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四匹目
日中に会うのはその日が初めてだった。
打ちっぱなしのコンクリートに黒文字のモノトーンな看板。かと思えば、黄を差したオレンジが店内の小物にバランスよく取り入れられ、シンプルな中にも華やかさがある。
「ここ職場の子に教えてもらったんだ。僕は下見で一度来てるけど、せっかく二人で来るなら、あまり行ったことのない店の方が楽しいかなって」
数週間ぶりに会ったユウは、相変わらず飾り気のない笑みで口説き文句とも取れることを言う。玉城も前に酔って距離感を見誤ったけれど、よく考えるとこの男も大概かもしれない。エスプレッソからカフェモカまで、幅の広いメニューは見ているだけで楽しくて、悩んだ末にやはりここはシンプルに行こうとカフェラテを注文した。
少しして運ばれてきたカップに口を寄せた直後、玉城が零した言葉は本当に無意識だった。
「あ、美味しい」
思わずといった物言いに、向かいに座っていたユウが微笑む。意図的ではないにしろ、反応を見られていたことが恥ずかしくて、玉城は誤魔化すようにオペラへフォークを入れた。洋酒がほんのり香る、自分好みの味に玉城の口元が緩む。
「ここ、オペラがあるなんて珍しいですね。好きなんですけど、置いてる店が敷居高い所ばかりだから入り難くて」
「確かにそうかもね。僕は甘いものが得意じゃないから、誰か半分くらい食べてくれる人がいないとそもそも頼まないかな」
「そうなんですか?じゃあ、一口食べます?」
期待以上の店に気が緩んでいたのか、玉城はフォークで掬ったオペラを持ち上げる。途端、二人の間に沈黙が生まれ、選択を間違えたことに気が付いたのは、カップを持ったまま動きを止めるユウを見た時。普段の客が喜ぶからと、癖でやってしまった。
「そ、そう言えばこの後どうします?」
玉城は差し出しかけたオペラを自分の口に運び、慌てて話題を変えた。
「この後?」
「今までは夜にしか会っていなかったので、ご飯食べて解散って感じでしたけど、時間内でしたらある程度のことはお付き合いしますよ」
「あぁ、そうか…。全く考えてなかったな」
ユウはカップをソーサーに据えると、僅かに視線を落として思案する。それは考え事をする時の癖らしかった。
「他の人はどんなことを?」
「そうですねー。多いのは食事や買い物で、変わったことだとメイドカフェに行くのに付き合ってほしいとか」
「なるほど買い物かー。そっち方面に関しては無頓着というか、どれがいいのか分からないからなぁ」
「なら今から行きません?ユウさん身長がありますし、もっといろんなのが似合うと思いますよ」
それは会った当初から秘かに思っていたことだった。破顔する目元に少年を感じ、漸くユウの素の片鱗を見た気がした。
穏やかな物腰で微かにコーヒーを纏い、少年を思わせる飾らない笑い方。大人なのに、大人と括るにはあまりに陳腐で不釣り合い。
それが気にかかり、一歩踏み込んだ先でユウは特に嫌悪感を示さなかった。正直な話、玉城が誰かと買い物へ行くのは久し振りで、誘った側のくせに少し落ち着かない。
仕事は基本的に自宅に籠もりがちな上、食事はしても買い物を共にするほど親しい仕事仲間はいない。兄や姉とも仲はいいが、わざわざ休みを合わせてまで出かけることはなかった。故にアパレルショップの並んだ施設を誰かと歩いている光景も、玉城にとってはパパ活の中でぐらいのこと。
「このブランド、デザインも値段も買いやすくておススメですよ」
野外ショッピングモールのマップを指差し、玉城はユウの視線を誘う。
「こっちは新作が多くて、俺はあの店とか好きで何着か持ってますし…」
「ちょ、ちょっと待って。君ぐらい若ければいいかもしれないけど、僕には無理だよ」
「三十にもなってない人が何言ってるんですか?大丈夫大丈夫、行きましょう」
玉城は思わず呆れ声を出し、散歩を嫌がる犬でも連れているかのような心持ちでずんずんと目当ての店へ入った。仕事に役立つというのもあるが、それを抜きにしてもアパレルの店を見て回るのは好きだ。自宅で過ごす時間が多いからこそ、たまの外出は服装に拘りたい。
「ユウさんの好みを察するに、あまり奇抜じゃない無難な方向で攻めるとして、今着てる白シャツにこのパンツとか……あっ、このジャケットの形は今年の流行りなんです!」
「おぉ…そう、なんだ」
「カーキの緑とか似合いそうですね。ステンカラーも個人的に好きなんですけど、もう持ってたりしますか?」
「いや、うん…どうだろう」
「組合せに悩むならセットアップで買っちゃうのもありだと思いますよ。でもこれだとシンプルすぎて一見地味に見えるので、アクセサリーを一つ足した方が……ユウさんアクセサリー持ってます?腕時計とか」
「ごめん、タイム。全く追いつけてない」
次々に飛んで来る単語はユウにとって暗号そのものらしく、渋い表情に玉城は商品を持ったまま笑い声を上げた。
どうやらファッションに疎いというのは本当のようだ。今のシンプルな服装で様になっている容姿が奇跡としか言えない。
「とりあえず何着か着てみたらどうですか?そっちの方が良し悪しが分かるかも」
「そうだね…。選出は君に任せた」
「了解です」
既に疲労を見せるユウだが、うんざりしているとはどこか違う。もう最近は仕事以外だと、パパ活の客としかまともに会話しない日々。人との会話はこんな感じだったかと、玉城は懐かしさを感じずにはいられなかった。
「なんかデートみたいだね」
姿見を覗き込む玉城に降ってきたのは、今の思考とはかけ離れた言葉。ユウ本人も半ば無意識だったらしく、失言を悔いるような視線を恐る恐る向けられた。
「デートじゃないんですか?」
それはほんの悪戯心からだった。鎌をかけるなんて大それたことではないが、客の大半は玉城に恋情を求めるから、ユウが求めるものは何かと気になっただけ。
「冗談ですよ?」
ユウがあまりに複雑な面持ちをするので、玉城は戯けた口調で小首を傾げる。
「だってユウさん、別に好きな人がいるでしょ。初めて会った時から俺に全く興味ないというか、心ここに在らずって感じ」
「そ、そんなことは……」
途中までは口にしても、ユウは決して言い切らなかった。言い切れなかったと表現した方が正しいだろうか。
「別に興味がなくても構わないんですけど、何度も俺を買ってくれるのはその理由を聞いて欲しいんじゃないかなって」
鏡越しではなく、直接見据えた目の奥に戸惑いを見た。二人の間に数秒ほどの沈黙が生まれ、それ破ったのは約束の時間が終わる十分前のアラーム。玉城は携帯電話を取り出すと、音を止めて再びポケットへしまった。
「もし都合がよければ、カフェラテ一杯分の時間をあげますよ?」
「えっ?だって、もう約束の時間が……」
「だからカフェラテ一杯分。ここから先は取引ではなくただの知り合いとしてです」
店の外、向かい側にあるコーヒーショップを指差せば、ユウはようやく強張りを解いた。どうやら玉城の考察は的を射ていたらしい。
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