立つ鳥は跡を濁さずに逝きたい

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「美晴!」  声が聞こえた。聞いたことのある声。耳元でうるさいほどに響いてくる声。急速に意識が体に引き寄せられる。だが、体が重たい。眠たい。私はまだ寝ていたいのに。そう思いながら薄く目を開けた時、そこには父の顔があった。記憶よりも少しだけ年を取った顔。だがひどく懐かしい。 「お」  お父さん。そう言おうとしたが、声がしわがれて言葉にならなかった。だが、その声を自分の耳で聞いて、私は驚いた。声が出る。体は動かないままだが、喉が痛むのを感じる。自分の呼吸で胸が上下するのがわかる。  生きている?  父は涙を流していた。父が泣くのを見るのは、母が死んだ時以来だった。涙が私の頬に落ちる。それはひどく温かかった。彼はそれを慌てて拭うと、代わりに私の頬に手のひらを当てる。温かい。今度は自分の涙が頬を伝うのを感じた。 「美晴、大丈夫か? ひどく痛むところはないか? もう十日も意識がなかったんだ」 「お、とう」  お父さん。来てくれたんだ。会いたかった。一人で寂しかったんだ。 「大丈夫だよ。美晴。お父さんがついてる。頭を打ったようだけど、意識を取り戻せば大丈夫だって医師も言っていた。怪我もすぐ治るよ」  涙を流す父の顔は、少しだけ泣いていたおじさんの顔に似ていた。あれは意識が混濁する中で見た夢、もしくは幻だったのだろうか。 「来るのが遅くなってごめん。警察から急に連絡がきてビックリしたよ。事故で運ばれた身元不明の女性の病室に、あなたからの手紙が置いてありますって言われたんだ。昨日までは無かったから、誰が置いたんだろうって」  だからおじさんは手紙を置いていったのか。 「ありがとう」  私はなんとか声を出す。父は泣き笑いで頷いた。  お父さんも、おじさんも。私のところにきてくれて本当にありがとう。
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