第7話 一歩ずつ

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第7話 一歩ずつ

 目黒の権之助坂下から見る七月の碧空には、真夏日を象徴する大きな入道雲がビルを圧し潰すように育っていた。まだ陽は落ちていないが、目黒川は白い雲を映すほどの清流は流れていない。それでも昔よりは汚泥臭が少なくなったので、水質はかなり改善されたのだろう。  その目黒川沿いにある大衆酒場で、翔吾は軽音部で同学年だった武永を待っていた。学生時代、コンサート会場で警備員のバイトをしていた武永は、バイト頭まで上り詰め、そのままコンサートプロモート会社に就職していた。  目黒で会う約束をしたのは、学生時代、目黒のライブハウスへ頻繁に見にきていたし、ライブ後はいつもこの大衆酒場で飲み明かしていたからだ。懐かしい仲間と懐かしい場所で会うのは心が和むし、夢ばかり語っていたあの頃のテンションで話をしたかったからだ。。  まだ六時前だというのに、会社帰りのサラリーマンでほとんと満席状態だ。みんな素晴らしく良い笑顔をしている。すごく楽しそうだ。 (きっと会社で溜めた鬱憤を解放しているのだろう)  と就職経験がない翔吾が彼らをチラ見しつつ邪推していると、やがて武永が足早に「お待たせ」と言いながら着席してきた。 「忙しそうだな」 「コンサートは夜の商売だからな」 「忙しいのに時間くれてありがとう」 「今日は俺の担当じゃないから大丈夫」と、武永は差し出されたおしぼりを顔に当てながら、「俺、大ナマ」とオーダーを言った。 「相変わらず、飲むね」 「飲まなきゃ、やってらんねーよ。アーティストなんて我儘の塊だからな。まあ、その我儘っていうのはアーティスティック表現と言い換えれば、それを叶えてあげるのも俺らの仕事ってわけだけど」  ドン、と音を立てて大ナマがテーブルに乗ってきた。カチン、と音をたてて翔吾と武永はジョッキを合わせた。 「我儘って、例えばどんな?」と翔吾が訊いた。 「演出への注文かな。例えば、会場を暗転する時に非常灯まで全部消せとか、火柱を上げたいとか」と武永が言った。 「それが我儘なの? 簡単にできそうだけど」 「いや、消防法でNGなんだ」 「でもそんな演出はよく見るけどな」 「裏方が苦労してんの。何枚も書類を書いてさ、昼間はお役所を回って頭下げて、そういう演出の許可をもらってんだ。基本的には、室内で大きな火柱は上げられないから、アイドルなのにサーカス団の公演ですって申請書を提出したり、色々と頭捻ってんだよ」  初耳だった。コンサートの展開をドラマチックにするために、照明や特効演出に注文をつけるのは当たり前だったし、裏でそんな苦労をしていたなんて知らなかった。  それからしばらくお互いの近況方向をし合った。二杯目の大ジョッキが武永の目の前に置かれると、 「ところで、相談したいことって?」と武永が訊いてきた。 「実現が難しいアーティストの我儘だと思うんだけど……」とその後を躊躇うように語尾を延ばした翔吾に対し、すぐさま「なんだよ」と武永が突っ込んできた。   反動的に「武道館ライブやりたい!」とちょっと大きめの声で翔吾が言うと、周りのテーブルがほんの一瞬だけ静かになってこちらを見てきた。数秒後にはまた政治の話やプロ野球の話などに戻っていったが、武永の眼は翔吾を見据えたままだった。 「翔吾のソロコンサートか?」と、武永は真剣に質問してきた。 「いや、俺じゃない。レイジャーズという三十年前に解散したバンドの最後のライブを武道館でやらせたいんだ」  レイジャーズを初めて見た蛍祭りでのライブの話、熱狂していたファンの話、丈司や福田の話をひと通りした。武永はさすがに音楽業界人だけあって、レイジャーズがカリスマ的存在のロックバンドだったことは熟知していた。翔吾がその想いを語り終えると、、武永は真面目な顔つきで、 「ドン・キホーテが風車に挑むような話だな」と言ってきた。 「まったくその通りだ。だけど……」と言いかけた翔吾を武永は遮って、 「ドン・キホーテは一人で戦ったから風車に跳ね飛ばされたんだ。束になってかかっていけば勝てたかもしれない」 「ということは?」 「不可能じゃないってことさ」  武永の眼の虹彩がぐっと引き締まって見えた。  晴れ渡る真昼の大気と、青山の銀杏並木で大合唱している蝉は、気象庁よりもひと足早く梅雨明け宣言をしているようだった。その外気温を遮断して少し肌寒く空調されたクイーンズミュージックの会議室では、翔吾と武永が横山を前にして座っていた。横山は、武永がビジネススキームとして纏めあげた「レイジャーズ・トリビュート企画書」に目を通している。  ―企画書の趣旨は、 「伝説的バンド・レイジャーズ」福岡を中心としたロックムーブメントの台風の目だった。 