Unconscious act

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Unconscious act

 会社の忘年会ほどつまらない場所はない、と美緒は思う。仕事中のお茶汲みが当然のように、上司にビールを注いで歩くのが当然の社風なのだ。  会費払って酌して歩いて、気がつくとお料理が冷え切っちゃってる。オジサンのくだらないジョークに笑ってやらなくちゃならない。バカバカしいったらありゃしない。  二次会へという言葉をパスして、鈴森とお茶を飲んで愚痴を言い合ってから駅に向かう時、前に見知った姿があった。 「あれ? そっちの会社も忘年会だった?」  藤原に声をかけられ、美緒はその隣を探す。常に一緒にいるわけじゃないのだが。 「二次会パスして、お茶飲んで今帰りです。藤原さんは?」  答えたのは鈴森が先だ。美緒がきょろきょろしているのに気がつき、藤原は美緒に向かって言った。 「篠ちゃんなら、今から三次会とかってあっちで捕まってるよ」  親指で藤原が指し示した方に、紺のダッフルコートの龍太郎が見える。その横にはピンク色のコートの、ずいぶん小柄な女の子がいる。龍太郎の肘に手をかけ、なにやら一生懸命話しているように見える。栗色の髪に縁取られた顔は、「まさに女の子」だ。相手をしている龍太郎の苦笑いも、親しげに見える。  なんか、やだ。  この女、さっきから常に横にいて鬱陶しい。  そう思っているのは、龍太郎である。総務の三浦のことだ。気がつくと、横の席にいる。仕事の話をしていても、「お酒の席で仕事の話はやめましょーよー」と突っ込んでくる。そして今、「気が合う人だけ誘って三次会に行きません?」と肘に手を置いているのだ。  気、合わないから! 語尾伸ばす喋り方するヤツ、嫌なんだってば! 邪険に振り払うこともできず、頼みの綱の藤原は「篠ちゃんが行くんなら合わせる」と良い気分に酔っ払っている。 「フジとふたりで飲みたいから、また今度ね」  手を離させて藤原に近づくと、美緒と鈴森が一緒に立っている。龍太郎はほうっと息をついた。 「美緒ちゃんたちも忘年会?」  そう言ったところで、後ろから三浦が後ろから追ってきた。 「篠田君、冷たぁい。藤原君も一緒でいいからぁ」  藤原君も一緒「で」って何だ「で」って!  龍太郎が仕方無さそうに藤原に「行くか?」と声をかけるのを、美緒はじっと見ていた。  なんか、すっごくやだ。 「終バスがなくなっちゃうから、失礼します」  そう言いながら美緒がその場から動いた時、後ろから声が聞こえた。 「知ってる人ぉ?」  むか。知らない人じゃないもん。 「篠田さん、今度っていつにします? 連絡待ってますから」  振り向きざまに美緒が投げるように言った言葉に龍太郎は一瞬目を見開き、鈴森は硬直し、藤原は笑い出した。 「明日、メッセする。気をつけて帰って」  一番最初に立ち直ったのは龍太郎だった。  何言ったの、あたし!  逃げるように早足で歩き出した美緒に、鈴森が走って追いつく。 「松坊! どうしたの? なんか捨て台詞チックだったけど」  わかんない。多分、今一番びっくりしてるのは、あたし自身だ。  振り切れずに女の子が何人か混ざってしまった三次会で、龍太郎はゆっくりと美緒の言葉を反芻することもできずに不機嫌だった。 「篠ちゃん、今日泊めて」 「男と寝たくねえ。神奈川の奥地に帰れ」  そう言いながら、藤原と連れ立って電車に乗る。同じ方向の女の子が一緒だ。龍太郎の家の方が三十分程会社に近いので、帰りが遅くなると藤原は泊っていくことが多い。ハブラシとカップとLサイズのスウェットが部屋にキープしてある。 「ま、明日は休みだから、もうちょっと飲むか」 「泊めてもらうけど、襲わないでね?」  