『花としての自由律』 楽式~tanosiki~

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『花としての自由律』 楽式~tanosiki~

ee4efefc-8d61-4ff9-8767-69cd426fc6b6 『花としての自由律』  咲き誇る花の 自由さえ  定められてる 浮世の器  (まま)にならない 己の姿も  ただ愛せよと 道端の花  根ざした土の 濃淡に  左右されない 満開の花  風雨にやられ 茎が折れても  虫のアギトに 葉を破られても  もしもこの先 手折られて  小さな花瓶に 立てられようと  無機質な水を 日々啜りながら  知らぬ誰かに 自分を誇る  花が咲いたら この場所は  わたしの居場所と 空に胸を張る ***  写真の花をパッと見た時、窮屈そうだなと思ったんだ。満開に開いた花がいっぱい付いているのに、まるで透明な筒状の容器に入れられているみたいで、きっちりと全体の形が作られている。  じゃあ、この形によって美しさが失われたかというと、そういうわけじゃない。むしろ、規律やバランスが整えられて、全体をピンクと白で満たされた濃密さを感じさせる美しさを持っている。  でも、やっぱり窮屈だろうなと。  花は自分の姿に満足しているのか?  それは誰にもわからない。でも、おそらく花が自分からこういう姿になりたかったわけじゃなくて、人間の品種改良の成果なんだと思う。  だからといって、勝手に作り替えられたから不幸だ、そう決めつけるのも早計に過ぎるってものだね。自分以外の誰かの意思が介入していようとも、自分たちの好みが反映されていない進化を遂げたのだとしても、本人が好きになれるのなら、それは幸せというものだよ。  そんな風に言っているように見える。    自分の願いが叶わない。思った通りに進められない。いつだって誰かの思惑に振り回される。  こういった事は、生まれ持った色や姿だけじゃなくて、生きていく中でも頻繁に起こる。じゃあ、そんな時、花はどうするのか?  きっと咲き誇るんだろう。  誰よりも美しいのだと胸を張り、変わらぬ姿で咲き続けるのだろう。  だからこそ人は、惹きつけられるんだ。  多くの人は、切り花を見て、美しいとは思っても、かわいそうだとは思わない。同情したりはしないものさ。  なぜ?  それは、花が立派だからさ。  どんな場所に連れられようとも、どんな場所に立たせられても、空を見上げて胸を張ったなら、誰もが花になれる。きっとね。      
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