第4話 原点を知る

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第4話 原点を知る

 昔年を回顧すると、目の前で繰り広げられているステージが急に滲んで見えてきた。感動の坩堝を創りあげているバンドを見ていると、急に今の自分が矮小な存在に思えてくる。  音楽は、「売れる売れない」という評価ではない。もちろん売上を築くことは商業的には大事なことだと分かっている。だけど、音楽アーティストという生き様を選んだ人生ならば、自分が納得する曲で自らを表現すべきなのだ。これをさせてもらえなかった、いや「したい」という意志表示もしないままに、ただ単に契約期間内に契約枚数通りの曲を発表していただけの自分だったのだ。  それに対して、自らの意志をストレートに主張している彼を見ていると、今までの自分が漱がれていく思いがした。中学生の時に初めて洋楽ロックを聞いて感動したあの頃の純粋な自分が、プロミュージシャンのカッコ良さに単純に憧れていたあの頃の無垢な自分が、今蘇ってくる。  夜の帳が落ちた空は、濃紫色を深めていた。それに伴って、舞台照明はステージ上の演者をより一層映えさせている。会場の熱気は絶頂だ。ステージ前の輩どもは、さらにヒートアップし、観客の頭上を泳ぐように身を委ねてクラウドサーフしている者、ステージ上に乗ってそこから群衆へ飛び込むモッシュダイブする者など、もはや騒乱状態だ。歓声は、ひと際大きな哮り声となって夜空にこだましている。  6曲目の演奏を終えた時、彼は「ラストソングだ」とコールした。あっという間のクライマックスだ。が、頭の中が酸欠で狂酔―トリップ状態にある観客の顔は、十分満足し切った表情をしている。音楽活動の原点を再確認させてくれたレイジャーズと観客に、翔吾は感謝した。  ラストの演奏が終わったステージは、すぐに照明が落ち、会場内は紺青の闇に包まれた。宇宙の果てまで意識を飛ばしてしまったような思考回路になった輩どもは、しばし酸素を補給すると、快復させたエネルギーを振り絞って「アンコール」を要求し始めた。しかし、そのコールは翔吾が今までに聞いたこともない怒声だった。 「出て来い!」「それだけか?」「もっと演れ!」  と、まるでリングから姿を消した格闘家を呼びつけるような強硬的かつ好戦的な督促を、観客はレイジャーズに突きつけている。ショーイズム化した昨今のコンサートは、予めアンコールも演目に組み込まれて舞台進行されている。  ところが、そんな予定調和のステージ構成とは全く異なる殺伐とした空間がここにある。「良かったからもう一度聴きたいんだ」「だからもっとやれ」という観客の本音コールがここにある。やがてステージ中央に、スポットライトが点燈した。帯になった一条の光の中に、人影が表れる。彼だ。ギターを抱えている。 (独りで歌うのだろうか) 「蛍の光」と彼は言い、持ってきたジャックダニエルに口をつけた。  ボトルを脇へ置き、アルペジオを奏でながら、彼は語り始めた。 「今日は蛍祭りだ。だから、蛍の光を歌ってやる。だが、おまえらが知っている蛍の光じゃねえぜ。もともとはスコットランド民謡だ。日本では、明治時代、兵隊を送り出す壮行歌として歌詞を変えられたのが、そのまま今も歌われている。原曲は、懐かしい友と酒を酌み交す喜びの歌だ。今日は、その原曲に、俺がオリジナルの歌詞をつけた。聴いてくれ」  彼は、再び褐色の液体を喉に流し込み、一呼吸おいた後に、歌い始めた。   久しき友よ  変らぬ笑顔   尽きぬ話は  酒とともに   再び会えば  蘇える   遠い過去も  昨日のよう   笑って泣いた 青春の日   約束もせずに 別れても   あの頃の日々は 懐かしく   流れた季節は 明日のため  空気が変わった。激流となっていた先ほどまでの会場の空気は、彼の歌によって、ゆったりと柔らかな空気へと変わっていった。さっきまで肺が裏返しになるほど叫んでいた従僕たちは、メロディーに口を合わせてハーモニーしている。