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第10話 魂の乱舞
開演はオンタイムで始められた。満員の観客を前にオープニングアクトを務めるのは、翔吾だ。長方形の箱型をした一般的なコンサートホールの場合、客電が落ちると、縦長に広がる客席の奥行きは、真っ黒な闇にしか見えない。だから、ホールの大きさを意識しながら歌うことは滅多にない。
だが、武道館は違う。ステージを四方八方から囲繞する客席は、蒼黒な大瀧となって、まるで演者を飲み込むかのような状景を織りなす。そこで歌うエクスタシーは、昂揚を通り過ぎて、もはや「無」の境地へと誘う。
今、三百六十度方向からの全視線を浴びながら、レイジャーズのカバーソング「NEVER」を歌っている翔吾は、あたかも宇宙に輝く星辰へ向けてメッセージを届けるかのように、雄々しく快然とした気分を味わっていた。翔吾のファンでもない客が、「威張ってんじゃねーよ」「命令するんじゃねーよ」という歌詞を一緒に歌っている。翔吾のスピリットに共鳴してくれているのだ。
かつての翔吾の歌は、音程とリズムを逸らさないようにと、技巧的な唱法を第一義にしていた。それが結果的にはメッセージ性の少ない無個性な歌唱となり、延いてはアーティストとしての主張が希薄だったゆえに、ファンの熱が冷めていったのだと、今にしてはそう思う。しかし、歌詞の精神世界に自己陶酔し、それを観客に愬えることこそが一番大事なのだと、丈司との僥倖が開悟させてくれた。音楽産業の歯車だった自分から、自己表現者への脱皮だ、と歌いながらに翔吾は思惟した。
曲が後奏の展開に入ると、観客の大きな声援が耳に届いてきた。初っ端の盛り上げ役としての大任は果たせたようだ。曲が終わると、翔吾は掌を高く掲げて声援に応えながら、そのままステージ袖へと退いたが、熱い歓声は止まないままだった。自分への直接的な声援なのか、カバーソングを通じた丈司への間接的な喝采なのか、それは分からないが、観客が満足している様子が覗えたのは会心だった。
本日出演のボーカリストは、丈司を含めて総勢十五名であった。人数と時間の都合上、一人一曲ないし二曲の歌唱だ。オープニング一曲を歌い終えた翔吾は、アリーナ席にある関係者席で他の出演者を観ることにした。コンサート終盤に行われる出演者全員による「蛍の光」ロックバージョンを歌うまでは翔吾の出番はない。その大団円の後に丈司が登壇して、終幕予定となっている。
順次登壇した出演者からは、レイジャーズを篤実にリスペクトした熱唱が伝わってきた。上手い下手は関係ない。リスペクトしている熱誠をそのままストレートに歌っているだけのシンプルな歌唱なのだが、それゆえ真率で廉直なメッセージ性を帯びた謳歌として聴こえてきた。カバーソングなのだが、みんな各々の個性をそのまま表現している。個がしっかりしているから、どんなジャンルの歌を唄っても、その個は揺るぎない。それがビッグネームたる存在まで昇達し得る唯一無二の賜物なのだろう。
ステージ進行は予定通りに進み、いよいよ「蛍の光」ロックバージョンを、丈司以外の全員で合唱する演目となった。演奏はレイジャーズだ。いい意味で荒っぽいバンドサウンドは、野外でも武道館でも一貫としている。ギターの激しいロックリフは、総立ちの観客を狂熱の世界へとグルーヴさせている。それは蛍祭りで観たライブ絵巻と同じ昂奮度だ。武道館での客席の配列は、さすがにモッシュ状態にはならないが、会場内の温度は上がり、酸素量が少なくなっているのが判った。
歌は、香盤通りに各ボーカリストが単独で順番に唄い、最後のサビを全員で合唱して、大団円のエンディングを迎えた。曲の仕舞に向って、ドラムロールは回転を速め、ギターとベースは打楽器のように弦を掻き鳴らし、全体の音量もどんどん大きくなっていった。歓声は一段と大きくなり、観客も出演者のテンションも、天まで突き抜けそうなほど発揚している。その最高潮の気勢とともに、バンドは最後のキメフレーズを爆弾投下のように弾奏して楽曲を締めくくった。
会場内は最高限の歓声に包まれている。と突然、会場内の照明も非常灯も、すべての光源が一気に消え失せた。目の前は真っ暗だ。これから先の演出は、武永からは聞いていない。「演奏が終わったらすぐにステージから退け」と言われただけだった。
今までステージライトに照らされていた瞳孔は、天地も分からないほどに唐突な暗転に対応できなかったが、進路を示した蓄光テープを頼りに、なんとかステージ袖まで移動することができた。
袖に退去した出演者全員は、そこから丈司登壇のフィナーレを見守ろうとしている。ドラム演奏を終えたばかりの福田を見つけた翔吾は、隣りまで近づいていった。お互いに顔を見合わせて、「お疲れさま」と口だけを動かした。
(どんな演出が始まるのだろう)
すでに本日のミッションを終えた翔吾は、観客と同じような期待感でステージを注視した―が、相変わらず暗転したまま、舞台進行は停まったままだ。暗闇の中で観客のさざめきが大きくなってくる。と同時に、それを打ち消すかのように、会場の外からバイクの轟きが聞こえてきた。地面を響振させる重くて太いマフラー音は、ハーレーに違いない。それも一台や二台ではない。数十台ほどのハーレーがスロットルを空噴かせて交響させている。
