が選んだ店ですし、割り勘でも」 店を出た所で相手を振り返り、決まり文句を添えて健気なふりで首を傾げた。建前だけの動作でしかなくても、健気なふりは面白い程によく効く。 「元々は僕が誘ったから気にしないで」 相変わらずの声色で返され、玉城は何をしたらこの男が喜ぶのかとうとう分からない。ユウと会ってまだ数時間程度だが、最早その反応にも慣れ始めていた。 「はい。これ、今日の分」 差し出された封筒を数秒見つめ、玉城はゆっくりと手を伸ばす。貰う物はきっちり貰うが、やはり釈然としない。 「ありがとうございます。また機会があれば」 玉城はそんな当たり障りのない言葉でユウと別れた。けれど、〝また〟なんて言っておきながら、心の隅では次がないことを感じていた。あの様子を見る限り、ユウはこの行為や玉城に興味があるわけではない。私生活で何か上手くいかないことがあり、自暴自棄になった末にまだ見ぬ世界を求め、といった所だろう。 (ああいうタイプはあんまり押すと逆効果だしなぁ) 帰りの地下鉄に乗り込んだ玉城は小さく息を吐いた。あれだけ性欲面の欲求をチラつかせない相手は安全だが、心ここに在らずなのは駄目だ。気の引きようがない。 玉城はユウがリピーターにならないことを確信し、帰宅早々にピアスとコンタクトレンズを外して風呂場へ向かった。軽くシャワーを浴び、脱衣所へ出たところで携帯電話の受信に気付く。ちょうどイラストレーターとして取引相手とやり取りをしていたから、恐らくその返事だろう。 けれど眼鏡をパソコンの前に置きっぱなしであることに思い出し、ボヤける視界でパソコンの前まで移動した。 〝ユウさんから新しいメッセージが届いています〟 眼鏡をかけ鮮明になった視界で捉えたのは、大凡玉城が想像していなかった内容で、濡れた毛先から雫が落ちる。 真面目そうな彼のことだから今日のお礼だろうか。それとも期待外れだったなんて苦情だろうか。二分化した予想を立てながらメッセージを開くと、どちらでもない第三のメッセージが届いていた。 〝今月末の月曜日、今日と同じ料金で食事に付き合ってくれない?〟
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