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兄の前で陳腐な嘘は通用しない。安い芝居でも切り抜けられないだろう。それじゃあ私は、どうやってこの状況を逃れれば良いのだろうか。生半可な覚悟ではすぐに玉砕すると知っている私は、腹を括って沈黙を破った。
「どうしてそんな事を訊くの?」
「……。」
「誰だって良いでしょう?お兄ちゃんに関係ある?」
「……。」
「私ももう成人だよ?こういう関係になる相手がいても可笑しくないよ。」
外はもう暗いのかもしれない。遮光カーテンの隙間から陽射しは洩れていないし、兄の表情も伺いにくいくらいには視界が悪い。唇を緩めて「お兄ちゃんは心配してくれているんだよね?ありがとう」と用意していた台本の最後の台詞を読み上げる。
優しい兄なら「そうだな、干渉し過ぎて悪かった」と云ってくれるだろう。なんて、甘い思考を巡らせていた自分が何処かにいた。しかし私に返されたのは、鼻から抜けた兄の嗤い声だった。
「関係ある…だと?」
「お兄ちゃん?」
「こういう関係になる相手がいても可笑しくないだと?」
「……。」
「嗤わせるなよ。関係ない訳ないだろう、こういう関係になる相手がいて良い訳ないだろう。」
皮膚を刺す兄の声は、いよいよはっきりとした怒気を孕んでいた。
「ククッ…ハハッ…ハハハハハッ…。」
「お兄ちゃん?どうしたのいつもと様子が可笑し…「水都。」」
俯いていた端整な顔が上げられた。そこに浮かんでいるのは、歪な笑み。やがて兄の顔が保たれていた私達の僅かな距離を埋めていく。闇の中、漸くはっきりと捉えられた兄の顔は今日も美しかった。
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