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番外編 目指す道
式見栄治が捕まってから数ケ月、雪は解け桜が舞う季節となった。街の至るところで桜の花びらが道を彩っている。日が落ちるのも遅くなり、放課後の帰り道でも明るい。
何となく浮かれてしまいそうな空気の中、勇気は重苦しい雰囲気をまとわせながら力なく歩いていた。せっかくの端正な顔立ちに、深い眉間のしわを作り、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
勇気のかばんには、彼の心を憂鬱にさせる原因、進路希望調査が入っている。今まで勇気は、進路希望で悩んだことはない。自分はブレイブに就職するものと思っていたし、勇気が訓練生であることや公務員で安定していることも相まって、両親や教師にも止められることはなかった。しかし最近、島田が勇気の就職にストップをかけた。
理由は明白、勇気が自身のことを「実験体」と思っていたことが判明したからだ。
ブレイブ以外の進路をちゃんと考えなさい、と島田は勇気に強く言った。そして本日、未だ進路を決められない勇気に進路希望調査が配られたのである。
本当に、本当に自慢できることではないが、勇気が好きや楽しいという感情を自分のものにできたのは、つい数か月前である。闘うこと以外に特にやりたいこともなく、だからといって格闘家として生きていきたいとも思わなかった。誰かに見られながら闘うのは、勇気には性に合わないからだ。
勇気は大きくため息をつく。桜色が目に痛かった。
どこからか叫び声が聞こえた。いつかの日を思い出し、勇気は声の方にかけ出す。
声の方に近づくたびに明瞭になり、叫び声ではなく子供の泣き声であることが分かる。そしてその音量が異常に大きいことに気付く。
遠くにピンクのワンピースをまとった女の子が泣いているのが見えたが、鼓膜が痛むほどの泣き声だった。どうやら迷子のようで、目をこすりながら泣きじゃくっている。周りには歩行者も何人かいたが、耳をふさぐので精いっぱいで身動きが取れないようだった。
これは「トラウマの暴走」だとすぐに分かった。そして、勇気は迷った。正しい手順は、島田に連絡をとり大人しくしていることだと分かっている。
でも勇気には、ここにいないはずの正護が走り出す幻がした。正護なら、少しでも早く助けるために、己を顧みないだろうと思った。
そして、勇気もそうありたかった。自分を救ってくれた正護のように、なりたかった。
誰かのために、誰かを救えるような人になりたかった。
そう思ったら、勇気の足は動き出していた。泣き声は更に大きくなり、耳がひどく痛む。このまま進めば、耳を傷めるリスクがあることは、分かっている。
それでも、勇気は子供のそばに駆け寄った。泣いている女の子を、放っておきたくなかった。
子ども特有の高い声が耳を突きさすようで、勇気の両耳はズキズキと痛み、頭痛もしているような気がする。
それでも勇気は女の子の前までくるとしゃがみこんだ。しかし女の子は泣くのに夢中で、勇気に気が付かない。勇気は精いっぱい大きな声で女の子に話しかける。
「どうしたんですか?」
しかし勇気の声は、女の子の声にかき消されてしまう。大声をだすのが苦手な勇気は、迷った末、女の子の頭を恐る恐る撫でた。
頭に触れられたせいか、女の子は勇気に気が付いた。
「おれでよければ力になりますよ」
勇気は女の子を怖がらせまいと、ぎこちなくも笑みをみせた。勇気の言葉を聞いて女の子は落ち着いたのか、泣きわめくのをやめた。
「うぅ~、ママと、うっ、はぐれちゃったの」
普通よりも大きめの嗚咽をもらしながら、女の子はとぎれとぎれに訴えた。
「では、一緒に探しましょうか」
勇気は耳鳴りや頭痛に耐えながらゆっくりと立ち上がり、女の子に手を差し出した。女の子は勇気の手を取り立ち上がる。
「お家の場所は分かりますか?」
勇気が訪ねると、女の子は分からないようできょとんとした。その様子をみて、勇気は小さな子に住所を聞くのは無理だと悟った。警察に連絡するのが早いかと携帯を取り出すと、1人の女性が走ってきた。
「しおりー!」
どうやら女の子の母親のようで、女の子も勇気の手を離し母親に駆け寄っていった。
「ママー!」
2人はぎゅうぎゅうと抱き合い、再会をかみしめている。