女の子が笑い出す。 「どう見ても、逆っ! 藤原君を篠田君が食っちゃう方でしょ」 「だって篠ちゃん、肉食系なんですもの。あたしの貞操が危機なのよ」  藤原の道化た口調は、女の子を更に笑わせた。 「無理無理無理っ! 篠田君の可愛さに藤原君が血迷うほうが先っ!」  そうだよな、普通みんなこういう反応するんだ。大学生の頃なんて、女の子が平気で俺の部屋で雑魚寝したもんな。龍君の家なら平気ーとかって言って。  カラダで払う? と聞いたときの真っ赤な顔。男の人と一緒にいるのが慣れないと言った時のきまりの悪そうな顔。今まで自分に向けられなかったものが、いきなり目の前に現れたのだ。それが欲しかったのだと改めて自覚してもおかしくはない。声高に主張しなくても、自分の形を認めてくれる存在。自分が女の子受けするのは、確かに知ってる。みんな警戒しないで寄ってくる。だって、警戒する要素は薄いんだから。  今度っていつにします? 今でもいい。  なんであれに不機嫌になったんだろう。なかなか眠りが訪れないベッドの上で、美緒は自分の感情を反芻する。  ダッフルコートが、似合ってたのよ。お休みの日に会うMA-1じゃなくて、紺色がやけに目に付いて。それに寄っていたピンクのコート。あたし、あんな風に女の子だって主張するようなモノ、着てない。紺とピンクのコンビネーションが綺麗で、それが何か嫌だったんだ。  捨て台詞のような響きになったのは、自覚していた。そんな口調を残した自分がヘンで、嫌だと思った。まだ何かはじまるのかどうか、自分でも理解していないのに、「なんかやだ」であんな風に言ってしまった。  篠田さんが、怒ってたらどうしよう。また冴えてくる目を無理矢理閉じて、美緒は身体を丸めた。  龍太郎はその晩、結局明け方まで飲み続け、翌日藤原と共に目覚めたのは昼過ぎだった。お互いに炬燵に足を突っ込んだまま寝たので、身体中が乾燥している。キッチンで水を汲み、一息に飲む。頭いて…… 「篠ちゃん、朝メシ……」 「朝じゃねえ、昼も過ぎた」  藤原は更に酔いの残った顔である。 「どうせだったら女の子の家に泊めてもらって、朝のコーヒーで起こされたい」 「人の家に泊まっといて、勝手なこと言うな。コンビニでも行くか?」 「俺、スウェットに革靴なんてヤダ」 「いいけどさ。買ってきたものに文句言うなよ」  踵をつぶしたスニーカーを引っ掛け、顔も洗わないままコンビニに向かって歩く途中、龍太郎は昨晩「メッセする」と言ったことを思い出した。  なんか怒ってた? 俺に? 朝、挨拶をしたときは普通だったぞ?  おにぎりとペットボトルのお茶を適当に掴み、カウンターの上の揚げ物も買ってアパートに戻る。部屋に戻ったら、SNSを開こうと思う。  明日じゃ早いか。年末だから、平日の帰り時間は読めないし。  一方、美緒も起き上がったのは昼過ぎだった。 「イイ年の娘がいつまで寝てるの!」  母親に布団を剥がされて、いやいや身体を起こしたのである。着替えて、とりあえず洗濯機を回してから、コーヒーを淹れる。ボーっと座っていると、母親が前に座った。 「休みの日だからって、そんなに気の抜けた顔して。ちょっとは娘らしいことのひとつもしなさい」  娘らしいこととは、何? 聞き返すとうるさいので、いい加減に返事をする。男の子なら男らしいことのひとつも、と言うのか。家の中には高校生の妹がいるのみなので、わからない。  そう言えば、メッセ!今日メッセするって! 慌ててスマートフォンをチェックすると、着信はなかった。  午後二時を過ぎても、龍太郎からの連絡はなかった。溜まったアイロンがけをしながら、美緒の目はスマートフォンに向いたままだ。すべて済ませた三時過ぎ、クローゼットに仕事を終えた服を納め終わった頃にスマートフォンが震えた。