第8話 動き出す

1/1
前へ
/10ページ
次へ

第8話 動き出す

 蛍祭りから四か月経過した十月、翔吾は再び北九州へと向かう機内にいた。福田に会うためだ。レイジャーズのリーダーでもある福田には、九州在住のギターとベースへの出演交渉と、武道館公演チケットの販売協力も依頼していた。  着陸体制に入った飛行機は徐々に高度を下げ、機窓には凪いだ玄界灘が広がってきた。翔吾は、日銭を稼ぎにやって来た前回訪問と、明確な意志を具現化するためにやって来た今回とは、明らかに違う自分がここにいることを認識した。 「株式会社プライムステージ、コンサートプロデューサー柴丘翔吾」と差し出した名刺を読み上げた福田はさらに「就職したの?」と質問してきた。 「いいえ、友人が勤めるコンサート会社で、臨時の嘱託です。レイジャーズのライブ企画のために名刺を作ってくれました、個人では信用に限界があるだろうからって」 「そうか、だいぶ具体的になってきたようだね」 「はい。でも、構想は進んでいるのですが。参加ミュージシャンと会場のスケジュール調整が一筋縄にはいかないので、それが大変です」 「公演日は早めに決めてもらいたいな。なにしろ丈司の身体が心配だ」 「それは僕も同感です。しかし来年三月までは会場がフルブック状態でして、今のところ、来年四月で調整を進めているところです」  翔吾の言葉を受けた福田は、ゆっくり首を縦に動かして「丈司は、バーで好きなレコードを聴いて好きな酒を飲み、好きなことを好きなだけやって生きてきた。これからも、自分の好きなことを犠牲にしてまで、抗癌剤などの延命措置はしないだろう。  好きなことの究極として武道館のステージに立つ夢を叶えられそうなんだから、すごく幸せな人生だよ。翔吾くん、是非よろしく頼む」と腰を屈めながら丁重に礼をしてきた。  この時、翔吾は飛行機から見えた玄界灘を思い出した。海面は穏やかだった。しかし、表面が長閑やかだからといって、海底に流れる潮流も静かだとは限らない。福田の態度は、心に植わっている強い底力を感じさせた。  福田との打合せを終えた翔吾は、とんぼ返りで東京へ戻った。丈司の命のカウントダウンが始まっている今、物見遊山している暇はない。  丈司は病気のことを多くは語らない。ただ、福田が骨を拾うことになっているようで、病院の定期検査結果レポートは福田のもとへも郵送されてくるそうだ。福田によると「丈司の癌はステージ4だが、今のところ末期癌には至っておらず、医者の予見によると来春までは日常生活に支障はないだろう」とのことだ。  ただし、体調不良の状態に陥ったら最後、歩行も困難になるらしい。丈司の身辺整理は女性関係も含めてすでに終活は済ませていて、バーは常連客へ居抜きで売却済みとのこと。その金で最期は地元北九州のホスピスであの世に行くことを決めているらしい。 「酒が飲めるのは体調がいい証だ」などと言って酒量を減らそうとしない丈司は、煙草も一日二箱も吸っているし、そんな丈司を見ている限り、病巣が広がっているようにはまったく見えないのだが、福田の説明を聞いた翔吾は合点した。  毎週月曜日の午前中、プライムステージ社内で、レイジャーズ武道館公演企画に関する進捗報告会が行われていた。翔吾ももちろん出席して、レイジャーズメンバーとの折衝ごとを報告している。やり甲斐のある企画であることは言うまでもないのだが、世間一般でいうブルーマンデーという言葉がもつ陰鬱な気持ちは理解できるようになった。  しかも、朝の通勤ラッシュは、レイジャーズライブのモッシュやダイブと変わらないじゃないか、と世のサラリーマンやOLのエネルギッシュな通勤パワーには恐悚の至りであった。  ただ、定期的に同じ場所を通っていたおかげで、今まで無頓着だった季節の変化に対しては、空の色、雲の形、風の向き、花の匂い、人の服……それらの時好的移ろいが、知覚的にも体感的にも敏感に反応するようになっていた。  とりわけ好きになったのは、都会の夕陽だった。高架を走る中央線から眺める住宅街は、夕陽に照らされた高層ビル群が放つ乱反射光によって、すべてのものが赤く染まったかのように見える一瞬がある。これらの五感的観取は、音楽創作への抒情も刺戟してくれた。  十一月になると、秋の日の太陽のごとく釣瓶落としに様々なことがスタッフによってどんどん具体化されて、トリビュートアルバムCDは三月発売で、武道館公演は四月で決まった。すべての状況が整った。この段階で、翔吾は「自分の役目は終わった」と胸を撫で下ろした。だが、武永はさも当然だという眼力を伴って「おまえも歌え」と言ってきた。  それは全くの想定外だった。当惑した翔吾の顔を見た武永は「単なる記念写真みたいな興行じゃダメだ。今回の企画はメジャーレコード会社からのCD発売と、参加ミュージシャンによる武道館公演といった最大級のプロジェクトだ。カバー曲に参加するミュージシャンにはそれなりの『格』が必要だ。だからミリオンセラー歌手の翔吾も参加するべきだ」 「ただ俺のジャンルはポップロックだぜ。ラディカルでパンキッシュなレイジャーズとは世界が違うと思うんだ」 「だからこそ、参加しろ。ジャンルを超えた影響力を放つレイジャーズとしてのキャッチもできる。おまえが参加することによって『箔』がつく」 「箔? 俺の名前が? 世間では、ひと昔前の一発屋だぜ」 「自分を見くびり過ぎだよ。九十九%以上の歌手が一曲もヒットを出せないで引退していくこの世界で、おまえは成功者の一人だ。