勇気はその光景に微笑ましさと一抹の寂しさを感じながら、島田に連絡した。一通り説明し電話を切ると、女の子の母親が話かけてきた。
「娘がお世話になったようで、ありがとうございます」
母親は勇気に深々と頭を下げた。
「いえ、大したことはしてません。ただ、娘さんはトラウマを発生している可能性があります。ブレイブには連絡しましたので、トラウマカウンセリングを受けてください」
頭痛が激しく、勇気は歯を食いしばって立っていた。礼を告げる母親にも、そっけない態度をとってしまう。
「おにーちゃん、ありがとーね」
母親と手をつなぎながら女の子は、勇気にお礼をいった。泣いたせいで目じりは未だ赤いが、にししっと女の子は可愛らしく笑った。
ヒマワリのように笑う女の子の笑顔を見たら、ほんの少し頭痛がマシになったような気がする。
「どういたしまして」
照れくささも合わさって、勇気は少し早口になってしまった。女の子はそんな勇気を気にすることなくニコニコと笑っている。
ブレイブの車が二台到着し、島田が降りた。島田は親子の前に立ちお辞儀をした
「お待たせしました、ブレイブです。お嬢さんにトラウマカウンセリングを受けていただきたいのですが、よろしいですか?」
島田はいつもの軽薄な笑みではなく、接客でもするかのように綺麗に微笑んだ。
親子は島田に促され、もう片方の車に乗った。そして2人でその車を見送る。勇気は無事に親子が車に乗ったのを確認すると、糸が切れたように倒れかけた。島田は分かっていたような動きで、勇気を支える。
「じゃあ、勇気は耳鼻科ね」
元々勇気から、車2台できて欲しいとの要望があった。女の子のトラウマにより、勇気の鼓膜は多大なダメージを負っていた。ブレイブ行きと耳鼻科行きの2台が欲しいと勇気は正直に話した。
「はい」
勇気は消えそうなほどか細い声で返す。緊張が解けたせいか、更に痛みが増している。耳鳴りもして気持ちが悪くなった。
それでも、気分が良かった。「こうありたい」という自分を貫けたから。
将来の夢はない。やりたいこともない。けれど、なりたい人なら2人ほど。
自分を見つけてくれた人と、自分のために泣いてくれた人。
自分を救ってくれた人のようになりたかった。
勇気は島田に促され、車に乗り込む。島田の運転する車は、滑らかに走りだした。
「勇気は随分、正護君に似てきたね」
島田は子供っぽく口を尖らせた。勇気の行動に随分ご立腹のようである。勇気は苦笑いを浮かべた。
「先輩みたいになりたいって言ったら、どうしますか?」
勇気の問いに、島田は眉間にしわを寄せ、考え込む。そして、諦めたように大きなため息をついた。
「言い出したら、曲げないだろうからね。僕に出来るのは、少しでも怪我が減るように、君を育てることだけだよ」
特に欲もない勇気が願ったことなら、それは勇気にとってよほど大事なことだろう。であれば、島田に止めるという選択肢はない。
「それは、いいですね」
勇気は島田の返事が嬉しかったのか、口元を緩めた。
「進路希望調査が来たんです」
進路希望調査、と聞いて島田はぴくりとした。
勇気が自分のことを、「実験体」と思っていたことを聞いた島田は泣きわめくほどの衝撃を受けた。加えて、勇気がブレイブに就職したいと考えていた真意に気が付いた。
島田が勇気を訓練生にしたのは、少しでもそばにいたかったからだ。ブレイブに就職させたかったからではない。
だから島田は、勇気に自分の進路を考え直してほしかった。彼が幸せになれるように、と。
「好きなこととか、やりたいこととか、まだ分からないままですけど」
勇気が言葉を探すように、目をくるりとさせた。
島田は口を堅く結んで、勇気の言葉を待つ。
「島田さんや、先輩みたいになりたいんです。おれを救ってくれた人だから」
本人にいうのは照れくさいですね、と勇気は頬を掻く。
島田は、勇気の言葉に頬を赤くして動揺した。飾り気のない、まっすぐな言葉に胸を打ち抜かれる。誤ってハンドルを切ってしまうところだった。
「だから「はい、一度そこまで~」
勇気の言葉を島田が緩い声で遮る。
「そこから先はまたあとで」
勇気はどんな顔で自分の決断を告げるのか、島田はそれを見たかった。だから、その言葉の続きを今聞くべきではない。
島田の真意を知ってか知らずか、勇気は口を閉じた。
2人が肩を並べるのは、まだ少し先の未来
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