甘い過去 苦い現代

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あの日から一ヶ月が経とうとしていた。 就職話が位チラホラと耳に入り、周りは求人票を一点に見つめるものばかり。 一方の裕二はというと都内随一の大手株式会社 湯町商事一点張りで望むことを決意していた。 求人票から湯町商事を見つけるや否や、疾風のごとく 教授の元へ駆け寄る。 「すいません 自分この会社に就職したいです!」 「おー流石は裕二君 ここの会社に就職すれば一生涯安泰と言われるトップクラスの会社だからな、成績も態度も良い君なら安心して面接にも望んでも良さそうだな だが 勝負はこれからだ! 一切手を抜かず気を引き締めて望みなさい!」 活を入れられ、俄然やる気が漲っていく。 裕二はエールに答えまいとこの日から内定という二文字を掲げ、勉強三昧の日々を送る。 「ラストの一年は勉強に青春を捧げるぞ!」 男は毎日同じセリフを呟きながら筆を進めていく。 この言葉が有言実行となったかのように、成績はグングンとうなぎ登りのように上昇し、遂には十年間破られることのなかった九百五十点の壁に到達した。 授業終わり 帰り支度を済ませ講堂から退出しようとした時のこと 一人ポツリと退出する素振りでさえ見せずに、ノートを写す女性がいる。 「テスト終わりだというのに.....」 際限も無い違和感に耐えきれずに、こそこそと住居侵入のように近づていく。 余所余所しく肩を叩く。 振り返ったその瞬間だけ 極めて刹那的な時の中で裕二の戦慄が走る。 ショートカット以外は全てあの時のと一致している。 鋭い目付き 厚いタラコ唇 こだわりにこだわったであろうネイル 彼女はキョトンとしているが、間違いなく彼の目に写っていたのは厄介な酔っ払い女だった。 「ごめん、なんでもないや。」 素早くその場から立ち去ろうとする裕二の手を強引に引き止め、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる彼女 「あなた 前にちょっかいかけたでしょ? まさか同じ大学だったとはね。」 「だからちょっかいかけてませんって!」 「そうじゃなくて、この前は酔った勢いで酷いことを言ってしまったみたいなんだよね? あの時は本当にごめんなさい!」 「い、いやべつに そんな気にしては..」 彼の思い描いたシナリオとは程遠く離れている。 彼女へのストレスが倍増する覚悟でいたはずなのに、今となっては胸きゅんしてしまうほどの豹変ぶりである。 いや これは 女の魅惑作戦なのか? 誘惑させて良からぬことを考えているのではないか? 考察を張り巡らせば巡らせるほど疑惑の羅列が横並びになり広がる。 疑心暗鬼の彼に浮かぶ言葉はひとつも無い。 「本当に気にしてないの? やったー! ところでさなんで来たの?」 「なんでって、皆帰ってるのに 一人で何してるかなぁって思って。」 「あぁ そうゆう事ね 恥ずかしい話 私さ証券会社に就職したいんだけど、その為に必要な学力が足りてなくて、だから少しでも多く勉強して就職してやろうって思ってて 毎日勉強してるんだ。」 「そ、そうなんだ。 何か出来ることがあれば手伝うよ。」 「ううん、いいよ そんな気を遣わなくて あなたも行きたい場所あるんでしょ?」 「そ、そうだけど 」 「ならまずは自分の夢を追うのが優先的じゃない? あなたが優しい人なのはよく分かったし、だから私なんかの為に貴方の人生をめちゃくちゃにする訳にも行かないし。」 少女は笑っている、しかしその笑顔の先にはどこか悲しみを含んでいるようにも見える。 本当は彼女自身も深い悩みを抱えているのに 抱えているはずなのに 何もすることが出来なかった。 彼女の前に立ち尽くしてから時計の針がゆっくりと刻まれている。 しかし確実にその瞬間でさえも未来へ突き進んでいる。 彼女の笑いがピタリと止む。 目からうっすらと透明な涙が速度を弛めて流れ落ちていく。 「やっぱりそうなんだ 悩みがあったんですね。」 ゆっくりと彼女は頷く。 「何を勉強しても 結果が出なくて 誰からも認めて貰えなくて... だからお酒とか飲んで何もかも忘れようとしてて、鬱憤を晴らそうとしてた。 本当は駄目だって事 分かっているのに....」 「だから あの時...」 「そう だからあの時あんなに冷たい態度取っちゃって」 「そう言うことだったんだね..」 「バカみたいだよね私」 「そんなことはないと思うけど」 「えっ?」 「あの時は何も気づけなくてただただ不満を募らせてたけど 今は違う。 あなたを見てると自分も頑張らないといけないと思うくらい、誰よりも努力してると思う。 それなのに自分を責める事は間違ってると思う。 何を言われても自尊心だけは傷つけちゃダメだ! だからもっと自分に自信を持って 挑戦し続ければいつか結果に繋がるから、僕はあなたを応援するよ!」 「うん、ありがとうね 意外と良い人だったんだね。」 「全然大丈夫さ 意外と、は余計だけど」 赤い糸と青い糸の奇遇な出会い 運命のタイマーは既に作動していた。
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