第5話 売れる音楽とは

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第5話 売れる音楽とは

 乱舞する蛍の光を見に、翔吾は外へ出た。蛍の光を観賞できるほどの自然界の夜は、東京に住んでいては想像もできないほどに、目の前は漆黒の闇だ。月は地平線に沈み、天空には星明りしか存在していない。蛍の光を損なわないように、無駄な人工灯は一切点灯していない。観賞する人々も、電子機器をオフにして蛍狩りに臨んでいる。  闇の中で僅かに浮かび上がる人々の服色を頼りに歩を進めていくと、せせらぎ音とともに、川面にたゆとう水の微光が見えてきた。そして、黄色がかった薄い緑色をした些細な光が舞い始めていることに気づく。蛍の光だ。次第にその数は増え、数百個以上、いや数えきれないほどの光が、其々に思い思いの曲線を描いて乱舞している。  小さいが精強な生命の力強さがそこにある。遠くで蛙が合唱隊となって謡い始めた。蛙と川の音が伴奏者となって、蛍を闇夜の主役へと引き立てている。自然界の光と音が織りなす協奏曲は、翔吾の万感を刺激した。「音」とは神からのお告げを表わす漢字、「門」とは神棚の扉を表わす漢字だ。  神からのお告げがある時間帯は夜なので、二つの漢字を合わせて「闇」と書く。だから、その闇の中を舞う蛍の光は、神々しい命のお告げなのだ。蛍の成虫の寿命は長くても二週間。命ある限り舞い続ける刹那の煌めきだ。  もっと歌いたい、もっと奏でたい、レイジャーズと同じステージにもう一度立ちたい―急に欲が出てきた翔吾は、事務室へ戻ると、「来年も呼んでいただけますか」と福田へ打診した。「レイジャーズのライブと、蛍の光を見て、開眼しました。来年までに、もっと自分を成長させて、一人でも多くの観客を感動させてみたいんです」 「そうか、期待しているよ」と福田は破顔一笑に快諾してくれた。 「ありがとうございます」すぐさま謝意を述べた翔吾は、「ステージで歌った蛍の光、すごく感動しました。厚かましいお願いかもしれませんが、来年、二番いや三番歌詞からでも良いので、一緒にステージで歌わさせてもらえませんでしょうか」と共演を打診してみた。 「…………」  福田からもジョージからも返事はなかった。返事の代わりに、福田は翔吾の顔をじっと見つめながら困ったような表情をしている。丈司は壁を見つめたまま無言のままだった。その間、わずかほんの数秒だっただろうか。しかし翔吾は、自分を包む空気が凍りついたように感じた。大先輩に向って、自分から共演を願い出るなんて不躾で厚顔なお願いをしてしまったことを恥じ、詫びの言葉を選らんでいると、丈司が口を開いた。 「来年は出ない」 「え、どうしてですか?」 「体力の限界だ」 「まだまだ若いじゃないですか。今日だって、ファンに負けないパワーでした。。来年還暦のうちの親父とは大違いで」と、そこまで翔吾が言うと、遮るように、 「癌なんだ」と丈司がポツリと言った。 「…………」かえす言葉を失うとは、まさにこのことだった。 「一年は、もたない」  丈司の言葉は、重たい音波となって、翔吾の心を膜鳴した。視界は色褪せたセピア色に変わり、揺らめく蝋燭の炎は、儚い命の燈火を表わしているようだった。  梅雨入りした東京の空は、いつもより低かった。溢れんばかりの水蒸気を含んだ雲が高層ビルを翳めているが、雨はまだ降っていない。青山界隈を見下ろすビルにあるクイーンズミュージック―レイジャーズが所属していたレコード会社―の会議室で、翔吾は人を待っていた。クイーンズミュージックには、軽音部時代の先輩が勤めている。 「久しぶり。元気だったか」  と遅れて入室してきた横山は、大学時代と変わらない気さくな笑顔で翔吾を迎えてくれた。実績重視の人事評価をする外資系レコード会社は、若くして要職に就く人は珍しくない。横山もその一人で、翔吾より二歳しか違わないのに、肩書はすでに執行役制作部長だ。