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6:アルカデイア王国 外交大臣 トルト・ガルファの証言 壱
老人は、自分はアルカデイアの外務大臣である、トルト・ガルファだと名乗った。痩せこけ、髭もあたっていないが、私も三度会ったことがあるので本人であると確信、直ちに彼を背負って山を降り、ラキムの村に一旦避難した。
その後、彼は国境を越え、無事に我が国に到着。現在は名と顔を変え、冒頭で書いた『保険の意味で召し抱えるべき人物』として、療養中である。
この証言は、彼がラキム村での最初の一夜を過ごす際に語ったものである。
恥ずかしい話だが、私が実験について、実態を正確に知りえたのは、エーデル城が吹き飛んだあの日なのだ。
私は、我が王であるエーデルが太古の魔術を復活させ、軍備を強化させようと考えているのは察していた。
だから私を含めた数人の高官達は何度となくエーデルを諫めた。幾人かの軍人達も私達に協力してくれたが、やがて情勢が変わった。
私の味方の何人かが、病に倒れたり、行方が知れなくなったのだ。
更にエーデル王が突然お披露目したキメラ達の戦闘力を目の当たりにして、王側につくものが現れ始めたのだ。
兵の血と、金をあまり使わずに圧倒的な戦力を得ることができる、とエーデル王は豪語した。ヤーグ熊の爪と、マウド猿の狡猾さ、そして猟犬のような忠実さをもった兵士八人分の大きさの獣。確かにそれらは、その言葉通りだったのだ。
エーデル王は仕上げとして、それらに人の味を覚えさせる気だと言った。
『重犯罪者』を、使うのだ、と。
昨日まで私と肩を並べて、王を諫めていた高官は、餌の中には『不法入国者』も入れる予定だと言った。彼は難民対策に頭を痛めていた男だった。
そんな非人道な行為は許されない、と私は怒った。
そして、一度も許可されなかった地下の実験場への入室を求めた。
結果、私はその場でアルカデイア辺境への視察任務を命じられた。
私はその足で、王の間を飛び出すと、地下へと向かった。
だが、一人の青年が地下室の扉の前に立っていた。
見知った顔だった。
彼は所謂戦災孤児だ。エーデル王――いや、エーデルが行った虐殺――つまり、アトラクカとの戦争における村々の焼失は、君達が予想していた通りエーデルによる虐殺だったのだ。
彼はその時、まだほんの子供で、親と思われる遺骸にすがり、泣き叫んでいたのだ。自己満足と言われればそれまでだが、私は彼を秘かに救い出すと、我が国の孤児院に預けた。時折、様子を見に行っては会話をし、親――と言ってしまうのは傲慢かもしれないが、ともかく交流を続けてきた。
彼は口数こそ少なかったが、私の事も含めて全て理解している聡明な少年だった。そして、優しかった。
ある日、私が孤児院に顔を出すと、彼は私にランサの花とはどういうものなのかと聞いてきた。私が孤児院の端に連れていき、眼下の平原に生えているあの花であると教えると、彼は興味深そうにそれをずっと見ていた。
知っての通り、ランサは我が国にしか咲かない花だが、取り立てて美しいわけでもなく珍しくもない。
一体どうしてランサの花の事を私に聞いたのかね、と問うと、彼は長い間言葉をはぐらかした。そして、私が帰る頃にやっと、真相を話してくれたのだ。
好きな子ができたのだという。
その子はランサの花が好きなのだそうだ。
――どこにでもあるけども、たくましくて、健気だ。見ていると勇気が湧いてきて、嬉しくて涙が流れてしまう。
だから、名前がなかった私はランサと名乗っているんだよ――
彼は、その言葉に深く感動し、会話の流れで、ついランサの花をよく知っていると装ってしまったのだ。
私はその時、彼のことが愛おしくてたまらなくなったものだ。
私を父と――その先の言葉を飲み込んだ。
幾らなんでも、そんな事は言えない。だから、私は何かお願い事があるなら言ってみてくれと、彼に言った。
彼は首を振った。
いや、ここに連れてきてもらっただけで、僕は――
私も引き下がらない。
人は人のために、生涯一度くらいのわがままは聞くものだと、私は思っている。だから、今でなくてもいい。いつか――そう、君が結婚する時にでも、私に願いを言ってくれないか?
彼はふいと、むこうを向いてしまった。
じゃあ、その時にでも、と彼は言った。
月日は流れた。
彼は剣術の腕をあげ、その女性と将来を誓い合い、国境警備の任につくはずだった。
そんな彼が、何故王宮の、しかも悍ましい実験場と思われる地下室の扉の前にいるのか。
鈍重と陰口をたたかれる私でも、なんとなくは察したのだ。
彼女か? と聞くと、彼は頷いた。
彼が生涯の伴侶と決めた花の名の女性は病に伏した。
彼には金が必要だった。
そして、そういう若く健康な肉体を欲する連中に付け込まれた、というわけだ。
彼は軽装で、剣すら持っていなかった。
そのむき出しの腕や足、首、少し見える胸板には赤黒い縫った跡が無数に走っていた。
私は茫然とし、何かを話した気がする。なんということだ、とかそんな意味のない言葉だ。彼は驚くほどの速度で私を組み伏せた。骨が軋み、掴まれた場所の血が止まっているような感覚だった。
なんということだ。お前はすでに――
私が床を舐めながら涙を流し、そんなような言葉を発すると、老人の声が聞こえた。
『凄いだろうが。獣の力だぞ』
それから耳障りな女の声が聞こえた。
『いっそのこと、ここで殺すのが、この爺さんのためじゃないの?』
彼の言葉が聞こえた。
『いや。この人には傷一つ付けてはいけない』
そうして、私に耳打ちしたのだ。
『あなたは生きなければならない。時が来たら……』
何とか顔をあげると、そこには悲しそうな顔をした彼だけがいた。
私はそのまま憲兵隊に引き渡され、城から放逐されるような形で視察の任につかされた。
そして私は、視察の任の道中襲われた。
まったくの偶然で、私は崖下に落ち、川に流され助かった。追手がかからなかった事を考えると、死んだと思われたのかもしれないし、エーデルが金を惜しんだので暗殺者が面倒がったのかもしれない。
とにかく私は身を隠しながら王宮へ引き返した。
かくなる上は――今となっては隠しても始まらない――エーデルを暗殺するしかない。だが、何の心得もない私に何ができるのか?
それでも、私は王宮に近づいて行った。
幸運な事に、憲兵や賊の類には出くわさなかった。
道中、巨大なキメラの噂を聞いた。
そして、それを討伐するために『勇者』が出立した話も聞いた。
察したよ。
『彼』が『勇者』だと。
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