Standstill a little

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Standstill a little

「おお。初日から同伴出勤」 「それ、なんかニュアンスが違くね?」  あけましておめでとう、の前の会話である。美緒と龍太郎が並んで歩く横に、藤原が並んだ。 「あたしも同伴させて? 篠ちゃんを女になんか渡すもんですか」 「……やめろ、正月から」  出社時には早足で通り過ぎるだけの美緒が、はじめて隣を歩いているのだ。 「男にモテても嬉しくねえ」 「女にだってモテるクセに。篠ちゃんのいけず」  黙って横を歩く美緒が、まったく違うテンションで受け止めているのだとは、藤原も気がつかない。  そうだよね、普通に考えたら人気はあるんじゃない? 顔は良いし、性格も悪くないと思う。ちゃんと社会人だし。身長だって、気にする人ばっかりじゃないもん。  本館のロビーから入って美緒が手を振った時、龍太郎の後ろからピンク色のコートが近付くのを見た。 「篠田君、藤原君、あけましておめでとう。今年もよろしくぅ」  顔が明らかに龍太郎の方を向いている。  むか。感じ悪っ。  当然、美緒が何かされたわけではない。だから、何故それを感じ悪いと思うのか、自分でもよくわからない。強いて言えば、語尾に漂う媚が気持ち悪いと思う程度である。 「松山さん、勘がいいね」  美緒の表情を見送った藤原が、ニヤニヤ笑いながら龍太郎に話しかける。 「松山さんって、誰ぇ?」 「篠ちゃんのカノジョ」  さらりと答えた藤原は「俺も今日から階段で行く」と龍太郎と階段室に向かった。 「お正月、進展あったあ?」  こちらはロッカールームで着替え中の美緒の方である。 「二回、一緒に出掛けた」  不機嫌の残る顔で、美緒は鈴森に返事をした。 「順調じゃない。で、そのぶすったれた顔は何なわけ?」 「あたしって、女っぽくないよね?」  何を今更、と鈴森は笑う。 「女っぽさを求める人は、もともと松坊になんか声、かけないでしょうよ。篠田さんだってそうじゃない?」 「篠田さんのことじゃないっ!」  赤くなりながら、美緒は言葉を返す。 「またまたぁ。今までそんなこと言い出したことないクセに、そんな顔で否定しなくっても」 「違うってば!」 「あーあ。中学生レベルから始めなきゃなんない篠田さんって、カワイソー。早く育たないと、待ちきれなくなるぞお」  膝掛けを抱えた鈴森は「お先に」とロッカールームから出て行った。そういう意味じゃないんだけど。呟く美緒にも、どういう意味かは説明できない。 〈おやすみなさい〉  スマートフォンの画面を消した龍太郎は、自分の顔が緩んでいるのを自覚している。次は一緒に何をしようか。くるくる変わる表情が面白くて、驚かせたり笑わせたりしたいと思う。意外に臆病で小心な部分もかわいいと思う。もっと他の顔も見たい。たとえばキスしたら、どんな顔をするんだろう?  映画の趣味は似ているらしい。ハリウッド映画よりも単館映画が好きで、日本のベストセラー小説の映画化したものを、見に行く約束をした。身体を動かすことが苦にならない部分も、似ている。春が来たら、森林公園辺りでサイクリングなんかもいいかも。  湯船の中に丸まって、美緒は次の休日について考えていた。映画を見て、お茶を飲んで終わりでは、物足りないような気がする。外見は小さくてやさしげだけれど、意外に短気で負けず嫌いな部分が会話の端々に出てくる。自分に向けられる表情は、時々驚くほど大人の顔だ。何かに戸惑ったりすると、わかっているとばかりに頷かれることがある。にもかかわらず自分の要求は、あの大きな瞳で押し通すのだ。  あたしが何かに関心を寄せるたびに、彼は楽しそうにそれを見ている。博物館の恐竜の骨とか、映画館で買ったパンフレットだとか。そして、自分の好きなものにあたしが興味を示しただけで、この上なく嬉しそうな顔をする。あの顔をもっと見たい、と思う。  日曜日に待ち合わせて行った映画は美しかった。深くてせつないラブストーリーで、長身の俳優のやるせない表情は素晴らしかった。そして、静かな―――性愛のシーン。  えっとえっと、綺麗なんだけど、自然なんだけど。だけど。  美緒は龍太郎の横顔を盗み見て、落ち着かない。やっぱりハリウッドの娯楽作品にすれば良かった、と後悔する。