やがて、会場を迫撃するかのように、それらの唸りが段々と大きくなってきた。ゆっくりと距離が詰まってくる。近い。エンジン音は空気をも共振させてきた。会場手前まで到達したようだ。すると徐に、アリーナ席の後方扉が開かれるや、隊列をなしたハーレーがスモールライトを点けながら暗闇の会場内へと低速で入ってきた。
観客席を中央に挟んだ状態で、左右に各十台以上のハーレーがステージ方向に対して縦列駐車し始める。最後のハーレーが停止した時、それを相図として、ハーレー集団はライトをハイビームに転じた。すべてのライトの焦点は、ステージ中央へと向けられている。
光に浮かび上がったのは、丈司だった。ハーレーに跨っている。クールでニヒリスティックな佇まいと、炯々とした眼光は、いつもと同じだ。ジャックダニエルのボトルから褐色の液体を喉に流し込んでいる。それも、いつもと変わりない。「蛍の光」アコースティックバージョンのイントロが流れてきた。レイジャーズのギターが、ステージ袖で奏でている。武道館は今、丈司の独壇場となった。会場内の全ての人が、丈司の歌を粛然と静黙して聴き入った。
久しき友よ 変らぬ笑顔
尽きぬ話は 酒とともに
再び会えば 蘇える
遠い過去も 昨日のよう
一番歌詞が終わり、間奏が始まると、ハーレーからの照明が一斉に消えた。一瞬にして暗転した会場内には、再び漆黒の世界が広がった。そのタイミングを図っていたように、隣りに立っていた福田は、ステージ間際まで近寄って、そこに置いてあった大きな箱の蓋を開け始めた。
すると箱からは、数えきれないほどの薄黄緑色の微光が翔び出してきた。蛍の乱舞だ。高く低く、右へ左へと、縦横無尽に個々の明滅曲線を描きながら、大きな空間を粧飾している。あえかにも小さな光には、命の万有が漲っている。求愛の光が新たな命を育む迎え火となって、種は連鎖していく。命の逓送は永遠だ。
福田が「この日のために成虫するように日長を調整して養殖していた」と教えてくれた。どんな照明よりもロマンチックでメルヘンチックな蛍の光の雅趣は、天から丈司を迎えに来たような崇高な神々しさだ。
笑って泣いた 青春の日
約束もせずに 別れても
あの頃の日々は 懐かしく
流れた季節は 明日のため
蛍の渺乎たる焔は耽美的な情緒を演出し、いつもよりゆっくりと歌い、ゆっくりと演奏された「蛍の光」は、別れの歌じゃなくて、再会を期待する感謝の情趣をより醸し出した。
丈司と出会ってから一年足らずのうちに、音楽に対する諦観は一掃し、新たな情念を芽ばえさせてくれた。丈司には感謝以上の言葉は見つからない。音楽スピリットは、気脈となって延々と次世代へ承継していく。それは哲学的にロジカルなことではなく、素の自分を体現するエモーショナリズムだ。「NEVER」の歌詞にある「素直に生きてるだけ」の自分を顕していくことが丈司への表敬となろう。
「気持ち良かった」それが丈司の武道館公演直後の言葉だった。いつもの簡潔な言葉だったが、丈司の風采からは恭悦した万感が滲み出ていた。飛瀑のごとく垂直し、城壁のごとく立ちはだかる武道館の客席を、丈司はどのような想いで見ていたのだろうか。丈司の胸臆は分からないが、会場全体の空気感を丈司が掻っ攫っていったことには間違いない。
武道館公演から一ヵ月後、丈司は六月の蛍祭りを待たずに永逝した。公演の翌日から精魂尽き果てたように睡る日々が続き、モルヒネ投与による昏睡した常態のままに安らかに旅立ったそうだ。
丈司のバーは、すでに常連客に渡っていた所有権を、翔吾が貯金を叩いて居抜きのままで買い取ることができた。数千枚のアナログレコード盤の価値を含めると、割安な譲渡金だった。夜からの開店時間にレコードを順番に掛けていったとして、全部を聴き終わるまでに、一年以上は余裕で超えるほどの在庫枚数だ。
翔吾は、毎日バーを開店させ、自ら店に立った。気持ちは丈司と一緒で、接客しているというより、好きなレコードを私淑として楽しんだ。六十年代から七十年代を中心に集められたレコード盤からは、それぞれのアーティストの心魂が吹き込まれている。今となってはそれも丈司からの言霊となって聴こえてくる。
五月に入ると、翔吾はバーの開店前に、駅前での路上ライブを日課にしていた。湿気の少ない夏日が続くこの時期の東京は、心地良い夕暮れ時を迎える日が多く、その天気が幸いしてか、当てもない通行人がしばし足を休めて聴いてくれた。
発表する媒体がCDであろうが、駅前の路上ライブであろうが、自分を主張していることには変わりない。抜本的に必要なのは、無碍の境地に立って自分の信念と情熱を謳うことだ。丈司の思念を遵従すればするほど、欲は超克され、脳裏には己の歌詞世界が色硝子となって拡がっていった。
(了)
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