チャート一位になった歌手がレイジャーズの影響を受けてカバーを歌う―は、いい宣伝文句にもなる。だからおまえの名前の利用はレイジャーズに対するリスペクトにもなるんだ」  武永の言うことは、もっともだと思った。武永のようなスタッフは、アーティストの商品価値を高めるプロだ。それならば「俺は歌うプロだ」と翔吾は参加を快諾した。  クイーンズミュージックとプライムステージを主導として、参加ミュージシャンを募ったところ、やはり影響を受けたミュージシャンが多く存在していたことが分かり、レコーディング参加と武道館出演の交渉は、意外とスムーズに進んでいった。全国ドームツアーができるほどのロックバンドやソロボーカリストなど人気面からいっても大層なレベルのミュージシャンが揃ってくれたので、公演チケット販売の期待値は上がっていった。  さらに、参加ミュージシャンが合唱したレイジャーズ「蛍の光」ロックバージョンを、プレミアCDとして一万枚だけ製造し、チケット購入者へ特典として無料配布する」というチケット販売促進策も決定した。 また、「地元の川へ蛍を呼び戻そう」という自然保護キャンペーンの一環としてのチャリティーコンサートとし、CDとコンサートの売上の一部を自然保護団体へ寄附することも決まった。このことはパブリシティ効果を生み、多くの新聞やネットニュースが取り上げてくれたおかげで、武道館公演チケットは発売から一か月を要することもなく完売となった。「大瀧の滝壺から瀑布を眺望する快楽を、丈司も味わうことができる」のは夢ではなくなった。  これらのビジネス的な高気配を読み取ったクイーンズミュージックの横山は、「レイジャーズ音源の復刻CD化をする」と言ってきた。過去アルバム三枚をボックスにした初回プレス限定盤をトリビュートアルバムCDと同時発売するとのことだった。  翔吾の一つの情熱がドミノ倒し的に、大きなムーブメントになったのである。翔吾の百度ある情熱を、そのままの温度で他人へ伝え、その人もまた他人へ百度のままで伝えていった結果、あらゆる関係者や出演者の温度も高くなっていったのであろう。  そのエネルギーがエンドユーザーまで一瀉千里に展延したのである。この順調過ぎるまでの展開は「好事魔多し。なにか罰が当たるのでは」と翔吾を杞憂させるほどであった。  年が明けると、急ピッチでレコーディング進められていった。アナログテープからハードディスクへの録音媒体の進化や、パソコンでのソフトウェア処理など、丈司が経験していた三十年前と現在では、レコーディング方式は全く異なっている。  しかし、丈司が感覚的に拘っている「空気感や息吹までも録音したい」というアナログレコーディングは、今ではコスト高になってしまうのだが、多くの大物ミュージシャンも賛同してくれたこともあって、昔ながらの方式が採用された。  丈司は、「蛍の光」ロックバージョンを歌録りレコーディングしたが、さすがのボーカル表現力は非の打ちどころなど見当たらなく、一発OKとなった。一つ一つの音程やリズムを重箱の隅を楊枝でほじくるように聴き込むと、音楽理論的には少し逸れている箇所もあるのだが、それは味の一部として故意に歌唱していた。  例えば、切ない単語の時には語尾をフラットさせて歌ったり、なかなかの歌唱巧者だ。音符という点の精巧さではなく、小節という線の表現が重要であることを訓えられた歌唱力でもあった。この表現力こそが、多くのフォロワーを生んできた独特な個性なのであろう。  翔吾は、レイジャーズの中でもかなり激しい曲調の「NEVER」をカバーソングとして選んだ。翔吾が初めてレイジャーズを見た時の「威張ってんじゃねーよ」「命令するんじゃねーよ」という歌詞の曲だ。翔吾の音楽への気構えに対して、脳天に鉄杭を刺すがごとく衝撃的な変革を与えた曲だ。パンクテイストなロックの歌唱は初めての挑戦だったが、自己の鬱憤が歌とともに解放されていく爽快感は超凡なものだった。  さらに、初めて体験したアナログレコーディングは、歌の実力がそのまま磁気テープに収録されていく誤魔化しの利かない録音方法なので、歌唱力の鍛錬には速習的に役立った。後から機械的に編集を施して音程やリズムを修正していたデジタルレコーディングしか経験してこなかった翔吾にとっては、丈司が言っていた「演者の息吹がレコード」される瞬間は出色の体験にもなった。  数多くのミュージシャンんが参加するトリビュートアルバム企画のレコーディングは、それぞれのミュージシャンのスケジュール調整の都合上、長期に渡ってレコーディングされるケースがほとんどで、参加ミュージシャン同士がスタジオで一堂に会することは滅多にない。  しかし、翔吾が歌録りした直後、次にレコーディングを控えていた若手ミュージシャンが「ファンです」と翔吾に話しかけてきた。最近ヒットソングを連発しているソロボーカリストだ。彼が高校生だった時、翔吾のコンサートを見に来ていたそうだ。翔吾のライブに刺激を受けて、プロミュージシャンを目指すきっかけになったらしい。  今まさに音楽シーンで輝いている彼からの視線は、プロミュージシャンというより、丈司フォロワーかつ翔吾ファンとしての無垢な眼差しであった。その純粋さは、翔吾の胸を響かせた。憧れは伝承し、多くのフォロワーを生んでいく。それは、光る蛍が求愛し、次世代を生んでいくのと同じだ。「ふたたび光って、さらに進化していこう」と、翔吾は自らを鼓吹した。 (つづく)
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加