楽式~tanosiki~について

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楽式~tanosiki~について

 楽式(たのしき)~tanosiki~というのを考えたんだ。 (75777777)×3+7577  約188文字で綴る、詩というか短文というか、そういうの。  とは言え、めっちゃ字余りするから実際は188文字を超えてしまうことが多いんだけどね。  名前の『楽式』とは、どういう意味?  楽しいという意味ではないのさ。楽しい作品だけを書きたいわけじゃないし。どちらかと言えば、しんみりする作品の方が多くなるかな。  で、楽式の由来。    楽式は約188文字。  この百八十八という漢字を、バラして組み替えると      一  _  _   百   白   白  ン白く   八 → 八 → ハ →   → 楽  十   十   木   木  八   八    『楽』という字になるんだよ。  ここから名付けた名前。  基本は写真と一緒に書くことが多いかな。  文字単体で書くこともあるけど。  わたしは、いずれ文字だけの媒体は衰退していくと考えてる。この説は、色んな場所に書いてるんだけど。  バーチャルでもリアルでも、動画がどんどん進化していて、クリエーターが望む世界を動画で自由に作ることが出来るようになってきた。3Dは当たり前。VRも一般の人が触れられるところまで来ている。  小説って、作者が考えだした世界や物語を誰かに伝えることで、面白さを生み出す娯楽だと思ってる。  昔はパソコンなんか無かったから、文字や絵、もしくは音楽で表現せざるを得なかった。そして、鑑賞者は文字を読み、絵を眺め、もしくは音を聞き、作者の世界を感じ取ろうと『頑張って努力をして』きた。  その、当たり前と考えられてきたやりとりが、時代と共に変質してきたんだ。動画の登場。動画であれば画面の前に座っているだけで作者の世界観を直接的に知ることが出来る。文字は読まずとも声が語ってくれるし、絵はめくらなくても勝手に動いてくれる、音楽は音から世界を想像しなくても画面に世界が映り込んでる。キャラクターの表情が刻一刻と変化するから心情を推し量る必要は無いし、限られた情報から世界の情景を想像する必要も無くなった。そう、動画であれば鑑賞者が『努力する必要が無くなる』んだ。小説に比べたら、ね。  これね、文章と動画が正面からやりあったら、文章に勝ち目はないと見てる。  マニュアル車の方が運転の面白みを感じられるとわかっていても、今更オートマ車の市場を覆すことは出来ないよね。人間って、楽に対価を得られる方を好むのさ。  動画は作るのが難しいから、確かに最初は小説として書く場合もあると思う。でも、動画を目的とするのなら、小説の形で書く必要は無くなるし、小説として面白く書く必要は無くなってしまう。  そうなると、小説を書く人はどんどん減っていくし、読む人も減るよね。  これが衰退。  衰退していく文学の中に、自分の作品を(うず)めないように。その回避策として写真を組み合わせた作品を作ってみようと思ったんだ。本当は動画と文学のコラボ、文章を読ませる形のコラボが出来れば一番良いのかも知れないけど、そんなスキルは持ち合わせてないからね。  とは言え、写真と詩の組み合わせなんか、何番煎じだよって話なんだけど。今まで数多くの人たちがやってきて、そんなにブームにはなってないから、これから先にブレイクする可能性は低い。  まあ、それでも、やらないよりはマシかなと思ってて、挑戦だけならお金は掛からないしやってみようかなと考えてるよ。    
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