レコード会社の制作部は、アーティストの発掘育成と契約交渉、さらに発売計画と音源制作を司る、いわばレコード会社の中枢部門だ。 「あれから鳴かず飛ばずですが」 「プロで十年も続けているんだから、大したもんだよ」 「今じゃ地方営業ばかりですけど」 「CDが売れなくなったからなあ。今の音楽産業は、物販が売上の主体になってきたし、歌唱営業で稼げるだけマシだよ。レコード会社も大変な時代だ」  音楽志向が同じだった横山とは、大学時代はよく一緒にライブを見にいったし、酒もよく飲んだ。本音を語り合える数少ない先輩だ。 「で、廃盤のレイジャーズのアルバムを復刻できないかって?」  横山にはメールで事の経緯を伝えてあった。あの白熱したライブを見せるバンドの音源を眠らせたままにしたくなかったからだ。 「はい、是非CDで再発売できないかと思いまして」 「実は、下調べをして、検討はしておいた」 「本当ですか? で、いかがでしょうか?」 「まず、その前に、レイジャーズと翔吾は、どういう関係なんだ? CDを出すと翔吾にもメリットが……つまり、印税が回ってくるとか?」 「いえ、そういうビジネスの話ではありません」 「じゃ、なぜCD化を希望するんだ?」 「僕にとっては、諦めかけていた音楽への情熱をもう一度蘇らせてくれた存在です。それに、今現在の人気ロックバンドでも影響を受けたミュージシャンもかなりいますし、日本のロックの歴史を語る上では必須のバンドだと思うんです」 「歴史を語るのは出版社の仕事で、レコード会社の仕事じゃないぞ」  話の雲行きが怪しくなってきた。 「レコード会社こそ、文化としての音をちゃんと残していくべきだと思うのですが……」 「レイジャーズは、音楽性においてはカリスマ的地位を築いた―という文化的な精神論は認めるよ。影響を与えたロックバンドの系譜は、今もって素晴らしい。だけど、肝心のレイジャーズのアルバム売上は、一万枚も売れなかったんだ。うちの営業部が販売計画を見積もったところ、CD化をしても数百枚程度しか売れないだろう―という見解なんだ」 「数百枚じゃ、CD化はできないんですか?」 「厳しい。うちはメジャーレコード会社だ。人件費や流通コストを考えると、数百枚レベルの商売はできない」  来た時は、はっきりしない天気だったが、帰る時は小雨が降っていた。梅雨入りした東京の湿気と横山の言葉は、翔吾の不快指数を上げていた。  解散してから三十年以上も経過したレイジャーズの購買層、年に一回しかライブをしていない、プロで活動を続けているメンバーが一人もいない―などをCD化できない理由として、横山は列挙した。あとの細かいことは憶えていないが、感心したのは、横山のマーケットデータを重視した事業計画の考え方だった。   コンサート動員数やグッズ売上などから市場規模を算出し、投資した資金でどれだけ利益を生めるかという、数値データを根拠にした損益分岐を重視するアーティスト戦略だったからだ。だからこそ、利益重視の外資系レコード会社で、出世が早かったのであろう。  お互いに大好きなアーティストについて、一晩中飲みながら熱く語りあった大学時代の横山は、もうそこにはいなかった。企業は売上が一番大切だということは、翔吾にも理解できる。しかし、感動が詰まった音楽をCDという商品にして、それを商売にしていくのがレコード会社の第一使命ではなかろうか、と冷めた評論家のような業界人になってしまった横山に対して、憂念とも寂しさとも、憤りとも口惜しさともつかぬ、いやそれらが混濁された感情が、翔吾の心を掻き回した。  そぼふる雨の青山通りは、東京の中心部を行きかう車で渋滞していた。銀杏並木の向こうには、しぐれた絵画館が浮かぶようにぼんやりと鎮座している。都心部の中では比較的緑が多いこのエリアは、オープンカフェで疑似森林浴を楽しめるが、やはり北九州の夜に体験した本物の緑の香りには遥かに及ばない。  その夜、翔吾は丈司が営んでいるバーへ足を運んだ。  