「カリスマ」ボーカル丈司のカリスマ性を崇拝するフォロワーバンドが多い。 「ビッグなフォロワー」影響を受けたビッグネームのアーティストが多く存在する。  ―事業計画の大綱は、 「アルバムCDの新譜発売」ビッグネームたちがレイジャーズのカバーソングを歌う。 「CD発売記念ライブ」カバーソングを歌ったアーティスト出演による日本武道館公演。  翔吾との打合せを重ねた武永が、ビジネスとして成立できるように立案した企画書だ。  横山が企画書の最後のページを一読するのを待って、翔吾は余命少ない丈司へのトリビュート企画であることを口頭で伝えた。  少しの間、横山は考え、翔吾と武永を見ながら、 「この企画はうちでやらせてもらえないか」と言ってきた。  破顔一笑、(やった!)と翔吾は心の中で叫んだ。横山と武永への感謝の念で目頭が熱くなってきた。  しかし横山は、「ただし」と付け加えてきた。「うちは外資系だ。高額な予算の決裁権は、アメリカ本社が握っている。日本では最終結論は出せないんだ。本社の稟議が通るように努力はするが、今のところ第一優先交渉権が欲しい、といったところだな。それが今日の答えだ」  まどろこしい言い方だが、要するに、この企画は俺は賛成するが本社に上程するだけの立場だ、と言いたいのだろう。これがサラリーマンという人種の物言いなのだろうか。急に、目黒の大衆酒場で盛り上がっていた会社員たちの鬱憤が理解できたような気がした。その企画をやりたければ、どうして「俺が責任をとってやる」と言わないのだろう。責任をとるということは、首を賭けるということなのだろうか。  つまりそこまでの情熱はない、ということなのだろうか。会社組織内での処世術を知らない翔吾にとっては、煮え切らない横山の対応は、いつまで経っても梅雨明けを明言しない気象庁のように思えた。  会議室を出た翔吾と武永は、エレベーターホールまで見送ってくれた横山に、「ご検討よろしくお願いします」とエレベーターの扉が閉まり切るまで深くお辞儀をした。  クイーンズミュージックを辞去した翔吾と武永は、近くの銀杏並木にあるカフェで事後打合せをすることにした。蝉は相変わらず、その儚い命の限りを尽くして鳴いている。  翔吾が「しかし、学生時代はサマーフェスで上半身裸になって騒いでいた横山先輩も、すっかり組織重視のサラリーマンになっちまったな。社僕みたいな言い方にはちょっとがっかりだったよ」と率直に切り出すと、 「まあ、そう言うなよ。就職したことがない翔吾には分からないだろうけど、横山先輩のあの言い方は、かなり親身に本音を言ってくれた方だよ」と武永が擁護してきた。  横山先輩と武永は、レコード会社とコンサート会社という立場で、接点はかなりあったようだ。とりわけ、CD不況の今のレコード会社にとって、新規投資するのは何事においても清水から飛び降りたつもりの事業計画をしないと、大きな売上を作っていくのが厳しいらしい。そういう業界にあって、「本社に稟議を上げる」と意志表示することは、「かなりやる気がある方だ」と武永は説明してくれた。 「ところで、武永の会社の方は、決済おりたのか?」と翔吾は訊ねた。 「コンサート会社は、先々まで会場を仮押さえしてあるんだ。何を公演するかは後付けで企画する場合も少なくない。だから今回の話は、渡りに船だ。興行面からいっても是非成功させたいと思ってる」  「渡りに船」と武永は言ったが、「自分で船を漕いで渡る奴だな」と翔吾は武永が急に頼もしく思えてきた。大学を卒業してから十年で、こんなにも業界の流れを読めて、仕事の嗅覚が鋭くなるのだろうか。 (俺の十年は何だったんだ)  と、翔吾は成長することのなかった自分を恥じた。  だがこれからは、のんびりと構えてはいられない。武永が漕ぐ櫓の回転は急がないといけない。丈司の余命には限りがあるからだ。  しかし翔吾の逸る気持ちとは裏腹に、クイーンズの稟議はなかなか進まなかった。とりたててネガティブな要素はなかったようなのだが、各部署の各担当者が思い思いに夏季休暇を取得していたので、一枚の書類に承認印がすべて押されるまでに時間を要したらしい。  書類が整ってから初めて海外本社の稟議を仰ぐ流れだったので、残暑も過ぎた九月下旬になってようやく「決済が降りた」と横山から連絡が入った。武道館公演に向けて出航する船の汽笛が鳴らされたのである。そこから急転直下に慌ただしくなっていった。  クイーンズから提示された条件は、平たく言うと、金を出して権利はすべて持つが、お前らが進行係になれ―ということだった。なにはともあれ、メジャーメーカーからトリビュート・アルバムを発売するという大義名分は、ミュージシャンへ参加打診をする時のハードルが低くなる。 (つづく)
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