1 

2/2
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
「高野さん、今日は何がおすすめー?」 「あらあら純ちゃん。今日はちゃんとご飯食べる気になったのね。この辺のお惣菜、そろそろ値引きするから今安くしてあげようね」 「お、純也。しばらく見ないと思ったけどちゃんと生きてたのか! うちでも魚買って行けよ。捌いて刺身の盛り合わせにしてやるから」 「いいねー、三吉さんのおすすめで作ってよ」 「巽くん、久々に商店街まで来たのね。お肉は食べてる? ポークはいかが?」 「欲しいなー。水谷さん、400グラムで包んで」 “食糧調達はね、この商店街でするのが一番なんだよ”そう言った巽君に連れられて商店街を歩くと、数歩歩く毎に店の人から声が掛けられた。その一人一人と会話しながら、巽君は買い物を済ませていく。お店の人みんなと顔見知りで、お互いに名前を知ってるって凄い。私は生まれも育ちもそこそこ都会だったけれど、この辺じゃ普通の事なんだろうか。巽君の腕に掛かる荷物が増えて行くのが見て分かり、私が「半分持つよ」と後ろから声を掛けるとそれまで巽君と話し込んでいた精肉店の女性がきょとんとした顔をした。 「巽君が、女の人をつれてる…?!」 「水谷さん、そんなに吃驚されると俺傷付くよ」 全然傷付いてなさそうな表情でクスクス笑った巽君は、先程買い物をした向かいの魚屋さんのおじさんが飛び出て来て「何だと、純也に女?!」と大声で言った事に更に声を出して笑った。少し先に見えるお花屋さんらしい女性も「え、巽ちゃんが?」と顔を出している。あっと言う間に人に囲まれ、期待されている“彼女”でも何でもない私は肩身が狭く「いえ、そんなんじゃ」と言うだけで精一杯だった。 「丁度いいや。彼女は千堂紗希さん。今日から俺のとこで生活してもらうからさ。みんな宜しくね」 巽君がそう言うと、あちこちから戸惑いの声が耳に届いた。犬猫を拾ってきたような気安さで報告されても、そりゃ反応に困るだろう。魚屋の声が大きい男性が「純也、その千堂さんはどこで知った人なんだ?」と訝し気に私を見ている。あ、さっき泣いてから鏡を見てない。化粧崩れてたら酷い顔になってるのかも。そんな心配を余所に、巽君はチラッと私を見た後…「彼女、酷い相手から逃げ出して来たんだよ。帰る場所、ここでもいいでしょ?」と子犬のような顔で商店街の皆を見回した。巽君の言い方だと何だかDV男から逃げて来たような言い方に聞こえるかも。私がそう思ったのと同じように、周りの方もそう思ったらしかった。魚屋さんなんか憤慨して、 「千堂さん、嫌な場所に無理に帰る必要はねぇ! 純也とどういう仲なのか今は聞かねぇでおくから、ここが地元だと思って頼ってくれよ!」 と肩をガシリと掴まれて熱い言葉をくれた。仲を聞かれても、ついさっき知り合って泣き顔見られたぐらいの関係なのだけど。精肉店の女性も、総菜屋の女性も、お花屋さんも。皆同情的な目で見てくれている。今までこんな人情的な人々に会ったことが無かった。どんな目に遭ったのか、なんて詳しく聞かなくても信じてくれている。まぁそれは巽君の人柄のお陰なんだろうけど。私は胸が温かくなり、小さく「ありがとうございます」と言った。 「じゃあ今日からは二人分のご飯なのね。千堂さん。純ちゃんは良い子だけど、ご飯食べるのも面倒臭がる所があるから見張ってあげててね。売り物じゃないけど、うちの作り置きのおかずも持って行きなさい。ね?」 総菜屋の女性が一度店に戻り、少ししてまた戻って来た。腕にはタッパーが三つ程あり、それも袋に一緒に入れてくれた。巽君は袋を覗き込んで「うわぁ、高野さんのきんぴら美味しいんだよね。紗希、ラッキーだよ」と言って袋を持ったまま先を歩いて行ってしまう。私は一拍置いて手伝うはずだった荷物持ちがまた巽君に戻った事に気付き、慌ててその後を追おうとした。 「ねぇ、千堂さん。純ちゃん宜しくね」 「え…は、はい?」 「あの子人当たりは凄くいいけど、深くまで近付けさせないの。純ちゃんがあんなに人を構ってるの珍しいわ」 「そう、なんですか」 分かるような、意外なような。私の心にはするっと入って来たから、距離感の無いタイプの人かと思っていたのに。顔に出ていたのか、総菜屋の女性は高らかに笑った。 「難しく考えないでいいからね。ただ仲良くして欲しいってだけなの」 「分かりました。…巽君、地元の方に愛されているんですね」 私の言葉に女性は「あー…」と呟いた後、 「私の口から言う話じゃないから、詳しくはいずれあの子から聞いてね。ただあの子は地元の子じゃないのよ。お姉さんみたいにある日ふらっとこの町に流れ着いて、住み着いて、結果愛されているのよ。あの子人の顔とか名前憶えるの得意だからねぇ。美男子だし、愛想は良いし、年寄りには可愛くって仕方ないの」 年寄りというにはまだまだ綺麗な総菜屋さんは、そう笑った。私も頷いて応えると、先でこちらを振り返って待っている巽君を今度こそ追いかけた。 「…巽くんっ」 「おかえり。高野さんと内緒話?」 「そ、女同士の秘密の話」 荷物に腕を伸ばしても渡してくれなかったので、仕方なしに一緒に袋を持つ事にした。いつの間にか夕暮れになっている。私は巽君と影を寄せ合いながら、彼の言う“秘密基地”を目指した。 ◇◇◇ 「さ、ここが秘密基地だよ」 「お邪魔します…」 巽君が入って行った平屋の家屋に靴を脱いで入ると、鼻一杯に木と畳の香りがした。玄関を通って右手に台所と繋がった居間があり、廊下を挟んで反対側にはトイレや浴室があるみたいだった。玄関には他に靴は無かったし、人の気配もない。彼は一人でここに住んでいるみたいだ。チラチラと部屋を眺めつつ、それらを通り抜けて一番奥の部屋に向かう巽君についていく。 「普段は俺、この部屋か海にいるから」 彼が引き戸を開けると、その部屋には沢山の物が溢れていた。部屋の中心にはイーゼルと書きかけのキャンバスが置かれているし、壁には海を撮った写真が一面に貼られている。シンセサイザーやパソコンも置かれているし、一目で彼が芸術的で多才な人物なんだと理解出来た。彼の“秘密基地”は、とても大切な場所なのだろうと、部屋中から感じる事が出来る。 「本当に私を連れて来て良かったの…?」 総菜屋の高野さん?はあまり人を近寄らせないって言っていたのに。可哀想って同情だけで踏み込ませてもらっていい場所じゃ、きっとない。 「紗希。ねぇ紗希」 「…?」 「紗希は特別。それに…」 「それに…?」 巽君に手を握られ、そのまま浴室まで連れて行かれる。思わずドキッとしてしまったのは不覚だったけれど。すぐに彼がここに連れて来た理由が分かった気がした。 「俺、家事苦手でさ。…助けて?」 舌を出したあざとい表情で首を傾げて見せた彼は、洗面所いっぱいに散らかっている洗濯物を指差しながらそう言った。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!