開口一番、丈司は「だろうな」と淡々とした低いトーンの声で、意気も消沈していない平生な表情で、そう言った。  開店前のバーには、翔吾と丈司の二人しかいない。中野駅北口には、昭和三十年代にタイムスリップしたような飲み屋街が翕然と残っていて、中古レコード店やアニメ専門店など、マニアックな店舗が密度を濃くして軒を連ねる袋小路がある。  その一角に、丈司の店はあった。カウンター5席、4人掛けテーブル席2つだけの狭隘な客席だが、壁は往年のロックミュージシャンのポスターで埋め尽くされ、リクエストで好きなアナログレコード盤をかけてくれる。音楽好きには堪らない店づくりだ。「音楽活動だけでは食っていけない」と丈司がレイジャーズ解散後の三十年前、日銭稼ぎのために開店させたらしい。 「力及ばず、すみません」  と、翔吾は悔しい気持ちを吐露した。余命が限られている丈司の魂を、後世へ遺したい。その想いただ一つだった。だが、知り合いがいるからと、半ば楽観的にCD化は実現できるだろうと思い込んでいた翔吾は、浅はかな自分の不甲斐なさを嫌悪した。 「そう落ち込むなよ。最近はオマケ付けたり、CDショップでライブやったり、色々と特典付きのCDじゃないと売れないからな」 「でも、民謡とか、そういう伝統音楽のCDはメジャーからも発売されているじゃないですか。なのに、ロックは文化的な評価はされないし、デジタル・アーカイブして資産化しようという企業スタンスもメジャーには感じられなかったのが残念です」  駆けつけ一杯のバーボンロックが潤滑油となって、翔吾の饒舌度は増していった。 「翔吾の気持ちは判るが、音楽業界にも『見えざる手』は存在しているんだ。君はまだ若いし、それを知らない」 「見えざる手? 何でしょう?」 「必要なものが必要なだけ作られて、そして売られていく市場原理だな」 「レイジャーズよりも民謡の方が売れる、ということでしょうか」 「そういうことだな」 「民謡よりもレイジャーズの方が売れる、と僕は思うんですけど」 「ところで、君は大学へ通っていたんだろ。教科書は何を使っていた?」 「それは教授が指定する専門書を主に使っていました」 「誰が書いた本だ?」 「それは教授が……」と言いかけたところで、翔吾は、はたと気づいて、「民謡の家元だと、お弟子さんの数は相当なもんでしょうね」 「ま、そういうことだな。演歌だって地道に営業して自分でCDを手売りしているし、一番儲からないジャンルがロックだな」  蛍祭りからまだ数週間が過ぎたばかりだが、丈司のロック魂と男気にすっかり薫染された翔吾は、数日に一回ほどのペースでバーを訪っていた。飲んだくれているわけではなく、あれ以来、もう一度飛躍することを目標に、新曲を作ったり詩を書いたり精力的に過ごしている。バーへ通うのは、丈司の生き様を知れば知るほど、翔吾の創造的インスパイアが満たされるからだ。一曲出来上がっては、次の創作へのエネルギー充填としてバーへ通っていた。  丈司には、アーティストとして一番大切な華がある。その華は魅惑的で、業界の酸いも甘いも経験してきた丈司の見識は、翔吾にとって訓示的でもだった。ファンを魅了する力は充分にあるし、歌唱力も演奏力も並のレベル以上だ。ではなぜレイジャーズはブレイクしないままメジャーシーンから姿を消したかというと、売れるためのシングル曲を創ることを拒んだからだそうだ。  例えば、CMタイアップのような十五秒の間で歌サビがドカーンと胸に突き刺さるようなインパクト重視の作曲方法を拒否していたし、音楽はチャートを争う運動会じゃねーよ、とアルバムしか発表しなかったらしい。アルバムこそがアーティスティックな表現手段としていたわけだ。翔吾の時代は、シングルを売って知名度を上げてからアルバムを売るという戦略が主流だった。 (つづく)
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