どんな顔していいかわからない。自分にもこれが訪れるのは、知ってる。不自然だともいやらしいとも思わない。試用期間なんて言ってるけど、その後には。  きゃ――――!  美緒の頭がジタバタしていることを、龍太郎は知らない。  一緒にパンフレットを覗き込みながら、静かでせつない映画だったね、と感想を言い合う。パンフレットの中に、件のシーンの写真がある。慌てて視線を逸らした美緒は、まったく別のことを考えている。  この人はその時、どんな顔をするんだろう?  自分の想像にあっけにとられ、猛烈に恥ずかしくなる。  あれくらい身長があれば、女の子はすっぽり腕の中なんだよな。  龍太郎も別のことを考えているのである。自分の小さな身体とか細い腕とか、そんなものに腹を立てても仕方がないことは重々承知なのだが、時々どうしようもなく憂鬱になる。見てくれに寄って来られるのはいい。だけど、それは自分が望んだものではない。女の子を安心して寄りかからせることは物理的に無理で、それを諦める変わりに俺が欲しいのは「見てくれ以外の俺」を求めてくれる子だ。  はじめから俺を「男の人」と言ったこの子は、少なくとも容姿じゃないところも見てるんだよ。  ランチの時に美緒が後ろの席の会話に気を止めたのは、「篠田君」という単語が出てきたからだ。珍しい姓ではないだろうが、田中や佐藤のように多くはない。 「――さ、篠田君と朝――っていうか―――つりあいが―――たいして綺麗な子じゃ――」  あたしのことだ、と気がついた瞬間、箸が止まった。 「どこが――なわけ――向こうから――飽きるんじゃ――もっと小さくてかわいい子――」  つまり、あたしは龍君より大きくてかわいくないから、つりあいが取れないって言ってる? 振り向きたいのを必死でこらえ、箸を握り締めるが、口に運ぶことができない。表情の強張りに気がついたランチ仲間が声をかけても、聞こえないほど美緒は後ろの会話に注意を向けていた。 「――の身長じゃ――だけど―――選びようが――ねえ」 「松坊、どうしたの?箸が進んでないじゃない」 「……残す」  食べられない。誰がどんな噂をしているのか、確認したくても振り向けない。直に言われたわけではない分、これはきつい。他人からどう見えるか、なんて考えたこともなかった。つりあわない? 「具合悪い? あんたが出された物残すなんて」 「違う違う、今朝お餅みっつ食べてきたから」  あたし、今、ちゃんと笑えてるだろうか? みんながあたしの顔見てる。楽しい息抜きの時間、雰囲気を壊しちゃダメ。  美緒のグループより先に席を立った後ろの集団は、揃ってレジの前に立ち、やっとのことで振り向いた美緒の目に映ったのは明るい髪の色。  髪型に見覚えがある。ピンク色のコートの人だ。  同僚たちと並んでも一際小柄で華奢なその後ろ姿は、龍太郎の横に立っていたら自然なカップルに見えるような気がした。  帰り時間を合わせて美緒と龍太郎は待ち合わせをしていた。少し会話にハズミがないかなと思う程度で、龍太郎は美緒の鬱屈には気付かない。食事を終え、通りがかりのガラス張りのビルに映る自分たちに美緒は気がつく。  あの人たちが言ったのは本当だ。少なくとも、あたしと龍君はカップルに見えない。  ニットコートにスキニーのジーンズ、斜め掛けのポストマンバッグ。そのスタイルは動きやすいし、会社に行けば制服があって失礼にはならない。だけどスーツの上にコートを着た龍太郎とは、どう見てもアンマッチだ。  紺色のダッフルコートに寄り添ったピンク色のコート。出社する時も休日に遊ぶ時も同じスタイルのあたし。おかしいのは、あたしの方だ。誰が見ても多分評価はマルの龍君につりあってないのは、あたしだ。  試用期間と言ったのは、龍君の方だ。あの時は、迷っているあたしに猶予をくれたんだと思っていたんだけど、龍君からも試用期間なんだろうか。あたしが決定通知出しても、向こうから不採用です、なんて。  そうか、あたしはもう決定するつもりでいたんだな。その前に「つりあわない子とつきあってる」と言われてるんだとしたら、とても申し訳ないことをしてるのかも知れない。少なくとも、そう思う人がいるんだから。 「あれ? 今日はずいぶんOLさんらしいカッコ。どうしたの?」  ロッカールームで鈴森に声をかけられ美緒は、まあちょっと、と言葉を濁す。せめて並んだ時に違和感を感じさせない程度に合わせたいなんて、自分の考えが媚を含んでいるようで嫌だ。 