Episode01:幼少時代

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部屋に呼ぶのも入るのもアウトだが、夕飯の差し入れくらいはギリギリ大丈夫だろう。おかずが余ったとかそういう(てい)にすれば、善意で許される気がする。 『…………ごはんは、はんばーがーたべました』 耳を澄ますと返事がやっと返ってきた。そうか、食べたのか。お裾分け作戦失敗か。いや、別にいいんだけど。むしろあの母親がちゃんと夕飯を与えて仕事に行ったことに感心する。それが普通だけど。 『……でも』お、まだ続きがあった。 「でも?」 『………………おにいさんがいないから、あんまりおいしくなかった』 ぽつりと壁越しのせいでもあるんだろうけど、蚊の鳴くような声で新が言う。 『…………さびしい、です。あいたい』 ………………あああぁぁぁっ。 絶叫するのはなんとか堪えた。でも堪らず顔面は両手で覆い、ズルズルと床へと沈み込む。五歳児とは思えない圧倒的な殺し文句だった。不覚にもきゅんとしてしまった。勿論それは母性ならぬ父性みたいな情で、邪なものではない。 新が俺に懐いてくれているのはこれでよく分かった。──そして、俺が。 片手を外して、新には聞こえないように小さく小さく呟く。 「…………必要とされて嬉しい、とか」 思えば誰かに必要とされるのはこれが初めてだった。人付き合いはそつなく築けるけど、基本浅く広くがモットーだし、他人に深入りしない分、誰かの一番になることもない。恋愛だってそれが災いしてか、いつも振られてばっかだ。 俺の代わりはいくらでもいる。そう思ってこれまでやってきた。実際そうだったし、今でもそうだと思う。でもこうして、成り行きとはいえ、誰かに必要とされていると感じられるのは凄く新鮮で、胸の奥がむず痒いような擽ったい。 例えそれが、いつか手を離さなきゃいけないものだったとしても、俺は──。 参ったことに情が移っているのは、俺にも言えることらしい。 「おにいさんのおなまえってなんですか?」 ある日の日曜日。突然というか今更なことを新が訊いてきた。 コンビニで買ってきたアイスを一点に見つめながら、やけに集中して食っている。俺がこの前の木曜、今みたいにアイスを食べている新の横からアイス〇実を一個盗み食いしたことで、警戒しているらしい。因みに今日はピ○だった。 ふぅん。残り二つか。 いくら警戒しようとも所詮は子供。横ががら空きだった。 ひょいっと「あっ!?」一粒頂くことに成功する。口のなかに放り込むとチョコとなかのバニラミルクがじわりと解けるようだった。ちょっと溶けていたのか指についたチョコを舐め取り「で? なんだっけ?」新を見ると「それぼくの!」むうぅっと分かりやすく憤慨していた。頬を限界まで膨らませてタコのようになっている。 新と出逢ってからそろそろ一ヶ月になろうとしている。 最初の頃の野良猫みたいな印象はなりを潜め、今では駄犬まっしぐらな態度の軟化を見せていた。木・日のお泊まりは当たり前だとして、壁越しに初めて会話した日を境にそれ以外の日も言葉を交わすようになったのが大きな要因となっているのだろう。 パンパンになった頬を「ははっ、タコみてぇ」両手で押して、口のなかの空気を押し出す。心無しか最近肉付きも良くなってきたような気もする。空気を全部抜くとまた新が頬を膨らませる。そしてそれをまた抜くという意味の分からない遊びを何度かやったあと「そもそもそれ俺が買ったのだから、俺のだしー」むにむにっと頬をこねくりまわす。うひょうひょ、と新が鳴いた。 間抜けなヅラぁーっと痛くない力加減で頬を横に伸ばして、離す。 「おにいさんのばか! あほ!」 どすんっと腕を小突かれた。ぐぇっと崩れ落ちる。もう少し可愛らしい反撃を期待していたのだが、力加減が下手なのは子供の特権だとしても、普通に痛かった。
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