通話ではないのに、慌てて開く。 〈すっかり二日酔いしてます。来週の晩、仕事が早く終わりそうな時に連絡します〉  あ、やっぱり三次会に行ったんだ。あのピンクのコートと。女の子女の子してて、男の子に人気のあるタイプだよね。  今しがた開いたばかりのクローゼットの中身を思い浮かべる。色味もそうだが、全体的にあっさりしすぎな気もする。フレアのスカートやモヘアのニット、レースのカーディガン、それは美緒のワードローブに含まれていない。「性に合わない」と退けていたから。  美緒は上着を羽織りリュックを背負って、車庫から自転車を引っ張り出す。 「美緒ちゃん、どこ行くの?」  妹からの問いかけに、駅ビルであるファッションビルの名を言う。何が買いたいのか自分でもわからないが、自分のワードローブがひどく不足している気がした。 「何、松山さんにメッセ?」  コタツの天板に顎を乗せたまま、藤原は龍太郎に話しかけた。んん、と龍太郎は曖昧に頷く。 「昨日、三浦に対抗してたもんねえ。三浦もいい加減、相手にされてないの気がつけばいいのに」  それに対しては、答えないでおく。三浦から直接的な言葉をかけられたのは研修の時だけで、その後は横をウロウロしているだけなのだ。 「松山さんって確かにかわいいけどさ、色気に欠けるっていうか女っぽくないっていうか」 「放っとけ。フジが去年つきあってた女だって、色っぽいのは身体つきだけだったじゃん」 「巨乳はいいぞお。三浦の胸も捨てがたい」  捨てがたいんなら、拾ってくれ。  美緒からの返信はすぐに来た。 〈今週中なら、前日に言っていただければ時間を空けます〉  三浦に対抗したのか、ただ虫の居所が悪かっただけなのか、とりあえず了承の言葉だ。年末に時間のやりくりは難しいが、どうにかしなくては。  だって、やられちゃったから。 「元気で明るいイメージで、こんな感じでいかがですか?」 「えーっと、そういうのは普段から……ちょっとイメージが違うものを……」  しどろもどろ。もともと何が欲しいというわけでもないのだ。頭にあったのは、ピンク色のコートと白いブーツだ。女の子にしか楽しめない服装を、してみたくなった。会社に行けば制服があって、通うだけならばジーンズでも問題ない。だから服装っていうのは、趣味オンリーの話だ。雑誌の特集の「モテ服云々」を、美緒は今までバカにしていたのだ。不特定多数にカワイイと思われたいなんて、浅ましい気がしない? 散々そう言った気がする。  違うっ!「誰にでもかわいく見える」って「誰かにもかわいいと思ってもらえるかも」ってことだ。ビルの中の店をウロウロしながら、美緒は考える。  ……誰かって、誰?  色白の小造りな顔に大きな瞳と褐色の髪で、指も足もあたしより細い人。ダメだ、敵いっこない。あれよりかわいいだなんて……ん? 何か、ヘン。  ジューススタンドでストローをくわえてから、美緒はやっと自分が混乱していることを認める気になった。混乱の理由は、おぼろげに理解できている気もするのだが、今は考えたくない。  帰ろ。こんな日は、絶対ロクな買い物できない。何も買わないで帰るってのも癪に障るんだけど。  目に付いたランジェリーショップにふらふらと入って、目的もなく物色していると、店員がにこやかに話しかけてきた。 「新しいデザインが入ったんですよ。サイズ、測りますかぁ?」  店員に勧められて手にとった下着は、淡いブルーに白のリバティーレースが爽やかに女らしい。 「ショーツとキャミもお揃いだと、かわいいでしょう?」  試着室で店員に背中から脇腹の肉を全部ブラの中に押し込まれると、サイズが上がって胸に谷間ができる。嬉しくなってつい、カードケースを引っ張り出す。結構な金額だ。  もしもの時に着けよう、と一瞬思う。