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空の白離
「もう……あいつにだって子供っぽいっていじられたんだから」
「え……」
その言葉で優姫は真琴の、前髪を指でくるくる絡める横顔を信じられないものを見るような目で凝視した。
彼女が「あいつ」と呼ぶのは、しばらく前に付き合い始めた恋人の事だけなのだが、優姫が気になったのは、そこではなかった。
「あれ、真琴、彼氏とは前に喧嘩して……その、気まずいとか言ってなかった?」
優姫の記憶では、夏の終わりくらいの時期に、真琴は恋人と大喧嘩して別れている。そしてそのあとしばらく、優姫は真琴に付き合わされて気分転換にと遊んだのだ。それこそ、クレーマーの事のように忘れるはずもない。復縁したのだとしても、知らせの一つくらいありそうなものだが、それも記憶にはなかった。
「うん?喧嘩はたまにするけどそんな気まずいなんてことはないよ。この前だって……っって、何言わすのさ!」
「あはは、ごめんごめん、違う人の話だったかも」
「もー……」
何だろう、この違和感。
優姫はクレーマーの件といい、自分の記憶の不安定さに身体をピク、と震わせた。それが暖房の届かない足先の寒さから来るのか、別の理由からか、すぐには決めたくなかった。
――クレーマーも真琴の恋人も、夏の終わりの話だ。やっぱり私、まだ……。
「あっ、講義始まるよ。ほら、優姫!」
「あ、う、うん……」
何気ないやり取り。ささいな記憶の齟齬。聞こえなかった鐘の音、いつの間にか過ぎていた始業までの十数分。
その日の一時限の講義内容は、配布資料を後から見てもあまり思い出せなかった。
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