「金曜日だし、今晩おデート?」 「時間が合えば」  デートという言葉に過剰反応しなくなった、と美緒は思う。日常に組み込まれてしまえば、ただの単語でしかなくなる。自分の感情にも、そうやって馴染んでいくのだろうか。  夕方近くに残業の確認のメッセージがあり、ビルのロビーで待ち合わせる。階段室からロビーに出たところで目に入ったのは、龍太郎と何人かの同僚。女の子の方が少し多めなのは、仕事帰りに、と誘いあったからだろう。 「じゃ、俺はそういうことで」  抜けて背を向けた龍太郎は知りようがないが、美緒は龍太郎の肩越しに値踏みするような視線を見ていた。自分の勤め先とは雰囲気の違う社風なのだろう。全体的に華やかで明るい雰囲気だ。視線を寄こしているのは女の子たちで、「ああ、あれが」なんて目で会話をしていそうだ。  やだ。なんか怖い。  今まで「すっごく鈍い」美緒は、同性にけしかけられたり呆れられたりすることはあっても、こんな視線にさらされたことはなかった。「誰それのカノジョはどういう子」なんて噂話をすることはあっても、されることはなかったのである。一際強い視線は、ピンク色のコート。明るい色の髪に、綺麗なアプリコットカラーのリップグロウが、自分のアピールポイントをきちんと把握している「女」に見える。  ふいに足に合わない靴を履いているような気分になり、美緒は怯んだ。 「さて、行こ行こ」  美緒に寄った龍太郎は、強張った顔に気付かずそのまま歩きだした。 「会社の人たちにつきあわなくていいんですか?」 「美緒ちゃんに声かけた方が先だもん」  それに今のところ、こっちの方が優先度高いし、と龍太郎は思う。 「何か食べたいもの、ある?」  そう聞きながら美緒に向き直った時、やっとその表情に気がついた。よく笑いそうな明るい表情は潜み、変わりに浮かんでいるのは怯えに似たものだ。 「何か嫌なことがあったの?」 「ないですよ? 仕事も上手く片付いたし、明日はお休みですもん」  慣れた証拠のように気易くなっていた口調が、元に戻っている。しかも本人は、それを意識していないらしい。  昨日の朝、駅から歩いた時は普通だったぞ。今朝は会ってないけど。  それからおもむろに美緒の服装に気がつく。ハーフコートと膝丈フレアスカート、いわゆる「女の子服」だ。普段とずいぶんイメージが違う。それが余計におとなしやかに見えるのだろうか?  もう一度、どこに行こうか? と声をかける。 「知ってる人の、あんまりいないところがいい」  ぽつんとした返事が戻った。 「どういう意味?」  龍太郎の真剣な声に我に返った。何を言ったんだろう? 「なんでもない。おなか空いたね。どこにする?」 「だから、どういう意味?」  聞き逃してくれる気は、ないらしい。美緒は途方に暮れて足元を見つめた。  だって、どう言ったらいいの。龍君と歩いている姿に違和感を感じる人がいて、それが怖いなんて。 「俺と一緒にいるところを見られるのがイヤだってこと?」  答えることのできない美緒は、それきり口を閉ざした。  こっちに来て、と龍太郎が導いたビルの谷間の緑地帯は、とても寒い。 「寒いけど、ここなら人もあんまり来ないし、他のテーブルに気を遣うこともないから。ねえ、どういうことか説明してよ。俺がチビの童顔だから恥ずかしい?」 「そんなんじゃない」 「別にそうならそう言ってもいいんだよ。今までそんなことは何度もあったし」  でも、今度は違う風に期待しちゃったんだ。女に間違われる俺を「男の人」って言ってくれたから。 「そうじゃないのっ!」  美緒の喉が詰まる。石のベンチに座り込んで、言葉を捜しながら見上げた龍太郎の顔は、ひどく寂しそうだった。何か言わないと傷付けてしまう、そう思いながら美緒は必死で言葉を捜した。 「龍君じゃなくて、あたし。あたしがもっと女の子らしくてかわいければ、誰も何も言わないのに」 「誰かに何か言われたの?」  しまった。これじゃ、そう言っている人がいると告げたようなものだ。美緒はまた俯いた。  美緒の横に龍太郎が腰掛ける。石のベンチは冷たい。 「それって、俺がこんなツラじゃなくて、こんなチビじゃなきゃ誰も何も言わないってことだよな」  一緒に俯いた龍太郎は、誰が言ったかとは聞かなかった。 「容姿なんて、俺が選んだものじゃない。誰がどう見ても仕方ないけど、それで拒絶されるのはイタい。