『ガキ』(少年)

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「森山さん、僕は大丈夫ですよ。歩いて帰りますんで」 「いいよ。どうせ近所だし」  僕は原付を押しながら、夜の街を、東京の都会の街を二駅分、涼君と一緒に歩いた。 「いいですよ。さっきも電話であれだけ奥さんが…」  腕時計の短針が右下四十五度に傾いていた。 「そんなの気にしなくていいよ。それにこいつに乗って帰っても、歩いても今更そんなに変わらないし」  亮君は今年で二十七になる。僕より十五個年下で、初めて出会ったのが今から約五年前で僕の勤務先である出版社だった。当時、大学を家庭の都合で辞めた彼の方が先にその出版社でアルバイトとして働いていて、彼よりも一回りも年上の僕は正社員としてその出版社に中途採用された。年下の彼がアルバイトで年上の僕が正社員でも彼がその出版社では先輩になるのだが、涼君以外の同じような若いアルバイトの子たちもいたけれど、彼だけが僕に優しく親切に、僕がそこのノウハウが分かるまでどんな些細な質問にも答えてくれた。他の若い子たちは彼とは全く逆で、僕が尋ねたことに対して必要最低限の言葉で淡々と答えるのみで他愛のない会話すらしなかった。まるで感情のない若者たちだった。涼君とその他の若い子たちは全員が同じ年とかではなかったみたいで、就職の為だとか、または他のアルバイト先を見つけたとかだとかで結局、涼君も含め、僕がその出版社に勤めるようになってから一年ほどでアルバイトの顔触れは全て入れ替わった。僕と涼君はお互いの連絡先を最初に交換していたので(他のアルバイトの若い子たちとは当然そういうことはしなかった)、たまに連絡を貰ったり、涼君が現在働いている居酒屋に僕が突然顔を出したり。 「たまには涼君と二人っきりでゆっくり話したいんだよ」  僕は涼君に気を使わせないように先に歩き出した。それから涼君から今年の千葉ロッテマリーンズはどうなるんだろうと話をされ、僕は普段、セ・リーグしか見ないから、パ・リーグのチームには詳しくなかったので交流戦でしか見てないパ・リーグの野球の結果だけで僕は答えた。 「パ・リーグはあまり詳しくないんだけど今のセ・リーグのチームでパ・リーグに行って貯金を作れるのは広島ぐらいじゃないかなあ?それぐらいパ・リーグは強いイメージがあるかな。あとは…、井口さんかな。ロッテだと」 「そうなんですよ!いきなり井口監督なんですよ!」  亮君はいきなり強い口調で言った。そう言えば涼君のツイッターのアイコンが井口選手のユニフォームを羽織った涼君の後姿だった頃もあった。ちょうど涼君の顔が写らない角度でどの球場かは僕には分からなかったけれどおそらく千葉マリンのスタンドで友人に撮ってもらったであろう写真。涼君は井口さんが好きなんだ。  僕らは「井口選手の打ち方ってとても綺麗な打ち方をするね」みたいな会話を続けた。井口選手の打撃フォームは本当に『綺麗な打ち方』としか僕にも涼君にも他に表現する言葉がなかった。それからパ・リーグに詳しくない僕でも覚えている2005年のボビー・バレンタイン監督が里崎選手と橋本選手を捕手で併用し、日本一になったこと、三十三対四という数字、橋本選手が引退した後に御徒町に靴屋をオープンし、僕がそのことを知って行ってみたらもうお店はなくなっていたなどを話した。何故パ・リーグには詳しくない僕が2005年のロッテマリーンズに詳しい理由は一つだけで、僕は里崎選手とも橋本選手とも同い年で、高校時代に僕が所属していた野球部は練習試合でその二人の選手の両方とも会ったことがあるからだ。正確には僕はその二人のすごさを高校時代には分からなく、記憶にもなく、後からプロ入りしたことを知り、そう言えば僕はあの二人と会っているはずなんだということで、有名人と地元が一緒だとか、後輩があのロックバンドのギターをやっているんだみたいなちょっとずるいと言うか、有名人になると親戚が急に増えるのと同じような感じで僕は二人を知った。そう言うのはあまり格好がいいことではないと僕は分かっていたので涼君にはそのことは言わなかった。  ちょうど一駅分と半分を歩き、涼君とのこの特別な時間も、もう残り五分ほどで終わると僕は少し寂しい気持ちになった。もう少し遠回りして帰りたい、歩くスピードを不自然に落とすことも考えた。でも僕はそれをしなかった。 「今年もまたもうすぐペナントレースが始まりますよね。楽しみですよね」  涼君が言った。 「そうだね。楽しみだね。でも、どうだろう?」 「どうかしたんですか?」 「いや…、なんて言ったらいいのかなあ。正直さあ、去年のペナントレースってあんまり見てないんだよね」 「そうなんですか?仕事が忙しかったんですか?」 「うん、それもあるけどね。……涼君、覚えてる?」  僕の言葉に涼君は不思議そうな表情をする。 「覚えてるって、何かありましたっけ?去年」 「ほら、開幕前にWBCでさあ。山田が打ったホームランボールを捕った少年がさあ、ネットとかで。あの時、すごくえげつなかったじゃん?」 「あー!覚えてます!ツイッターとかでも炎上してましたし。あれは見ててかわいそうでしたね。僕があの場にいてもボールが来たら手を出して捕ってたと思いますね。まあ、うまくキャッチ出来ないと思いますが」 「だよねえ。それでさあ、『四年間待った』とかさあ、『侍ジャパン』とかさあ。そういうのを聞いたり、言葉を目にしたりしたらさあ、なんか冷めちゃって」 「それ、すごく分かる気がします。あの少年が…、多分好きな球団とかあると思いますし、いつも通りワクワクした気持ちでペナントレースを迎えられたかって多分無理だと思いますね。そう考えたらすごくかわいそうですよね」 「でしょ?あの少年がさあ、今年はいつも通り贔屓の球団を応援してくれたらいいなあって。どうしてもそういうことばっかり考えちゃうんだ。僕って子供っぽいかなあ?」 「いや、森山さんらしいと思います。僕も同じように思いますね」  当時の侍ジャパンの小久保監督の給料は月給三十万円ぐらいだと僕は聞いていた。
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