相手は誰だとつっこみたがる自分は、無視することにした。どうも「あーんなことやこーんなこと」の連想が、し難い。  一方、龍太郎の夕方である。龍太郎の部屋でゴロゴロしていた藤原と、夕食がてら駅まで歩いて見送る。コンビニでパラパラと立ち読みをして、やっぱり明日誘えば良かったなと後悔したりする。ボーナス出たばっかりだから、まだ余裕あるし。まだどうにもなってないのに、毎週誘うのも鬱陶しいかなと思うと、中々先に進めない。翌朝のパンとオレンジジュースを買って部屋に辿りつくと、すでに部屋の中が冷えている。  なんか寂しい。  コタツに足を突っ込み、テレビの電源を入れて見るともなしに眺めていると、話し相手が欲しくなる。仕事が手薄な時期なら、本を読んでみたり区営の体育館に行く元気もあるのだが、継続して何かをするには時間がぶつ切りになる時期は、どうも人恋しい。  柴犬、飼いたい。  年末のバタバタで、なかなか時間の空く日が見えないうちに水曜日になってしまった。ああ、やっぱり日曜日に誘っとけば良かった、と思っても、後の祭りである。 「おはようございまーす」  いつも通り早足で通り過ぎようとする美緒を、龍太郎は引き止めた。 「ごめん。平日とかって言ったけど、今週は全然予定が見えなくて」 「忙しいんなら、無理しなくていいです。時間が空いたら、声をかけてください」 「土日も現場っぽいし、来週の土曜はダメだよねえ? 友達と約束とかあるんじゃない?」  クリスマス直前の土曜日なんて、微妙な日程だ。 「うーん、今のところ約束はないですねえ」 「じゃ、来週の土曜日予約。行き先は俺に任せてもらっていい?」 「はいっ。お願いします」  答えたあとに「お先に」と、いつもの早足で美緒は歩きはじめる。実は、心臓はバクバクなのだ。待っても連絡が来なくて、捨て台詞のような言葉尻に腹をたてているのかとか、忘れるくらいどうでもいい話だったのかと考えると、落ち着かなかった。  良かった、怒ってない。忘れてもない。後ろを歩く龍太郎の機嫌の良い顔は、想像もつかないのである。 「クリスマス・デート? 大進展!」 「そんなんじゃないっ! その日まで予定が合わなくてっ!」 「何もそんなにムキになって反論しなくても」  ロッカールームには、美緒と鈴森以外にも人がいるのだ。松山に彼氏? どんなの? と大騒ぎになり、美緒は膨れっ面でロッカーを閉めた。 「放っといて! 彼氏じゃないしっ! 大体、彼氏がいるいないなんて、騒ぎになるような年じゃないっ!」 「いや、他の誰かなら驚かない」  どういう意味だ。 「ボーナス貰ったし服買いに行くの、つきあって」  美緒がかけた言葉に鈴森は力強く頷く。 「バーゲン待ってたら、間に合わないもんね。来週じゃ」 「そのためじゃないっ!」  美緒の膨れっ面に鈴森は軽やかな笑いを返した。 「手持ちの服に合わせないと、組み合わせが常に同じになるよ。値が張るのはコートと靴だから、それを生かす方向で探す」  鈴森のアドバイスに従って、服を身体にあててゆく。これ、どう? と渡された服は、普段は自分で選ばないデザインだ。 「同じ丈でも、ひらひらしてるとなんかこう、膝のあたりが不安なんだけど」 「松坊に足りないのは、その不安からの緊張感」 「緊張感って」  上目遣いの美緒の視線を鈴森が跳ね返す。 「篠田さん、なんだってこう色気のない女に声かけたんだろう……」 「だから、そういうのじゃないって」 「そういうのじゃない人が毎週のように誘ったら、そっちの方が怖い」  決めつけられて、美緒は黙る。つきあってもらって、更にアドバイスまでもらっているのだ。これ以上文句は言えない。
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