でも、どうしてもイヤなんだったら、それは仕方ない」 「違うの。あたしが龍君に申し訳なくて。せめてもう少し誰から見ても」  だって、どう考えても合わないのはあたしだから。美緒はその言葉を飲み込んだ。 「女の子らしくてかわいいでしょう。俺はそういう子につきあって欲しいんだけど」  他人の基準の判断なら、いらない。龍太郎は俯いた顔を起こした。 「俺の容姿は、我慢できないくらい嫌い?」  美緒は首を横に振る。ううん、好き。これは声に出さない。 「誰からもお似合いですって言われたい?」  ううん、そんなの無理。やっぱり首を横に振る。 「俺は美緒ちゃんが、すごくかわいいと思ったから、顔を覚えてたんだ。他人にどうこう言われる筋合いなんかない」 「俺がそう思ってるだけじゃ、ダメ?」  顔が近い。視線が絡まって、外せない。  龍太郎の手は柔らかく伸びて、美緒の首を引き寄せた。 「本採用、待ってるんだけど。それとも不採用?」  返事していいんだろうか。本当にあたしでいいの?  返事をする前に顔が更に近付き、戸惑いながら美緒は瞳を閉じた。  食事を一緒にしても表情の戻らない美緒を乗り換え駅まで送ったあと、帰宅して炬燵に足を突っ込んだ龍太郎の携帯が震えた。発信者は藤原、時刻は十一時半である。 「篠ちゃーん、泊めてぇー」 「ウチは簡易宿泊所じゃねえ」 「もう、池袋まで来ちゃったもーん。それとも松山さんがいる?」 「……まだそんな段階と違う」 「あ、電車出る! じゃ、三十分で着くから!」  甚だ勝手だが、毎度のことと言えば毎度のことだ。  藤原が来る前にシャワーを浴びてしまおうと思った所にスマートフォンに着信がある。 〈無事、帰宅しました。今日はごめんなさい〉  謝ることないのに、と龍太郎は思う。もともとが自分に起因する事柄で、だからあんな顔をさせたのは俺自身だ、と悔しい。慣れてくれと言うのは容易い。好きなんだからと押し付けてしまうことも簡単だ。 「とりあえずシャワーだっ!」 〈今からフジが来るらしい。明日、メッセする。おやすみ〉  スマートフォンを充電器に置いて立ち上がる。  いいよな、顔のいいヤツは女にチヤホヤされていい気になれて。そんなことを言われた研修時の、思い出したくないことまで思い出す。  ちくしょう。羨ましけりゃ俺の外見そっくりくれてやるよ。  言いたい相手は、入社して半年で会社自体を辞めて行ったが。 「しーのーちゃんっ! あっそびっましょっ」 「酔ってんな、てめえ」 「酔いますよう。三浦から質問攻めだもん。他の人がどん引くくらい、松山さんのこと根掘り葉掘りー」  大きなコンビニの袋を龍太郎に差し出してから、藤原は備え付けのスウェットに着替えてスーツを吊るす。 「余計なこと言ってねーよなー」 「言うほど知らねーもん。篠ちゃんが声かけて篠ちゃんがめろめろだっつーのは言っといた。不満そうだった。いや、うるせーうるせー」  それは、とてもリアルに想像ができた。 「まま、篠ちゃんも飲んで飲んで。なんかさー、誘導するわけよ、向こうから声かけたんじゃないかとか、たいして綺麗でもないよね、とか」 「俺の趣味だ、放っとけ」 「放っとけない人もいるんでしょ。やーね、モテる男は」  あれは、俺が相手にしてないからムキになってるだけだ。プライド高そうだし。  龍太郎は冷静にそう考える。  盛大にシャンプーの泡をたてながら、美緒はまた思い出していた。  キス、しちゃった。あれが返事になるんだろうか。俺がそう思ってるだけじゃ、ダメ? あの言葉がとても嬉しくて、そんな風に言ってもらえるあたしが、しあわせだと思った。でも、本当に?  じゃあ、不採用だって言って、取り消してもらう?それでメールを待ったり、自分がどう見えるかなんて気にすることはなくなる筈。そして、あたしは「誰から見ても不自然じゃない男」と出会う。龍君も「誰からもお似合いに見えるタイニーな女の子」と一緒に歩く。たとえば、あのピンク色のコートの人みたいな。  それは、いや。  自分の中の力強い声に、シャンプーを流すために掴んだシャワーの柄を握り締めた。 〈龍君が、とてもとても好きです〉  やっとの思いで送ったメッセージは、夜中の三時を過ぎていた。  これが、あたしの結論。
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