彼の歌唱は垂訓となって、翔吾の心に染み入ってきた。  二番を歌い終えた彼のギターからは、メロディーをリフレインした後奏アルペジオが鳴り渡ってきた。 (これで終幕か。いいライブだった)  ―と思いきや、突如、静粛な空気の分子を蹴散らすような金属音が、耳を急襲した。ドラムのハイハットがワン、ツー、スリーとカウントを刻み始めるや、ギターとベースが電気的大音量の爆音を作り上げる。 「蛍の光、ロックバージョン」  と彼がMCするや、羊のように従属していた観客は一気に野獣へと蘇生し、清流だった会場の情緒は激烈な濁流へと後戻りしていった。  激しい、とにかく激しい。これがロックの神髄だ、というのを見せられた。翔吾の世代にとってロックは、いわばファッションになっていた。お洒落な服を着て、お洒落な髪型をして、流行りのアクセサリーを身に纏うことに憧れていただけの見てくれ重視のロックスタイルだ。  上っ面だけのロックで、中身はまったく普通の学生として、学校もきちんと通ったし、宿題もテスト勉強もちゃんと忘れずにやっていた。レイジャーズの世代は、世の中に対する反逆心が半端ないのは知っていた。バンドをやっていれば、すなわち不良と呼ばれた世代だ。それに比べて、翔吾の世代は、親がバンド活動を応援してくれた世代だ。  だから、翔吾が中学時代に「ギターを弾きたい」と親に言ったところ、クリスマスプレゼントとしてギターを買ってくれたし、しかも最初からギブソンのレスポールという高価なエレキギターを買ってくれたのだ。まったくの過保護ぶりだけど、大学の軽音部でそんな話をすると、ほとんどが同じような過保護ロッカーだった。そんな甘やかされた似非ロッカーにロックスピリットが根差すわけがない。  磨かれてきたのはロックファッションのセンスだけだ。彼のように、骨の髄から醸し出されるロックスピリットは、生き方そのものがロックじゃないと生まれてこない。ロックな生き方を聞いてみたい。福田そして彼と、もっと話がしたくなった。  アンコールの「蛍の光」ロックバージョンは、曲締めとなるエンディングロールへと突入し始めた。ドラムは怒涛のフィルインを叩打し、ベースは弦を大きく強く掻き鳴らし、ギターはトップスピードでコードカッティングしている。激しいビートの渦巻きの中、彼は最後まで客を煽り続け、ハーレーに跨って会場を後にしていった。クロージングアクトとして無欠なパフォーミングを魅せた。  実のところ、今日の最終便で帰京する予定だった翔吾は、すでに空港へ向かっている時刻であった。だが、ミュージシャンとしてのこれからの生き方に対して、ハンマーで殴られたように感化された翔吾は、乗り遅れた航空券のことなど、もうどうでもよくなっていた。交通費や宿泊費をちまちま計算して、遣り繰りを考えていたような自分のセコいミュージシャン生活が、急に卑小なものに思えてきた。 (明日は明日の風、未来のことなど、どーでもいいや)  と、翔吾は決して厭世的な気持ちではなく、むしろ楽天的に寛裕な気持ちに転じている自分に気づいた。  今日のイベントを全て終えた公園は、露店の営業も終わり、提灯の灯りも消えていった。蛍観賞のため、建物からの灯りだけでなく、常夜燈も消えている。人の波は、蛍が飛翔する川端へと向かっているようだ。  急に閑散としてきた公園を尻目に、翔吾は荷物を取りに蛍館の楽屋まで戻ることにした。足元灯だけになった館内をゆっくり歩いて、事務室へ立ち寄ってみると、真暗な空間に揺らめく蝋燭の炎の存在に気づいた。 (誰かいる)  と事務室へ足を踏み入れると、ソファには大股を広げて寛いでいる福田がいた。ビールを飲みながら、ドラミングした身体を癒しているのだろう。 「お疲れさまでした。バンド、素晴らしかったです」  と、翔吾はその感動を真っ先に伝えた。 「最後まで見てくれたのか。ありがとな」  蝋燭が照り返す福田のスキンヘッドは、間接照明となって隣りに座っている人をも薄明りとなって浮かび上がらせていた。 (彼だ!)  彼が座っていたのだ。ステージ照明とは違った原始的な蝋燭の炎は、彼の顔をいっそう堀深く鋭利に反照していた。顔の造りからして、生まれながらにしてロッカーだ、と翔吾は感銘した。 「ライブ、歌、ハーレー……、全てカッコ良かったです。あ、俺、空港で荷物を間違えそうになって、すみませんでした」  と不意に彼を前にして、緊張した翔吾の口からは、逆の時系列で雑な文法の言葉が思わず飛び出ていった。自己紹介を終えた翔吾に対して、彼は「よろしく」とステージにいる時と変わらない佇まいで、クールな語調でニヒリスティックな表情のまま挨拶してくれた。 「まあ、飲めよ」  と昼の好々爺顔に戻った福田がビールを勧めてくれた。ミュージシャンの大先輩と分かった今、感動している手が小刻みに震えているのを覚えたが、時間を置かず、適度なアルコールが翔吾の緊張を解してくれた。  レイジャーズは、福田と彼―倉田丈司が、中学の同級生を集めて作ったバンドだそうだ。年齢は翔吾の父親と同じ世代だった。当時の福岡は、人気ロックバンドが群雄割拠していて、どのライブハウスも盛況で、そこからメジャーデビューしていくバンドが続出していた。  プロを目指していたレイジャーズは、高校卒業後も北九州と博多を拠点にライブ活動を続けていた。そしてメジャーデビューと同時に東京へ引越したが、契約期間内でブレイクすることができず、バンドはそのまま解散。その後、丈司は東京で音楽活動を続けたが、福田は北九州に帰って親の仕事―農業を継いでいた。  その田畑と川を整備していると、蛍が自然繁殖するようになり、それがきっかけで蛍を養殖する蛍館が設立されたそうだ。その流れで、福田は蛍館の館長に就任し、地域振興として蛍祭りを開催する実行委員会の会長も務める、地元では名士と呼ばれる存在だったのだ。  自然復興と音楽振興を旗印にした蛍祭りのために、レイジャーズはこの日のためだけに再結成して出演しているとのこと。今日は年に一回しか見られない彼らのライブだったというわけだ。レイジャーズがネット検索でも引っ掛かってこないのは、発売した音源はすべてアナログ盤だったため、現在はCD化も配信化もされておらず、しかもパソコンが得意なメンバーがいないので、ネットで情報を流すこともしていないそうだ。  ちなみに、レイジャーズというバンド名は「どんちゃん騒いで暴れる人」という意味らしい。レイジャーズとそのファンはまさにその名の通りだったわけだ。  世代を超えて、ミュージシャン仲間として歓待してくれた福田と丈司は、今日が初対面だというのに、色んな話をしてくれた。音楽という共通項は、年齢差という障壁を簡単に崩してくれた。  一時間ほど話し込んだだろうか。ほろ酔い加減になったところで、建物の外がざわついてきたことに、翔吾は気づいた。  福田もそれに気づいたらしく、「そろそろだな」と腕時計を見ながら言った。 「何でしょうか」と質問する翔吾に、福田は応えて、 「蛍の飛行タイムだ。蛍は毎日決まった時間に飛び立つんだ」 「決まった時間にですか」 「そうだ。不思議だろ? 成虫になる時期も毎年決まっているんだ。蛍は、温度で開花する桜とは違って、日の長さを体内時計にして成長しているんだ。この辺の蛍は、夜9時に一気に飛び始める。今がその時間だ」 「なぜ一斉に飛び始めるんでしょうか」 「尻を光らせて飛んでるのはオスだ。オレの光の方が綺麗だろ、ってメスにアピールして飛んでいるんだな。オスのプロポーズ合戦の時間ってわけだ」  ロック魂という精神論だけじゃなく、蛍の光の生物学的知識まで学んだ翔吾は、まだまだ勉強しなくてはいけないこと、経験を重ねるべきことが多いと痛感した。大学在学中にヒット歌手となり、その後は鳴かず飛ばず。再び這い上がってやろうという野心は消え失せ、どこか諦めや退嬰的な気持ちのままに生きてきてしまった。  これからの自分に何ができるだろう、いや、何か目標を定めて自分を高めていかなくては、と目から鱗が落ちた一日となった。 (つづく)
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